手術の速さをその技量の優劣として問うたのは山崎豊子の「白い巨塔」の財前医師だったように思う。今、流行の医師ドラマではそうした筋書きはなく、先進高度医療をどう展開するか、そこに医師間の争いや様々な人間関係を交叉させている。必ず神の手といわれるような若い超スパー医師が存在し、どんな救急患者でも救命できる筋書きになっている。
そんなドラマをたまに見ると、スーパードクターもスーパー医療機器も簡単に誕生しているような錯覚に陥り、救えない命はないと思わせる。科学技術の進歩で機器開発のスピードは速まっているだろう。そうした機器操作は若い医師ほど習熟速度は速いだろう。そこに己がすべてに万能と思いこむ落とし穴がある。ドラマではエリートと呼ばれる医師の「町医者が」というニュアンスがよくある。
地方で昔の救急医は町医者と呼ばれる人たちだった。雨でも雪でも、夜中でも、木枯らしが吹いていても黒かばんをさげて往診。一人で診察し必要な処置をする。見守る家族はもとより苦しんだ患者に安心感を与えて帰る。そんな個人の努力の積み重ねが町の多くの住民を救った。
毎日、遠くで近くで鳴る救急車のサイレンを聞かない日はない。今日も片側1車線の道を逆走で病院へ急ぐそれに出合った。すべての車が救急車を優先させている。当然といえばそうだが、見ていてたやはり爽やか。サイレンの音が、ありがとう、に聞こえる。