日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

いっぷく

2012年06月10日 | 生活・ニュース
           

 「煙草をすわなくなって足掛け30年」になる。禁煙や絶煙などの宣言はしていないので「禁煙何年」とは言わない。そのきっかけは、休日の朝、買い置きが切れていたことだった。出かけたときに買えばいい、それが喫煙との縁切れ。だから、再び喫煙派に戻っても約束を違えたことにはならない。いま思えば大きな苦労なく禁煙の道を走ったようだ。

 「一服しよういね」、仕事の切りがよくなった時のタイミングよかったリーダーのひと言を思い出す。喫煙者もそうでない人も背筋を延ばしちょっと席をはずす。しかし、効率が声高になりIT化が進むと事前の資料送付などで会議などは時間短縮となる。さらに喫煙者の減少が進み「一服」は死語と化していった。

 喫煙者への社会の制裁は日を追って厳しくなっていく。各地・各所で喫煙の禁止が増え、愛煙家には気の毒な社会に変わった。喫煙すれば過料を徴収されるとこもある。かって喫煙の経験があるため、その効用を理解できるところもあるが、そうかといってこの世情、それを勧めるつもりはない。

 禁煙推進の大きな理由に喫煙者はもとより、副流煙での受動喫煙による健康被害防止がある。副流煙は主流煙より癌への影響が高いという。子どものころ、煙管で「きざみ煙草」を吸う祖父のそばで、家に1台しかないラジオを聴いていた。どのくらい副流煙が蓄積したのだろうか。煙管の中のあのべとついた「やに」を思い出すとぞっとする。

 市内にも幾つもの禁煙ゾーンがあり、破れば過料を科せられる。錦帯橋周辺の禁煙ゾーンではポイ捨てされたものを見かけなくなった。喫煙者のマナーがうれしい。高額煙草にして禁煙推進という提案もあったが、闇に追いやるような施策は良しとしないだろう。そんなことを公園の喫煙指定場所のベンチに腰掛け思っている。 
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誤解の解き方

2012年06月09日 | 生活・ニュース
           

 梅雨入りで心配された天気は暑い日差しになり帽子に日傘の姿が急に増えた。、吉香公園の菖蒲祭りは多くの催しがあり人でも多く賑わっている。そんな公園の観光スポット、そこは宮本武蔵との決闘で敗れた佐々木小次郎像そばでのお話。

 佐々木小次郎像を背にして3人の子どもさんの写真を撮られていたお父さん、剣豪好きなのか子どもにポーズをつけながら楽しそうだった。そばで小次郎像の説明を読んでいたお母さんが「小次郎は岩国の出身だったんだ」とお父さんに話しかけた。「だからツバメ返しの柳の木があるんだ」と納得した様子。

 私はそんな会話を聞きながら像のそばから菖蒲池を撮っていた。お母さんの話を聞かれたのか高齢の男性が「小説での出身地」という話を丁寧にされる。そばにいるので話は聞こえる。

 吉川英治氏の小説「宮本武蔵」では、小次郎は岩国で生まれ母から家伝の長光の刀(別名 物干し竿)を授かり、錦川のほとりの柳とツバメを相手に独りで工夫し、努力を重ねて「ツバメ返し」を編み出した、こんな話になっている。だから、小次郎が岩国生まれというのは小説の中での話しです。

 お母さんは聞き終わって「そうですか。よく分かりました。有難うございました」と笑顔で男性との会話が続いていた。男性の話し方は教えるとか説明するとかいうではなく、穏かな口調は「お話し風」。どちらにお住まいの方か知らないが、つい聞き入ってしまうその話術、翁の風格、立ち聞きだったがひとつ学んだ。

 宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘から400年目、下関市の巌流島は賑わっているという。
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梅雨入りの日

2012年06月08日 | 自然 季節
           

 朝、6時過ぎくらいから小雨が降り始め、8時過ぎの出かけるころにはかなりの雨量を思わせる強い降りにワイパーを最速にするときもあった。昨日からの予報どおり山口県も梅雨入り、その勢いはすさまじく、一気に東海地方までそうなったという。梅雨さんは何を急いだのだろうか。

 陶芸教室は送迎バスの都合で自家用車に乗り合わせで参加。国道から海抜500メートルにある施設まで約6キロの山道を上る。自然の悪戯か梅雨入りの雨と濃霧。車の所在をはっきりさせるためライト点灯、フロントの曇り止めON、低速の安全運転。同乗者に万一のことがあってはといつにもまして慎重な運転で上った。

 今日は手が届くくらいまで霧が窓に近づいている。普段は施設の食堂の窓からは瀬戸内海が眺望できるが、それに邪魔され白っぽい世界が視界をさえぎる。3週間ぶりくらいの本格的な雨、畑にはいい潤いと教室仲間の会話が聞こえた。その雨量、市街地の夕方までの雨量は40ミリ近く、山間部ではそれ以上に達している。

 6月下旬から7月の中旬くらいまでは例年より多い降雨見込み、夏休みの始まるころには梅雨明けという予報が出ている。最近はあまり経験の無い、予測できない大きな自然災害が多く、それにともない被害も比例している。避難路や非常持ち出しの日ごろからの確認を言われるが、新たな気持ちで取り組んでおく必要がありそうだ。

 プランターの野菜や花たちは水道水を貰うより雨の方を喜んでいるように見える。それが自然ではあるが、降雨だと水遣りをひと休みでき、3者3様の喜びがある。明日からは吉香公園の菖蒲祭り、天気もだが、ひとつ気になるイベントがある。さて行けれるかどうか、まだ決まっていない。

 
 
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弔意

2012年06月07日 | 生活・ニュース
 多くの上司の基で仕事をし定年となった。

 私の理想とする上司像は、真摯な職務姿勢で責任を全し、部下を指導しその能力を引き出し向上させる、そんなことだった。こうした思いは、年を重ねるにしたがって出来上がったイメージでもあるが、勿論、そこにはガチガチでなく人間性を持ち合わせていることは欠かせない。

 昨夜、在京で現役の元同僚からメールと電話で、心から信頼していた上司だったお一人が病で亡くなられた、と報せがあった。驚きと寂しさ、かっての職場が交錯し目がさえていた。

 仕事以外では、こよなくご家族を大切にされていたことを思い出す。遠く離れていて直接お悔やみを申し上げられないことが残念でならない。

 ご冥福をお祈りいたしますとともに、これまでのご指導に心から感謝申し上げます。
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長~いお休み

2012年06月06日 | 生活・ニュース
           

 隣家の壁を背景によく伸びた我が家の槙の葉が目に付く。やわらかな葉に見合ったような緑はさわやかではあるが、見苦しい。もうすぐ梅雨、切り落としてさっぱりさせてやろう、そんなことを思った日の朝、ブログめぐりで見慣れない画面が現れた。

 順調に巡っていたのに、それはサイドバーの無い画面に出会った。「おや」と思いながら、一瞬パソコンを疑ったが、そうではない。よく見るとブログタイトルは同じ、トップの記事も見覚えのある内容、アドレスも変わっていない。そこまで確認して思い出した。

 長~い間、更新の無いブログについては画面が変わる、そんなお知らせのあったことを思い出した。見ると確かに長期休暇のブログだった。「今日もお休みか」そう思いながら特に気にもしないで次へ回っていた。停まっています、とい呼びかけの画面を見ると「どうしたのですか」と声を掛けるのが親切なのだろうか。出会った時には会話をしているから病気はされていない。同じ画面が以外に多いことに気づいた。
 
 世では剪定と言われる巧みの技術だが、我が家では年1回の切り落とし作業、脚立に上って鋏を使う。鋏は我が家にやってきて20年位にもなる一応剪定用を使う。作業で気をつける1番は転落しないこと。何度も脚立の揺れと足の位置を確認してから鋏を動かす。したがって槙の形は2番目になる。これも長~いお休みの後の作業ゆえ仕方なし。

 パソコンの中には仕掛り中のものがいくつかある。そんな中で1年ほど前に訳あって中断した企画が眠っている。思い直して復活させようとその準備に入った。終わりは見えないが、長~いブランクを埋めれればと、これまでより少し長めのパソコンとの時間を過ごしている。
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子ども人口零の日

2012年06月05日 | 社会 政治
            

 少子高齢化の更なる進行が日本の前途を見通せない濃い霧に覆われている、という状況は定着している。ではどのくらいのスピードで少子化が進行しているのだろうか。ある方のブログにこんな数値が載っていた。東北大学が2011年4月から2012年4月時点の人口減から算出すると、3011年5月には「日本の子どもがゼロ」という結果になったという。

 驚いた。あと1000年しかない。日本の紀元は神武天皇即位からという。それから数えて今年は皇紀2672年。その半分にも満たない年数で子どもゼロに。1200年先には日本の人口は急激な右下がりで下降する、その先は日本が滅ぶ、という恐ろしいような文章を読んだ記憶がある。何かこれに符合する年数になる。

 少子化の原因は出生率の低下にある。これによる人口減は国勢の衰退になるとして問題になって久しい。出生率低下についての原因もいわれ尽くしているように思うし、その対策も折々に打たれてはいるが、その成果は華々しくない。

 厚労省などの資料で見ると、1980年代中ころ日本・米国・仏国・英国・スウェーデンなどの出生率は同水準だった。しかし日本は以降も右下がり傾向が続く。一方で3カ国は右上がりに転じ、2010年の資料では2.0近くなっているが日本は1.39。最近その傾向がやや鈍ったと伝えらられるが、確かな増加に転じるには時間がいるようだ。

 同じ資料の中に「子どもをもっと増やしたいか」とい項目で、日本は増やしたいと、そうでないが半々、で他国と開きがある。逆に高齢化率は右上がり。こうした現状を救うべき「一体改革」を審議すべき国会の体たらくを知るに付け、国勢の回復には相当な時間、いや相当な年数が必要になる、覚悟せい、どこからかそんな声が聞こえそうだ。
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竹林になりたい

2012年06月04日 | 自然 季節
           

 旬の食材のタケノコは人工栽培はまだできない。このあたりでは孟宗竹の子として収穫する。その孟宗竹から、いま、細くて薄い葉が舞い落ちている。見た目はさらさらと気持ちよさそうで、その姿は詩歌の題材にもなる。

 しかし、竹林のそばに住む者には、散り積もった葉を掃除するのは大変な手間と労力を必要とする。経験した者だけが知っている苦労だろう。雨にでも打たれようものなら、べっとりと重なりくっつきあった合った葉は、土とは張り合わせたようにくっ付いている。こうなると竹箒も役に立たず、乾くまで待つしかない。

 そんなことなど知らない来客から「竹の笹を撒いたようですね」と。ちょっと嫌味に聞こえたが、弁解はしなかった思い出もある。竹の葉はそんなことはお構いなく落ちてくる。もっといいものが降ってくれれば、母は時々そんな愚痴をこぼしていた。タケノコの産地ではこれが綺麗に取り除かれている。大変な仕事と思う。

 そんな竹の葉を上から受けながらもタケノコは、毎日伸び伸びを続け、親竹に負けない背丈になった。いま、きつくなった皮を脱ぎながら、これから竹の葉を茂らし親と同じ姿に成長する姿が見られる。乾燥させた竹の皮で遠足のときむすびを包んで持って行くなど、包装に使われた。おしゃれなお店では器にされているとか。

 この竹、里では畑への遠慮ない侵入で嫌われている。植林された山へも域を拡張している。こうした侵食対策で県税を年500円収めている。成果の上がっていることを信じたい。荒れる竹は竹薮の竹、そうでないのは竹林、これは竹細工を趣味とする人の話。竹林はきっちりと管理されている、竹薮は誰も手を入れない違いがある。錦川そいの竹の茂りを竹林と紹介してきたが、単なる竹薮だった、そう思い直しているこのごろです。 

 
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採らぬ野菜の

2012年06月03日 | 生活・ニュース
           

 プランターのピーマンなどがそろそろ採れそうになってきた。毎日、水をやりながらその育ち具合を眺めている。キュウリも同じだが、ある時期に達するとその速さが見えるように感じる。順調なんだ、とひとり頷く。

 初収穫は大きくならないうちにという菜園先輩の言葉どおりに済ませた。これからはお気に入りまで育ったものを採ればいい。となると欲が出る。どれだけ採れるか分からないがその数を数えてみよう。5月のカレンダーの裏に升目を書き、キュウリにピーマンそしてトマトの収穫日とそれらの個数が残せるような表を作った。

 「そんなに採れる」とは表を見た家内の感想。生り物の収穫が多いに越したことはないが、升目が多い指摘は当たっているような感じもする。まとめて採らずに毎日楽しみに採るようにすれば、表は埋まるかも知れない。裏紙の大きさに合わせて線を引いただけの記録紙、そこから意外な結果を生んでくれることを願いながら水遣りをする。

 大根、たまねぎ、大葉などが届いた。こちらは自家用畑作の収穫品。立派なことは言うまでもない。これに刺激されてプランター菜園も頑張ってくれるかも。「もらい物ですが」と一緒に届いたのはマンゴー2個。こちらは口から遠ざかって久しい。どんな味だったか、と思い起こしている。

 さて「捕らぬ狸の皮算用」と似て同じなることにならぬよう、プランターへ目をむけ可愛がってやろう。
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どくだみの薬効

2012年06月02日 | 生活・ニュース
           

 道端に緑濃い葉に支えられた清楚な白い花、ドクダミが咲き始めるとうっとうしい梅雨入りになる。日陰で湿気の多い場所に多く咲く。家の花畑に植える人はいないだろう。あの独特の葉の臭い、悪臭として嫌われる。しかし、薬味をたっぷり蓄えたそれは今も重宝されいる。

 これを乾燥させ煎じて飲む商品がスーパーではお茶などと同じ棚に並んでいる。祖母は家庭薬として保存するため水洗いしたそれを軒下で陰干しするのを子どものころには見ていた。からからに乾くとあの臭みは消滅している。夏場には煎じて冷たくしたものを水代わりに飲んだ。腫れ物のに貼っていた。祖母が亡くなってからはその家庭薬は途切れてしまった。

 「どくだみ」は毒を矯る・止めるの意味という(広辞苑)。「どくだみ」と入力して変換すると「蕺」と現れる。それをプレビューで見ると何故か「傷s」に文字化けする。何度繰り返しても同じだった。文字自体に毒があり本来の意味の「毒を止める」働きをしているのかも、などと空想を広げながら、公開したら正常な表記になっていた。

 「おいでませやまぐち」と入力し変換したら前半が「老いで増せ」となった。国勢調査で高齢化率の高さ全国4位(前回は5位)の本県の将来を占ったかのような表現。驚いて誰に教わったか聞き返してみたが、PCは答えはなかった。この夏、県民は炭酸飲料の代わりに揃ってドクダミを煎じて飲む、特に若い層に期待。そしてその薬効で県勢を盛り返す、そんなことは夢だろうか、と空想する。 
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衣替え

2012年06月01日 | 生活・ニュース
           

 季節の変わり目に衣服を替える習慣は古くからある。6月と10月のそれは季節の風物として欠かせない慣わしとなっていた。制服の学生や生徒には欠かせないいでたち(装い)だったが、最近は個性の尊重と衣服の豊かさなどで、古い習慣のようにいわれることもある。区切りとして気を入れなおすにはいいころあいなのだが。

 と、いうわけでもないが、我が家も外壁を塗りなおしたので、色変わりした古い簾に暇を出すことにした。寸法を測りホームセンターで物色する。我が窓に合うものは1種類だけ並んでいる。値段はころあいだが、樹脂フィルムでガッチリ巻かれており、品質の確認はできない。天井に展示してあるが、手の届くところではなく確認できない。この手の品物の品質低下を経験しており懸念したが、他にないので購入した。

 懸念はずばり当たった。これまで手にしたことのない粗末なつくりは「中国製」。誉めるところはどこもない。中国製で値段が値段だからと思えば腹立の収まるのが不思議。どこの誰の発注か知らないが「中国製」だからとあきらめる様な品を提供していると、大きなしっぺ返しを受けるだろう。この次からはもう買わない。

 「安物買いの銭失い」、結局損をすることになるという諺と同じことをしてしまった。今回は選択肢のなかったことを言い訳としておこう。英語でも「一番安いものが一番高い」というそうだ。東西を問わず似たことはある。 

 1875年の今日、明治政府が東京気象台を開設した日で「気象記念日」。梅雨入り近し、雨情報をしっかり頼む。気象予報用の新しいスパコンが導入された。正確でよりきめ細かな情報が期待できるという。豪雨の被害が減少することを願う。
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