「昨日、二次会はどけに行った」「しらん」「どこに行ったかしらんのか」「しらん」、落語なら続けてもいいが、会話ならこのくらいにしておかないと険悪な状況になりかねない。しらんは「知らん」でなく「紫蘭」という店。近所の花畑に紫蘭が盛りのころ、通りすがりの人が「いい花なのに、しらん、では可哀想」という会話を聞いて現役のころよく行った店の名前を思い出した。
その店は小さなビルの3階にあり、7、8名も座ればカウンターは満席、ママ一人が応対する。商売気が薄いのかオーダーしないと飲み物もつまみも出ない、払う側からすれば頼みもしないのに次々出されるよりはいいに決まっている。そのつまみは手作りの惣菜風の品が多かった。この店は心やすい仲間と飲むことに決めていた。
店のカラオケは性能がいい、とはカラオケ好きの仲間の評価、みんなよく歌っていた。ママも歌は好きで、デュエットではマイクをよく握らされていた。ソロは歌手の気分になっての熱唱のようだった。マイクは苦手な私は聴き役が多かったが、歌うときは合いの手のように歌って助けてくれていた。
バブル絶頂期のころの繁華街はにぎやかで、人口比日本一ともいわれていたタクシーの数でも「嬉しい悲鳴」とは親しい運転手からよく聞いていた。定年になって10数年過ぎ、とんとご無沙汰になった繁華街、今、あのお店はどうなっているか、それはつれないようだが「知らん」となる。