100とは「10×10」とか10の二乗など、数の多いことをいい表す数字として使う。かっては多大な財産を持つ人を「100万長者」と呼んだが、今は単位が憶以上に変わった。とはいえ、100は縁起のいいもの、子どもころは試験の100点は最高の喜びだったが、さて何度経験したことだろう。100回もないことは確かだ。
そんな100、所属する「岩国エッセイサロン」の月例会が今日、100回を迎えた。2006年3月が第1回、5人の同人で始まった例会がその源流になる。毎月、欠かすことなく開かれ、毎回の例会資料はキングファイル3冊になる。私は途中入会で第7回の例会から出席、入院で1回欠席したので93回出席したことになる。
100回目の例会は「第5回 エッセイ教室」として通常の例会と少し内容変更で開かれた。教室の講師は、毎日新聞山口支局長で、はがき随筆選者。会員の季節にちなんだ250字の創作エッセイについて、厳しくて優しくて丁寧なポイント講評を受けた。改めて投稿の意欲をたぎらせる。
100回記念の宴は講師も参加の和やかな会食。私が勝手に作った100回記念の手製新聞「花水木」を宴の途中で配布、させてもらった。新聞の存在はサプライズ、皆さんに喜んでいただけたようだったのでほっとした、としておこう。100回記念の例会については改めてまとめるとする。
場を盛り上げようと一生懸命努力されておらるれお気持ちに刺激されました。
帰宅してあらためて妻と読み直しました。
今日は早速の掲載、おめでとうございます。
母の好きだった花で墓を飾る、いや埋めてあげる、母思いの心を言外に感じます。、
いろいろとご心配のおかげとお礼申し上げます。
新聞、喜んでいただけ幸いです。
次の新聞作成、何かありましたら情報をください。
そして、記念の手作り新聞。大変なご苦労があったことと思います。
それもこれも、代表をはじめ多くの仲間がいて、楽しみながら今日を迎えた証だと思います。
100回記念として、ファイルにバッチリ収めました。
有難うございました。
これを機に再び燃える集団になることを願っております。
稚拙な新聞ですが、ファイルいただき喜んでいると思います。ありがとうございます。