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悪名残すとも

2016年01月28日 | しっちょる岩国


 戦国時代の下克上を負けた側から描いた歴史小説「悪名残すとも」(吉川永青著 角川書店)は、山口を本拠とする大内氏の筆頭家老、陶隆房(晴賢)の「下克上をした自分が下克上で倒される」ことを題材にした作品。物語は1540(天文9)年、陶隆房が1万の兵を率いて、尼子氏に責められる大内氏配下の毛利元就の援軍に参じた時の出会いから物語は始まり、1555(弘治元)年10月、厳島の浦で辞世の句を残して完結するまでが作品になっている。

 大内義隆は尼子の本陣・月山富田城の戦いにおいて大敗するとともに養子の晴持(はるもち)を失う。この時より武断派の隆房との関係に齟齬が生じる。これに乗じた文治派の台頭とともに義孝は戦離れする。 やがて舞や連歌、祭事に傾注し、民には天役として再三にわたり臨時に賦課をかし庶民の生活苦を助長させた。隆房はこれに耐えていたが、大内家を再興し永らえるため思料したすえに主君・義隆を討つにいたった。大内への忠節一筋が下克上と称されるに至る。

 下克上とは、下位の者が上位の者の地位や権力を犯すことを指す。隆房の策は一途に大内家の再興と大内家が西国での雄ならんと欲するためで、己が天下を目指す策は無かった。この下克上といわれる騒乱で、隆房に反感する勢力が結集、厳島の戦いとなる。これも輝元の謀叛がなければ隆房(この時は晴賢と改名)の大敗はなかった。厳島合戦の終わり、晴賢と義兄の契を結んだ吉川元春が刀と槍を交える場面は緊張させる。

 物語には、ここ岩国に関係する吉川家存廃に関わること、元就の次男元春の吉川家養子縁組のいきさつ、岩国を統治していた弘中隆包(ひろなかたかかね)など岩国の歴史を知る上で興味ある個所がある。玖珂町にある「鞍掛合戦千人塚」は、毛利元就が厳島の合戦の後、大恩ある大内氏の周防・長門の2国に侵攻した最初の合戦の地に当たる。約460年前の戦、敗れはしたが城主・杉隆泰の戦いは鞍掛城まつりとして今に受け継がれている。

 読後、1600年、戦国時代の終わり関ヶ原の戦いで、毛利を守るべく知略の限りを尽くして奮戦したが、小早川秀秋の寝返りで破れた吉川広家と相通じるものを感じた。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとう (ako)
2016-01-29 20:37:29
興味のある本を紹介してくださってありがとうございました。早速図書館で調べたらありましたので予約しておきました。図書館で本を探すのは時間がかかりますがパソコンで調べるので楽になりました。
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akoさん (tatu_no_ko)
2016-01-30 19:04:04
面白く読みました。
吉川広家を書いた「うつけの采配」とは違った校正ですが、
本家を思う武士の志は似ています。
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面白そうですね (岩太郎)
2016-01-31 18:32:54
久しぶりにネットを巡回してこれを見つけ、早速図書館に予約を入れました。面白そうなので一気に読んでみます。きっかけづくりに助力いただき感謝します。老婆心ながら、大内義孝は義隆 叔父・小早川隆景の寝返りで・・は隆景の養子 小早川秀秋の・・勘違いかと思います。些細なことですが一寸気になりましたので・・。
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岩太郎さん (tatu_no_ko)
2016-01-31 21:06:37
お久しぶりです。
ご指摘ありがとうございました。
負けた武将の生き方、面白くよみました。
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