日々のことを徒然に

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カエルの家は

2012年06月17日 | 自然 季節
           

 田植えの終わった稲田では蛙の合唱が始まった、各地のブログに載っている。おたまじゃくしがうようよ、合唱は日増しにその度合いを増してくるだろうとも。梅雨といえば紫陽花と並んで蛙が生きがいを感じる季節でもある。しかし、蛙のことを言えた義理ではないが、あの姿態にはいまひとつ親しみがわかない。

 そんな蛙は知る良しもないが、気の毒にも「雨蛙の家」という表現があることを知った。蛙がどんな家に住んでいるのか全く知らないが「小さい家」を指す言葉という。これは好色一代男にも使われているそうだから、日本では古くからある言葉なのだろう。

 これと似ているのが何度も聞いたり読んだりした「うさぎ小屋」。これは1979(昭和54)年にヨーロッパ共同体(EC)が作成した報告書の中で、日本の住居について述べられ中の表現。あれは誤訳とも言われが、日本の家は狭いという意味で使われたことは間違いないらしい。第二次オイルショックのその頃は、世界が苦しんだ時代でもあった。

 ところで蛙の家はどこだろう。住む、いや蛙だから棲むだろうが、それを見たこともないし教えられた記憶もない。蛙だから田んぼであったり池や沼、小川であったりと水辺だろうと思う。それは稲田に水が張られるといつの間にか蛙の姿を見始めたのは子どもの頃の記憶、だが家を探したことはない。夏場だけ見る蛙、その寿命は数年から十数年といわれる。やはり棲家は要りそうだ。

 蛙は水辺の草むらに身を潜め、舌を長く伸ばして昆虫を捕らえる、あの大きな口から想像すると稲に寄ってくるかなり大きな昆虫を獲れえられそうだ。稲作に有用な生き物なのか。
コメント (2)
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