日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

100

2014年06月20日 | エッセイサロン
 

 100とは「10×10」とか10の二乗など、数の多いことをいい表す数字として使う。かっては多大な財産を持つ人を「100万長者」と呼んだが、今は単位が憶以上に変わった。とはいえ、100は縁起のいいもの、子どもころは試験の100点は最高の喜びだったが、さて何度経験したことだろう。100回もないことは確かだ。

 そんな100、所属する「岩国エッセイサロン」の月例会が今日、100回を迎えた。2006年3月が第1回、5人の同人で始まった例会がその源流になる。毎月、欠かすことなく開かれ、毎回の例会資料はキングファイル3冊になる。私は途中入会で第7回の例会から出席、入院で1回欠席したので93回出席したことになる。

 100回目の例会は「第5回 エッセイ教室」として通常の例会と少し内容変更で開かれた。教室の講師は、毎日新聞山口支局長で、はがき随筆選者。会員の季節にちなんだ250字の創作エッセイについて、厳しくて優しくて丁寧なポイント講評を受けた。改めて投稿の意欲をたぎらせる。

 100回記念の宴は講師も参加の和やかな会食。私が勝手に作った100回記念の手製新聞「花水木」を宴の途中で配布、させてもらった。新聞の存在はサプライズ、皆さんに喜んでいただけたようだったのでほっとした、としておこう。100回記念の例会については改めてまとめるとする。
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ひとり言

2014年06月19日 | 生活・ニュース


 こう家の庭にやってきたのは東京で地下鉄サリン事件が起きたころだから、かれこれ20年たつ。あの時の裁判は今も続いているというから罪の重さを感じながら被害にあわれた方の心中を察する。

 私の名前はツゲ。庭師は「これは数十年ものです」と主に説明しながらの庭に植えた。主は自分と同年配という偶然を喜んでくれた。それから毎年、主は剪定と言わず枝切りと言いながら、年1度、剪定用の鋏で刈ってくれる。

 今年も、各段とも葉や枝が茂り重く、風の通りも悪く梅雨と合わせ鬱陶しい樹形になってる。先日から蜂が巣を作ろうとしてる。そんな私を見上げる主の顔から枝切りの近いことを予想していた。照れば夏日のような気温予想の日、仕事着の主が枝切りの準備を始める。昨年、剪定中にケガされた元上司のこともあり、今年も脚立の立て方など気を使っている。


 今年はどうしたことか、丸裸にちかい枝切りになった。軽く涼しく気持ちよくなったものの、少々の違和感を感じている。何か大きな心境の変化でもあったのだろうか。上から2段目の枝が1本、先日のこと枯れて折れ、歯抜けのような樹形になったばかりで、大胆な刈り込みとあわせ少々面喰っている。さて、これで夏が越せるのやら。この庭に移ってからプロによる剪定は、まだない。
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葉の上の興趣

2014年06月18日 | 地域


 岩国レンコンの出荷量は全国で4位と載っている。レンコンの穴は8つが相場だが、岩国で栽培されるレンコンの穴は9つある、このことは地元の人は誰でも知っていて、買うときは穴の数を確認して地産地消をしている。スーパーに並ぶ地元産は泥の付いたものが多い。これは光や空気からレンコンを守り日持ちさせるためという。贈り物にするには泥つきがお勧めです。穴が9つ、見通しが良いことも喜ばれます。

 植えつけの終わったハス田、その成長の度合いは、ようやく水面に特徴ある葉が見え始めたもの、すでに一人前かと思わせるような茎と葉の成長した田など、植えつけ時期の違いだろうか、見かけに差がある。ハスの大きな葉はにわか雨に出合った時の傘の役目になる、そんな絵を子どものころには見ていた。差した経験はないが子どもには重そうに思える。

 昨夜からの梅雨らしいしとしと雨が昼ころもで続いた。その雨がハスの葉の上に溜まっている。ハスの葉は風まかせに揺れる。溜まった雨水はその葉の上をひと塊となって葉の揺れるままに転がる。勢いよく転がりヒヤリとするが、向きを変え、落ちることなく別の方に転がる。葉の裏にびと仕掛してあるような光景。

 梅雨のないといわれる北海道で雨の日が続いている。札幌では6月としては記録となる14日連続の雨予報が出ている。また、東日本以北の各地で集中豪雨にヒョウ、竜巻など各地で大荒れの模様、その原因は気象予報で詳しく解説される。しかい、それを聞いても対策の手がないと被害は防げない。復活台風もありしばらくは気の抜けない空模様のようだ。それでも明日の天気は回復の予報、あれも、これもと家事が待っていそうだ。
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マッチの明るさ

2014年06月17日 | 生活・ニュース


 私は禁煙して30年を近くなる。まだ、喫煙しているころの知人にパイプタバコを楽しむ人がいた。詳しいことは記憶していないが、見ていて面白そうだった。葉をもんでそれを詰める。もみ方や詰め方で味が変わると話ていた。それを真剣にそして慎重に、しかし楽しそうにその行為をする。次に火を点ける。それはライターでなくマッチ。火がつくとひと息して詰めたタバコの表面をなぜるように回しながら吸いっていた。

 そのマッチは「パイプマッチ」。あたかもパイプタバコ専用マッチのように化粧箱にシンプルなパイプが描かれていて、パイプ族の必需品化していたのだろう。マッチを擦るとき、風を避けるようにしながら胸に向けて擦っていた。巻きタバコは吸った煙を溜息をのように吐き出すが、そうではなく、ゆっくりとくゆらせる。さも美味そうに見える。そばにいると、少しきつい匂いだったように思うが、当人はタバコを味わう楽しむ、そんな風だった。

 我が家は灯明用に毎日使うのでこのパイプマッチを欠かしたことはない。灯明用のライターも備えているが使っていない。擦るとサット点く、そしてローソクに気持ち良く火がともると、一日を無事に終えたと感謝する。

 「マッチ1本火事のもと」は子どもころの防火用語。今でも火遊びは厳禁だが、そうでなく必需品としてのマッチを知らない子、知っていても擦れない子、親が擦らせないこともあろう。便利さの中で伝る文化も大きく変わる。でも「アンデルセンの「マッチ売りの少女」の話は、マッチの明るさを知ってこそ、その真髄が伝わるのではなかろうか。保護者のもとでマッチの明るさを体験させてもらいたい。
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ウグイスを見た

2014年06月16日 | 自然 季節


 ある中学校の校庭のそばを通りかかったとき頭上でウグイスの鳴き声。鳴き声の場所は校庭に植えられた樹上、葉は茂っているが隙間もあり青空も見える。声は聞いているが姿を見たことはない。立ち位置を変えながら見上げる。規則正しい間をおいて鳴き声は続くがやはり姿は見えない。あきらめて立ち去った。

 この話をしたら、「野生のウグイスの姿を見た人は少ない」と返してくれたのは畑仕事が趣味の知人。春告鳥の異名を持つホトトギスは、昔の農家の人は春の季節の到来を告げる鳥と喜ばれた、との言い伝えも残っているという。気象観測の進歩で鳥の声で農作業をすることはなくなったが、日本の風景には欠かせないスズメほどの大きさの鳥という。

 裏通りで自治会の用事をしていたら頭上でウグイスの鳴き声、茂った樹木などない場所なので、さてどこかと見回すと電線に止まっている鳥の声、間違いなくウグイスの声。手のひらサイズのデジカメ、無理は承知で点ほどの鳥を撮る。しばらく見ていたら、別の1羽が近づいてきて、そばに来たと同時に並んで飛び去った。野生のウグイスを見た人は少ない、という話を思い出し、少ない1人に加わった、それも同時に2羽、年甲斐もなく喜ぶ。だが、点の状態で見えたので色や姿かたちは分からず、見ないと同じかもしれない。

 ウグイスの飼育は足利義政の時代にさかのぼるという。一時禁じられたが徳川時代にはそれ専任のお役があったという。飼育したということは人にもなつく鳥なのだろう。でも、庭木に餌を置きメジロのようにウグイスを呼び寄せた話は聞かない。梅にウグイスといわれるが、ウグイスは虫を餌にし花の蜜は吸わないとある。人間のこの取り違えについて感想を聞いてみたいが物言わぬ野鳥には無理な注文か。
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贈り物

2014年06月15日 | 生活・ニュース


 賃金も上昇した、夏季賞与も増額、調子いい部分はニュースになる。年金生活者はどうか、6月振り込み通知で支給額減を実感、さらに国民健康保険料も介護保険料も増えた。東日本大震災の復興税は1月から向こう25年間支払い、消費税は4月から税率アップしている。アップアップにならないようやりくりしなければ。

 CMも母の日ほどの賑やかさは感じないが、それでも店内のそこかしこに「父の日」の張り出しが目につく。景気は回復基調というから売り上げは伸びただろうか。景気回復感は庶民生活にはまだ届かない、実感として感じるものが薄いなかで、父の日の贈り物が届くとやっぱりいい気持になる。

 父の日は、米国で母を早くに亡くし父に育てられた子どもたちが、母の日があるのだから父に感謝する日も必要として始まったという。日本では終戦後の1950年ころから広まりはじめ一般的になったのは1980(昭和55)年ころというから、オイルショックの苦難を超える目安がついたころ、そのころの日本のお父さんはみんなよく働いた。心から「お父さんありがとう」と言える時代だった。

 そのころから少子化への兆しはあった。国内経済の成長と社会の欧米化への加速がさらに少子化への速度を速めた、と思っている。このまま進めば父の日、勿論、母の日も祝えなくなる。そんななことではFIFAの大会にも参加しずらくなる。若い人の奮起をに期待しながら日本第1戦のハイライトを見る。
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農薬の功罪

2014年06月14日 | 生活・ニュース


 知人は借りた菜園で野菜作りを楽しんでいた。まもなく、その菜園の周辺で野菜作りを楽しむ人からクレームが来た。クレームを出さざるを得ない皆さんの気持ちはよくわかる。そのクレームは、無農薬野菜を作るためとして「一切、農薬は使わず、菜園周辺の除草もあまりしない」という徹底した放任菜園に対してだった。

 畑仕事がなくても土に足音を聞かせ、葉の色を見るために菜園を訪れる人らから見れば「何をしているの」と言いたいだろう。さらに、農薬を使わないので虫類の来園は思っただけでも相当だろう。隣接の菜園は農薬を使っているとはいえ、虫の被害が及ばないわけがない。それを受け入れられない知人は野菜作りを止めた。

 庭のプランターに植えたキュウリの葉にも虫食いの穴がいくつかある。水やりの時などには虫を捜す。小さなテントウムシや緑色のカメムシなどを見つける。カメムシは保護色のようで、葉裏を覗こうとして押さえ臭いお返しを浴びた。しかし、葉を食べる姿は見ていない。虫はこれからの季節に盛りをむかえるが、キュウリのなり具合には影響ないだろうから殺虫剤は使わない。

 先日、農園作業でジャガイモの葉に乗っている1匹の虫、葉と同色で見つけられにくいと思っていたのだろうか、シャッターが降りるまでじっとしていた。農園の周辺も宅地化が進み、農薬使用は遠慮している。それだけに虫には喜ばれる場所なので白菜などの葉物のは植えない。農薬の残留量が問題になることがあり、安全安心な食材への要求はとどまることはない。農家の気づかいは大変だ。
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元気くれる通学児童

2014年06月13日 | エッセイサロン
2014年06月13日 中国新聞「広場」掲載

 「来た、来た」と登校中の小学1年生が、狭い通りの傍らによけて並ぶ。待つほどもなく、近くの幼稚園の送迎バスが来る。

 通り過ぎるとき、車内の先生の名前を呼び一斉に手を振る。卒園生の思わぬ声掛けに、先生は笑顔で手を振り応える。

 入学時は、黄色のカバーを掛けたランドセルが、少し大きいと思っていた。

 それから2カ月余り、大きめのかばんも体になじみ、登下校の様子も安心して見れるようになった。成長したなと感じる。

 毎朝、元気な会話を交わし、時には立ち止まって、身ぶり手ぶりで話し合う姿が微笑ましい。

 高齢夫婦のわが家。子どもの声が家の中から消えて久しい。しかし、近くに若い人らの新築が増え、児童数も増している。

 おかげさまで、朝夕の子どものはつらつとした声に、夫婦で、元気をもらっている。いつまでも子どもの明るい声が続くように、と願いながら見送っている。
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リモコン慣れ

2014年06月12日 | 生活・ニュース
 


車庫のゲートは上下に作動させて開け閉めする。手動でも可能だが、都度、車の乗り降りして操作は面倒、特に雨ふりなどは難儀でもありリモコンを使っている。リモコンは優れもので20メートルほど手前からでも作動する。その指示通り作動していたリモコンが、春過ぎころから気ままな作動をする。カチカチとON・OFFを繰り返すとまた作動をする。そんなだましだましにでなんとか作動し、ゲートの開閉が出来ていた。

 だんだん気ままな作動が長期になりだしたのでメーカーに相談する。点検に見えると恐れるのか作動することもあり確かな原因がつかめない。リモコンの新品でも作動しなくて、不調の原因は受信部の基盤劣化ということになった。ゲートの駆動部は異常ないので、受信基板を交換すれ作動するというメーカーの話。

 基板はゲートを支えるアルミ製の中空の柱の内部に取り付けられている。ゲートを設置して20年目、柱に屋根はなく年から年中、外気の思うままにさらされている。劣化するなという方がおかしい。「この機種は廃盤になっているので基板を作成するので修理までに少し時間がかかる」という。そっくり新機種に交換するよりは安くできる。

 基板の取り換え工事だけかと思っていたら違った。無償の部品交換、駆動部の点検・調整に清掃、リモコンの作動確認など、黙々とこなす2人の作業者。予定時間通りに終了した。最近の家電はリモコン化され、身体を動かさなくても用がたせる。良いことかどうか、便利なさに慣れ過ぎたことを顧みた2週間だった。
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1枚の写真から

2014年06月11日 | 生活・ニュース


 購読紙に自分の写っている写真とそれにまつわる思い出を短い文章と一緒に載せる「思い出の1枚」というコーナーがある。大方の写真は、服装や周囲の風景、説明などからセピア色ではないかと思いながら読んでいる。時には経験したような懐かしい話題もあり、投稿者の年齢を改めて見直すことも多い。

 掲載の写真は集合写真が多い。添えられた文章は思い出とともに、その時に思いの適わなかった時代背景や家庭の状況、受けた恩愛への感謝、今、思い出して楽しくなることもあればそうでないことなど人様の人生の一片を見る。「出来なかった」「して上げられなかった」という自己に批判的な評価の内容が意外と多い。謙虚な気持ちだろうが、セピア色に変わるほどの長い時間でそれらは寛容されている。

 小学生が宿泊研修の初めに記念写真を付き添いのカメラマンが撮っている。何十年かが過ぎクラス会や同窓会などを待ちどうしく感じるころ、今日の1枚にどんな思い出が残っているだろう。写真なんて生まれた時から撮られ続け、小学生もデジカメを使い、動画も自宅で見れる時代に変わった。今、セピア色の写真に思いをはせている者の気持ちは分からないだろう。でも、分かるときがやってくる、人の営みは繰り返しだから。

 どの児童も屈託のない笑顔で緊張感無く撮られている。彼らと同じ学年頃に撮った私のクラス集合写真もセピア色、今はない背景に写っている校庭を懐かしみながら友らの顔を見る。緊張の坊主頭とおかっぱ姿の顔が並ぶ1枚は朝鮮戦争の始まったころ。戦争を知らない子らにそれを味わせることのない世作りが必要だ。
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