日々のことを徒然に

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甦れるか岩国七町

2021年03月16日 | しっちょる岩国

岩国七町、いわくに通になろう(岩国検定テキスト)より抜粋。岩国は藩の発展に伴い、城下町も整備されていった。家臣は横山、千石原、川西に屋敷割、錦川対岸の錦見地域には町割りが決められた。中心は錦帯橋の正面に当たる「大明小路」で昔は中級武士の屋敷ばかりで代表的な侍町であった。その西側には「玖珂町」「柳井町」「米屋町(鍛治屋町)」「塩町」「材木町」「魚町」「豆腐町」など、町人が居住する「岩国七町」と呼ばれる町を作った。2007(平成19)年2月16日、財団法人古都保存財団により「美しい日本の歴史的風100選」に選定された。

 岩国市は今年初め、錦帯橋とそんな岩国七町を中心とする城下町を「国重要文化的景観」への選定依頼を文化庁に申し入れたという。指定依頼にあたって報道では、江戸期の風情が残る城下町、風土と人々の営みによって育まれてきた町並みや景観と紹介している。町人が居住する七町も車社会となって何十年、大きく様変わりした。

 写真は玖珂町・柳井町・米屋町・塩町の4つの通りの昼下がり、約1キロが見通せるのだが人も車もその姿はない。これは偶然ではなく、いつの間にか閑散とした通りになってしまった。原因はいろいろだが、通りの両側に軒を連ねていた商店が次々と閉まり、現代風の家屋や駐車場へと様変わりしている。

 子どもの頃の通りの賑わいを知っている身からすれば言葉が出ない。年末には有名なアメ横ほどの混雑ぶりだった。そんな賑わいの一つだった豆腐町に昭和27年にオープンした市小売り市場の廃止が決まった。食料品は何でも揃う地域の台所だった。老朽化と出店のないことから決まった。廃止後の姿は未定、七町の姿がまた変化する。
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