日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

止まぬ自然災害

2016年09月20日 | 社会 政治

 今年6個目として台風16号は鹿児島県に上陸した。この数は65年間の観測史上2番目の多さ、最多は2004年の10個、今年の6個は90年と93年の年間記録に並んだ。台風の発生が遅い、水がめが心配と悩んだことが嘘のような連続発生、そして突出して高い上陸率はやはり異常気象の表れだろう。

 台風に限らずだが最近の降雨状況は記憶にない降り方をする。台風16号と秋雨前線の要因が重なり、1カ月雨量の1.4倍が半日で降った地域があるという。数年に1度程度しか発生しない短時間の大雨に対して出される「記録的短時間大雨情報」が頻繁に出ている。レーダーの解析から分かるらしいが、100いや120㍉といった恐ろしい雨量が表示される。観測技術の向上と喜んではおれない。きめ細かな早い情報発信を期待する。我が家も避難時の持ち出し物について話すことが増えた。

 それにしても台風や洪水、地震など自然災害が起きるたびに大きな被害が報じられる。報道を見るたびに思うのは、災害発生後に危険性の高いロケーションだったと後だしの情報がある。あらかじめ危険が予測される川や山の麓などへの対応を事前にとれないものだろうか。起きるかもしれないから予防する予算は無いといわれるが、起きて治すよりは安いのでは、素人は思う。

 16号は速度を上げ太平洋岸を東に向かっている。今回も河川の氾濫を始め多くの被害が報道される。当地は潤い程度の雨量ですみ難を免れた。被災地の皆さんには申しわけないが、雨に洗われ清められた空気、次第に拡がる青空からは日が射し始める。飛散しないようまとめておいた鉢などを元へ戻す。しばらく秋空が続いてほしい。
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敬老の日に

2016年09月19日 | 生活・ニュース

 彼岸の入り、秋雨前線や台風16号の影響であいにくの天気、墓参りの人もまばらだった。午後からは本格的な雨足が屋根を打っている。昨年は9月21日だった敬老の日、今年は彼岸の入りと重なった。この日が9月第3月曜日に変わったのはハッピーマンデー制度が制定されてから。

 敬老の日が祝日法で定められて今年で50回目。農閑期で気候もよいという理由で、兵庫県野間谷村の村長さんが個人的な判断で村の「としよりの日」と定めたのが始まりと伝わっている。それは1947(昭和22)年というから終戦直後、国内はまだ混沌とした時代だったろう。全国行事となったのは1951(昭和26)年、1964(昭和39)年「としよりの日」から「敬老に日」と改称、その後に国民の祝日とされた。

 地域では後期高齢者に達すると敬老会へ招待される。何年も前、敬老会の世話当番の時、参加者から丁寧な礼をいただき、やがてめぐってくる日のことを思い参加する意義を感じていた。参加は自由なのでもう少し年を繰ってからと今年は欠席した。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」というのが法の主旨。これからの課題は多そうだ。

 高齢者の呼び方で、「おじいちゃん」「おばあちゃん」は孫にだけ許される呼び方で、それ以外の人は絶対に口にしてはいけないと知ったという話を聞いた。理由は「勝手に年より扱いしてはいけない」ということらしいが、若くしてじじばばになった人はそんなものかと思う。自分が敬老として敬われる域に達するのはいつだろうか。
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学 習

2016年09月18日 | 生活・ニュース

 ブログを始めて10年になる。毎年1年分を印刷し製本している。と言っても世に1冊だけの自己満足本だが、並べてみるとかなりのボリュウムになる。外観などを問わなければ分量だけはいつか「辰乃仔全集」といったものになるかもしれない、愚かなことを思いながら今年分の10号を加え10冊を並べた。

 繰り返し作っていると要領を得て時間短縮が図れた。ブログアップすると年冊用の冊子洋式に写す。これを印刷直前に状態を確認すると改行や文頭の段落ミスなど、アップするとき気を付けたつもりでも見落としがある。これが頁の初めころにあると、最終頁まで絡むことがある。これらは製本の基本的ミスであり、少なくとも2週間に1度は頁チェックすることで無駄な時間を削減できた。

 印刷も同じ。両面印刷していると、たまに紙が重なって出てくる。刷りかえの用紙代はしれているが時間の無駄を何度も経験した。最近は奇数頁は連続印刷し、偶数頁は頁ごとに印刷している。刷り替えも起きず用紙の無駄も発生しない。目次も注意をしながら作成する。年冊はA5版、10号は本文517頁、366編で23万4千字、目次10頁、表紙や仕切り紙などを加えて約530頁余、これまでと似たり寄ったり。

 難関は製本、2.5㌢ほどの厚さだがこれを容易にこなしている。数年前にマイ製本機を手に入れた、というより、欲しくて考案者に強引なお願いをして製作してもらった逸品。製本機の詳細は明かせないが、最も困難な綴じる部分のノーハフを含めて譲ってもらった。これなくしてブログ年冊はできない。今のところ年1回の使用で終わっているがなんとか頻度アップの策を講じたい、10号をめくりながら思う。
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ひと昔

2016年09月17日 | 生活・ニュース
 
 薦められてブログを始めて満10年になる。いつからか、特別な制約を受けず書くことの練習素材だと思うようになった。繰り返しや同じ題材などあろうが、これまで3500編あまり書き残したことになっている。気を付けているのは私的なことで人や事象を質すようなことは書かなかった。

 数だけは残した。書くときは真剣に取り組んだ、それだからと言って内容がよくなるわけではないことはよく分かっている。毎年、1年分を手製で印刷・製本している。これまで9冊残しているが、たまに読み返している。誤字・脱字のほかに、今一つ、何を言いたかったのか自分にも思い出せない内容もある。

 やかましいばかりで実りのない議論や、内容の乏しい下手な文章のことを「蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)」というそうだ。無駄が多くて中身が伴わないことをいう。蛙や蝿がやかましく鳴く、これはうるさいばかりでなんの役にも立たない。蛙も蝉も鳴くことに目的があるから鳴くので、これを人間の都合で全否定しては蛙も蝉たまったものではなかろう、自分の書いたものと比べてそんな同情をしたくなる。

 そんな中で投稿して新聞に掲載されると同人誌に載る。これに載ることを目指して書いているのだと言い切れる。退職後、どう過ごすかは社会問題、幸いにいくつかのグループのメンバーとなり「ぬれ落ち葉」にならずにすんだ。その一つがエッセイサロン、「紙と鉛筆があれば楽しめる」というが老化を遅らせる効果は高い、そう信じて11年目も頑張ろう。
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掲載数1000編

2016年09月16日 | 生活・ニュース

 一の10倍は十、その10倍は百、その10倍は千。なんと馬鹿な書き出しと言われそうだ。所属する岩国エッセイサロンでは、短い文章を書き投稿することを自己啓発のひとつとしている。会員は毎日、感性鋭く生活する中で自分にしか書けないことを見つけ出し、それを短い文章にして投稿している。投稿はできるがそれが採用されるか否かに会員の感性は及ばない。

 そんな投稿の努力が実りこのたび掲載数が「1000編」に達した。会の発足から10年9カ月、今の会員は18名、年齢は後期高齢者も含む高齢者が大半、趣味で文章を書くことはあってもプロは居ない小さな会。公民館で月1回の例会と毎年初めに同人誌を発行、10号まで発刊した。こうした小さな積み重ねが1000に達した。百の10倍はそんな実感を冒頭に書いた。

 記念すべき記録達成後、初の定例会に地元紙の取材を受けた。着任間もないという記者はメモをとりながらしばらく例会に参加する。これまでにも何度か取材を受けている、さて今回はどんな記事がいつ掲載されるのだろうか。事件事故のように急ぐ内容ではない、投稿と同じでいつ載るかまでは分からないのも待つ楽しみだ。

 一昨日掲載された私の投稿が偶然というか幸運というか記念の一編になった。その日、早い時間に小糠踊世話人の方から「投稿に感謝」という丁寧な電話をもらった。小さなことだが地域のお役に立てた、そう思うと短いエッセイでも書き続けていてよかったとひとり喜んだ。そして、書くきっかけになった、懸命に踊っていた子どもらに感謝した。
 
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2016年09月15日 | 生活・ニュース

 からりとした澄んだ青空、果物の観光農園が賑わい、彼岸花の燃えるような赤、秋雨前線、今夏に降った豪雨で水は足りているが季節の便りとしては欠かせない存在、南北に上下しながら湿りを施す。見逃せないのが連続発生している台風、秋を演出する一つではあるが14号の威力、16号もこれに劣らない勢力で日本向かっている。

 そんな秋だが一つ物足りないことがある。近くの小学校、2学期と言えば運動会、例年ならその練習の音楽、先生の声にホイッスルなど聞こえるのだが、運動会は春の学校行事に変わった。これは全国的な傾向らしいが、長年慣れ親しんだ秋の大きな催事がなくなると地域の様子も変わったように感じる。9月末の運動会は戻ってこない。

 今日は中秋の名月。中秋に眺める月は、澄んだ夜空に昇るまん丸な月と思いきや、今年は満月の2日前とか、まん丸の一歩手前という気象予報士、予報士の意地悪ではないだろうが満月は2日後になる。満月、三日月、上弦・下弦の月、明日は満月の前夜で小望月、満月の翌日は十六夜、立待月、居待月、寝待月もよく知られる、月の呼び方もいろいろある。

 月の形、東の空に昇る時間などを観察しその月に名前を付けて昔の人は楽しんだ。何百光年先の星雲やブラックホールが見え始めると36万キロ向こうの月は逆にかすむのかもしえない。しかし、満月の広島東洋カープはお昼前に凱旋した。が気を抜けない試合が待っている、とうのはおそらくCSを競うのは巨人、熱海の海岸ではないが今夜の月にいい試合を見せてくれ。 
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復活の小糠踊 活気を

2016年09月14日 | エッセイサロン
2016年09月14日 中国新聞「広場」掲載


 子どもたちの2学期が始まり、元気な声が通学路に戻ってきた。夏休みにはどんな思い出を残したのだろうか。私は、地域に残る伝統芸能に参加した子どもらの姿を思い出す。

 それは小糠踊。太鼓と笛の音に合わせたゆったりした踊りで、基本は「差し手引く手、出る足引く足」と上品な振り付け。藩政の頃から岩国城下の子女の間で親しまれ、錦帯橋周辺で踊られてきた。

 昭和半ばを最後に、路地での踊りは一時途切れていたが、昨年、地域を活気づけようと応援隊が結成されて復活。夏の一夜、錦帯橋近くの小さな通りいっぱいに踊りが繰り広げられた。

 復活2年目の今年は、小学生の「子供こぬか連」と 「中学生連」も結成。地元の児童生徒が継承の担い手を志し、練習を重ねてきた。

 子どもらが浴衣を着て保存会メンバーと歩調を合わせて踊る姿に、地域芸能の良さを改めて思いつつ、受け継いでくれる連の踊り子らにエールを送った。

(追記:岩国エッセイサロンとしての投稿掲載1000編目という偶然だがラッキーな掲載となった)
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真赤激の余韻

2016年09月13日 | 地域
 
 広島東洋カープが四半世紀ぶりのセリーグ優勝、それを決めるならセリーグ最速となる9月7日まで、次は10日の東京ドームでの巨人戦でと願っていた。結果は10日になった。この日を選んだ理由は、もし11日優勝なら翌12日(月)が新聞休刊日だからという単純な話。優勝した翌日の新聞が休みでは、新聞社も面白くないだろうが読者、特にカープファンと地元紙は大きな肩すかしをくらったと同じ事になる。試しに休刊日明けの今日も地元紙は1面トップがV7関連の記事で始まる。

 優勝決定から多用で外出は徒歩圏内だけ。喜びに沸く人々々の姿、賑わう飲食店、祝賀のバーゲンセールとそこで買い求める人らなど、喜びに沸く赤色を映像や紙面で見ている。市内の様子も報道されるが、広島がお隣では扱いは純ローカルで村祭り扱い。それを補ってくれるのが訪問する地元発進者のブログやフェイスブック、全国版に負けない劣らない充実ぶりにカープファン層の広さと深さを知る。

 歌人の谷村はるか氏が書いている。「カープとカープファンの存在感はすっかり全国区になった。私の住む東京でも、試合後のファンがレプリカユニホーム姿のまま、電車に乗ったり町に繰り出したりすることが普通になった」とし、5年前までは、よほど勇気がなければできなかったと補っている。赤い糸が絆となって地域を超えて結ばれているということだろう。

 ビールかけから一夜明けた試合は「ゼロ敗」。リーグ優勝は日本一への通過点、その前にクライマックスシリーズがある。CSは丁度一か月後、相手はおそらく巨人だろう。苦い経験もある、今日からの中日戦、攻めのカープで真赤激を続けてほしい。
 
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裏通り模様

2016年09月12日 | 地域

 「裏通り」なんとなく庶民的でささやかな温かみを感じる。NHKの「バス通り裏」というドラマの記憶が残っているのかもしれない。1958(昭和33)年4月から63(昭和38)年3月まで放送された。バス通り裏の細い路地を挟んだ美容院と高校教師の家族を舞台にしたホームドラマ、家庭の温かさと楽しさを味わった。我が家にTVが入ったのは1960年、この年からカラー放送になったというが我が家は白黒、夕方に観た。
 
 裏通りは裏道と呼ばれる、それは本道以外の道やぬけ道などの説明があり少し陰の部分を感じさせる。近くで裏通りと言えばバス通りに並行する住宅街のなかの通りをいう。ここは藩政時代の二平瓦ぶきの土壁も残っている古い通り、車の往来は少なく静かで穏やかな生活道路、裏道の感じは無い。

 そんな裏通りで下校中の小学生が「この字はなに」と道路標示の文字を指さしている。「交差点注意の意」と少し学年の上らしい子が教える。意の字が道路工事で半分切り取られたままになっている。そういえば工事終了後に半分になった文字を何かに使えるかもと撮ったことを思い出し、パソコンを開く。おおよそ2カ月くらいに撮っている。うかつにも気づかなかったが、子どもらの通学路でもあることを思えば早急に正しい表示をしてほしい。

 そう思いながら、本通りならのんびり伸ばすことは無かろう。これが裏通りならではの様子かもしれないが、欠損した「意」を見ていると裏通りなど「意とせず」「意に介せず」では困ると強く思う。
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ニュース速報の陰で

2016年09月11日 | 地域

 地元紙の1面トップは「カープ優勝」の真赤な色の5文字が横見出しで並ぶ。セリーグ7度目の優勝ではあるが、1991年山本浩二監督いらい「25年ぶり」となると、地元の喜びと熱気は並たいていなものではない。その一つ、優勝セールの盛況映像に見られる。昨夜はNHKが放送、優勝決定と同時に「ニュース速報」で広島の25年ぶり優勝を流した。

 優勝に至ったのは「監督・選手・フアン」の一体感だろう。さらに個々の持ち場でその役割に徹した選手と球団関係者の力が繋がった、そんな一つのエピソード。丸や新井など選手のバットの振りは鋭く、先行されても安心して戦況を見続けられた。それを支えた打撃投手は炎天下でフリー打撃に100球前後投げた。石井ら打撃3コーチは練習後「ありがとうございました」という言葉を欠かさなかったという。打力アップへ、その一言でまた頑張れたという。

 同じユニホームを着ながらヒーローとしてお立ち台に上がることも、試合中グランドに姿を見せることもなくチームの進撃を黙々と支えた裏方さんの声も聞きたい。技量と知恵を自負するトレーナーがチームのため意思統一をしたことが、選手の離脱による戦力低下を最小限にとどめたという。

 プロに求められるのは「心技体」、野球では「走攻守」が加わる。昨日の試合も「走」を怠っていれば戦況は変わったかもしれないと素人評。ドーム球場が広島での試合かと思わせるほど赤く彩られていた。プロ精神に徹した試合運びがフアンを呼び込む。CS戦、日本シリーズと最強への途はこれから、チーム一丸となった邁進を期待する。
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