後期高齢者医療制度、この表現をめぐって小さな論争があった。注文をつけたのは時の福田首相、舛添厚労大臣は「長寿医療制度」とすることをきめた。後期という表現が末期といわれているようだという声が大きかったと記憶する。呼称は変わっても法的には「後期高齢」は存続している。間もなく前期から後期に変わりますよ、と「後期高齢者被保険者証」が送付されてきた。
これまでの国保の保険証はカードサイズで持ち歩きには便利だった。送られてきた保険証はこれまでの大きさの倍以上となり驚く。サイズは写真のL版と同じで持ち歩きに不便な予感がする。男性もセカンドバックを持ち歩かないといけなくなりそうだ。大判になったのは置き忘れや紛失防止、そうした時の探しやすさへの心遣いだろうと感謝しよう。記載文字も太めになった。
後期高齢者をもじって「光輝高齢者、考記向励者」など同音異語の造語で後期を輝いて生き抜く宣言をされている人もある。自分流に思案中だが、無い知恵があれもしたいこれもしたいと望む。縮小はあってもこれまでより拡大することは出来ない。一つか二つくらいの想いを、元気で過ごせるコンパクトな造語にしてみたいと考え中、後期入りの日までには何とかしたい。
少子高齢化、言われ始めて長い年月が過ぎたもののその具体的な解決策はまだ無い。一方で団塊世代が高齢化入りすることで医療費増の心配も報じられる。ある統計では、私がもし長寿で100歳になれる(2040年)としたら、その時の65歳以上者は人口の50%を超える。それを見届けてみたいがどこまで生きるか生かされるか誰にも分からない。