日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

注意注意注意

2012年06月20日 | 地域
           

 登校中の児童の列へ車が、身震いする事故が続いた。学校を含む地域全体と関係機関が事故防止について検討、それらの実行を図られれている。いかに立派な対策であっても、最後は運転する者が自覚しなければその効果は発揮できない。

 先日、経験したこと。近くの小学校から下校中の女児が手を上げて横断歩道手前で立っている。同じ歩道を渡るため私も並んで待つことになった。数台の車が適当な間隔で通り過ぎたが、どの車も止まらないどころか、減速もしないで通過した。

 よくあることと思えばそれで腹も立つまいが、通過した車の運転をしていたのは偶然だろうが小さな子どもがいる年齢に見える女性、お母さんたちだ。女児はルールどおり手を上げて合図している。子どもの合図が見えないわけが無い。というのは自分も運転してこの歩道を毎日のように通るのでよく知っている。数台の運転中のお母さん方、手を上げて待っている子供が見えなかったとしたら、安全運転をしていないことになる。

 車を止める勇気は無かったので、車が途切れて女児と一緒に渡った。小学生は歩道の渡り方は学習している。学習したことを実行してもそれを大人が無視し守らないのでは、子どものお大人社会への不信は積もる。発生した一連の事故は大人としてのルールを守れば起きなかった。ちょっとしたミスだ油断だ、では済まなくなる。

 子どもへ躾ける前に躾ける側の責任もしっかしなければ、小さな横断歩道だが大きなことを改めて教えられた。

 
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虫が付く

2012年06月19日 | 生活・ニュース
           

 さわやかな緑の香味野菜、梅雨から夏過ぎまでの食欲減退を救う薬味として重宝される大葉、その大葉をプランターで栽培中。苗は昨年付いた実が庭に落ち、律儀にも今年になって芽を出した。草と間違て抜かないように気をつけ、少し大きくなって植え替えた。
 
 毎日、土の表面が乾けば散水する。聞き覚えの追い肥も適当に施す。心配の虫、同好会の女性メンバーが網目になった大葉を見て、主人に少し残しておいてと虫に訴えたエッセイを思い出し、日に何回かチェックしている。そんなことが効果あるのか、ぐんぐん育ち何度も食卓を飾ってくれた。

「虫が付く」というのは可愛い娘に好ましくない男ができること、を言い表す親の気持ち。例えプランターとはいえ栽培中の野菜が虫の餌になることは可愛い娘に対する親の気持ちと同じ。といって、直接口に入る葉へ殺虫剤の散布はできないので手で駆除するしか方法は無い。これは原始的だが確実な駆除になる。

 いちまい1枚、葉の裏表を丁寧な観察をする。育つと葉の数が増し2本のそれでも当初の時間にすれば何倍か掛かる。網目にしないための時間と割り切る。こんなチェックに虫が恐れたか、そんな自負心を見抜いたのか、朝は異常なかったのに夕方「もぶれついている」虫を見つけた。てんとう虫に似た大きさは1ミリあまり、その下に白い卵状の粒が何十個とある。

 虫の名前も大葉を餌さとするかも分からないまま葉ごと葬った。小さな新葉には気の毒だった。大葉は「人差し指の腹と親指の爪で切り取るのがいい」というのは菜園の先輩。刃物を使うと茎を傷つけることがあるが、指なら安心という。飾りに飾った爪は農作業には適さないようだ。わが爪には何の気兼ねもいらない。
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もてなし

2012年06月18日 | 生活・ニュース
           

 ラーメンを食べながら聞いた隣のテーブルの女性2人連れの話。季節の変わり目に外出着を新調する予定で友達と一緒に地元の店に買い物に出た。お気に入りを探していたら色も柄も値段も「これなら」と感じたので眺めていたときに「安いのは奥にあります」と女店員から声が掛かった。

 女店員は「私が道沿いに並ぶショーウインドーの商品なんて買えっこない貧乏人に見えたので、安くて買えそうな商品のある場所を教えてくれた」と思えば腹立ちさも少しは鎮まるかも、とお店の名前が出た。その人は買うことなく立ち去ったのは言うを待たない。

 名前の出た店は開かずの店になっている。店員が客の何を判断にしたか分からないが、見くびるようではいつかは閉店となるのは当然の結果だろう。ラーメン店のように威勢のいい来店挨拶はしなくても「奥にもいろいろありますから」と店内へ案内する声かけがなぜできなかったのか不思議でならない。昔は競争相手が少なく「売ってやる」的なお店もあった。

 退職してからは徒歩で行ける近くの店を利用しようと決めそれなりに足を運んだ。かっての商店街は名ばかり、ここもシャッター通りに変わっている。急に年取った男が買い物に立ちよっても一元の客扱い、愛想はよくない。警戒されているのか、そんな店もあった。次第に地元へ足を運ばなくなった。商店の活性は先ずそこに働く人の心構え、全てがそうではないだろうが、今日もそう感じた。
 
 
 
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カエルの家は

2012年06月17日 | 自然 季節
           

 田植えの終わった稲田では蛙の合唱が始まった、各地のブログに載っている。おたまじゃくしがうようよ、合唱は日増しにその度合いを増してくるだろうとも。梅雨といえば紫陽花と並んで蛙が生きがいを感じる季節でもある。しかし、蛙のことを言えた義理ではないが、あの姿態にはいまひとつ親しみがわかない。

 そんな蛙は知る良しもないが、気の毒にも「雨蛙の家」という表現があることを知った。蛙がどんな家に住んでいるのか全く知らないが「小さい家」を指す言葉という。これは好色一代男にも使われているそうだから、日本では古くからある言葉なのだろう。

 これと似ているのが何度も聞いたり読んだりした「うさぎ小屋」。これは1979(昭和54)年にヨーロッパ共同体(EC)が作成した報告書の中で、日本の住居について述べられ中の表現。あれは誤訳とも言われが、日本の家は狭いという意味で使われたことは間違いないらしい。第二次オイルショックのその頃は、世界が苦しんだ時代でもあった。

 ところで蛙の家はどこだろう。住む、いや蛙だから棲むだろうが、それを見たこともないし教えられた記憶もない。蛙だから田んぼであったり池や沼、小川であったりと水辺だろうと思う。それは稲田に水が張られるといつの間にか蛙の姿を見始めたのは子どもの頃の記憶、だが家を探したことはない。夏場だけ見る蛙、その寿命は数年から十数年といわれる。やはり棲家は要りそうだ。

 蛙は水辺の草むらに身を潜め、舌を長く伸ばして昆虫を捕らえる、あの大きな口から想像すると稲に寄ってくるかなり大きな昆虫を獲れえられそうだ。稲作に有用な生き物なのか。
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脇の役割

2012年06月16日 | 生活・ニュース
                    

 何度か載せた「トマトの脇芽は切り取れ。切った脇芽を苗として挿しておけ」という菜園趣味の先輩の教え。そのとおり今年も一番最初に処理した脇芽を挿しておいた。日増しに育ち、実になる花が咲き、そこに実が付きマーブロくらいの大きさになった。

 本家の実に比べれば分家らしいく追っかけている。生りはじめた上段にも実になる花が咲き希望が持てる。1から2が生まれた。昨年の経験で本家も分家も味は違わない。しっかり育て、そして実になれと、支柱を立て声掛けをする。

 主枝と葉の付け根から出る芽を脇芽と呼ぶ。「主枝に養分を回して早く実を付けさせるため脇芽を切る」と話してくれたのは菜園の先輩。何か迷惑そうに聞こえる脇、「1番ではない、主ではない」というのが先ず浮かぶ。確かに言葉の意味からかあまりいいイメージは浮かばない。そんなことから脇芽は主枝を助けんがため切られていく。その脇芽を育てる、何かいい事をしている気分になる。

 分家となった脇芽は別のプランターで実を付け始めた主枝になった。ドラマでは脇役がいつか主役の座に着くし、脇役が主役を引き立てている。それにはそれなりの底力と素晴らしい素質を備えているからだ。脇を立派に育てやがてそこを去る、そんな国のリーダーを求めている。 
  
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振り込まないこと

2012年06月15日 | 社会 政治
           

 「息子をかたる不審電話」を掛け、そこから高額な金銭を騙し取る犯罪が後を絶たない。報道で騙し取った金額の多さに驚くと共に、関係機関の不審な電話への対応を知らせることを続けて欲しい。

 管轄警察署のポリスメールでは実際に起きた事例が頻繁に送られてくる。数日前ポリスメールで届いた市内の不審電話。
  「○○だけど、風邪を引いた。」
  「病院に行きたいけど。5万円くらいいる。」
  「僕の友達が後でお金を取りに行く。」
といった定型的な内容。電話を受けた人は不審に思い電話を切断、息子さんに確認され被害に遭われなかった、という。

 我が家も高齢の二人、不審電話は受信拒否に設定しているためか、今までこの種の電話は掛かってこない(本当は金のないことが周知されているのだろ)。といって安心はできない。電話帳未登録者から掛かることは多いが、番号を表示させているので必要なら後で確認が取れる。その前に啓蒙用のチラシを電話機のそばへ掲示している。不審と感じたらすぐに切ることだ。

 県警ではオレオレ詐欺を初めとする振り込め詐欺の被害を未然に防止のため、県内各戸へ電話で詐欺の手口を説明する業務が始まった、とポリスメールで届いた。ローカルニュースでも報道されていた。こうした施策で被害が1件でも阻止できることを願っている。また「サクラサイト商法」という新手の金を騙し取る手口がある。

 報道では被害者は高齢者層に偏っている。これからの老後の生活を考えると、人ごととは思えず胸が痛む。被害に遭わないためにも日々のこうした報道やお知らせなどに注意を払わねばと考える。掛かってきた電話を疑う、寂しいことではあるが、まず被害に遭わないための予防として心したい。
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老桜への労わり

2012年06月14日 | しっちょる岩国
           

 名勝・錦帯橋から吉香公園にかけては染井吉野3000本といわれ、桜咲く季節は格別の演出をして多くの人を喜ばせ楽しませてくれる。そんな桜の木々は、高齢樹から植栽されて間もない若木まで多彩な姿で花を咲かせる。今は来春の花へ向けて準備、老若とも緑濃い葉を茂らせている。

 支柱や添木で支えられた幹、大きくくり貫かれたりそぎ落とされたような幹、空洞になったそこへ竹を生えさせた幹、左回りにねじれた幹、これまでの風雪に耐え、維新以前からの歴史を見つめてきた高齢樹が多い。しかし幹の姿はどうあれそこには見る者へ威厳を感じさせる。

 緑の葉が茂った最近、吉香神社そばの2本の桜の木周囲が真っ白い丈夫そうなロープで囲まれた。聞いてみると長寿が明らかな桜の木を保護するためという。観光地では樹木保護のため根元周囲に保護柵などを設け立ち入りを制限されている。吉香公園には日本でもトップクラスの長寿桜が存在しているという報道のあったことを思い出した。吉香公園の桜にもやっとその策がとられる。喜ばしいことだ。

 ロープ周辺には解説版設置の準備が進んでいるそうだが、どんな歴史を教えてくれるのか楽しみでもある。足を運んでいないが厩門内にも対象の桜があるという。これからは根元周囲の固化を防ぎ施肥などもされ、より長寿の桜となることが期待できそうだ。園内には大樹も多い。いくつかには説明が付いているがこうした解説の充実が進むと、散策の楽しみが増す。

 
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愛情感じた猫の親子

2012年06月13日 | エッセイサロン
 2012年06月13日 中国新聞「広場」掲載

 片側1車線の向こう側に同じような色の子猫3 匹と、その親が並んでいた。どうするのかと見ていたら、親猫が左右に首を振った。

 次の瞬間、親は走って横断を始めた。子猫らは転がるように、その後を追う。渡り終わった親は追ってくる子どもらの様子を見守る。

 無事そろったところで、ゆっくりと草むらへ入って行った。

 親猫が首を振ったのは、車の途絶えを確認し、安全に横断するためのしぐさだった。

 どこでそんな方法を学んだのだろうか。

 猫たちは、人間の都合で捨てられたのだろう。親が子をしっかり守るという尊い姿を見て、なぜか気持ちが温かくなり、逆に人間社会に絶えない子どもへの虐待を少し恥ずかしく感じた。

 もう会うことはないだろうあの猫の親子。梅雨の長雨を避けて休む所があるのか、気になる。

 ペツトは最後まで飼い通してほしい。草むらを見返りながら、そう思った。

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たまねぎからの推敲

2012年06月12日 | エッセイサロン
           

 帰宅したら「留守なので置いておきます。食べてください」と、小さな紙片のメモ書きと一緒に、よく育ったたまねぎの束が玄関においてある。お礼の電話をすると、収穫の帰りに立ち寄られたという。家内は「留守をしていてすみませんでした」と何度も頭を下げる。

 先日、知人のブログに収穫された300個のたまねぎの写真とそのときの様子が載っていた。植え付けから収穫まで何度か載せられたたまねぎ、やっとお日様の光が見えたたまねぎ、収穫者以上に喜んでいるように見えた。味もさぞいいことだろう。

 ローカルニュースで、たまねぎの機械収穫研修の報道を見た。映像では面白いようにたまねぎが転がり出る。作業は楽に、時間短縮も図れるのではと思うが、眺める農家の方の顔は笑顔ばかりでなく、思案されている姿もあった。機械化を採用するとなると考えることが多くあることが伺えます。たまねぎに似た鳥取砂丘の大規模農場のラッキョウの機械収穫者の笑顔を思い出した。

 たまねぎは植えて手をかければ収穫の喜びが味わえる。投稿はできる限りの推敲をしても載るという保証は無い。載るまで分からない。それだけに載れば撒いた種の芽が出たと同じよう年甲斐も無く喜ぶ。それを味わいたくて投稿を続ける。その投稿はわずか数百字、時には天井を見上げながら、あるときは変換キーを繰り返し叩きながら、原点回帰とネタ帖を開きながらと、傍らから眺むれば何してると思われようと、考え考え作っている。それが楽しいのだ。
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清流の恵み

2012年06月11日 | 地域
           

 錦川の鮎つりは6月1日に解禁。名勝・錦帯橋の鵜飼もこの日からはじまる。今年の鵜飼は9月上旬までと少し期間が延びる。来月からは観客増を目的に一晩に2回行われるという。鵜たちへの負担は増すだろうが、観客が増えれば解消するかも。成功を祈りたい。

 毎年、養殖された何万尾もの稚魚が放流され、その様子はローカルニュースでは欠かせない季節の話題になる。見るほうも、その時期になったかと梅雨入り前の到来を知る。それらの鮎を釣るには入漁料を払う。なら天然物を釣るのなら入漁料は不要かといえばそうはならない仕組みになっている。吊り上げる前に養殖と天然の区別はつかない。天然の鮎も漁協の財産ということだが、目くじらを立てることもなかろう。

 錦帯橋下の水の流れは上流に比べ下流側は早瀬になっている。鮎は瀬を上ると聞く。それを待ち受ける釣り人がいる。長い竿が左から右へゆっくり振られる。振れ止まると竿が立てられ左へ大きく振り戻され、再び右へ振られる。それが何度も何度も繰り返される。振れ止まる前に竿が立てられると釣果ありの合図。釣りあげられた鮎は、竿の裁き通り釣り人の持つ網へ飛び込む。いつ眺めても上手いと思う。

 子どものころ、釣り上げられた鮎が2匹いる、1度に2匹釣れたのだと思い込んでいた。いつだったかあれは「鮎の縄張りの習性」を利用した「友釣り」ということを教わった。縄張りに入ってきたおとりの鮎に、体当たりで攻撃してくる鮎を引っ掛ける釣り方という。おとりになる鮎はどうして釣ったのか聞き漏らした。

 鮎にとっては魔の3カ月間だが、季節を味わうその料理は清流があればこそ、川の恵みに感謝して味わおう。

  
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