日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

水鏡のように

2014年05月23日 | 生活・ニュース


  普段、川を下っていく水の流れを特に気にしない。しかし、平常より水量が増し濁流となる。それが堤防を壊し氾濫するすると人の力ではそれを止める術がなく、ひたすら水位の下がるを待つしかない。この水の力とその怖さを繰り返し何度も経験した。今年はエルニーニョ現象の発生が予測されており、洪水の回数増も心配される。

 一方で「水清ければ魚棲まず」という。澄みきった水の中では、魚も身を守る場所がないことから住みつかなくなるということわざ。人間も人格があまりにも清廉すぎると人に親しまれず、敬遠される、と言い換えられる。これは難しい、私欲のない清らかな人なら範としてもよさそうに思うが、そうではないところが世間だ。

 水は人を含む生き物すべての生存に欠かすことができないもの。それほど重宝なものにも「水は方円の器に随う」ということわざがある。「方」は四角、「円」は丸。「水は入れ物の形によって、丸くも四角くもなる」という柔軟さがある。似たことわざとして「朱に交われば赤くなる。善悪は友による」と人の生きざまにも例えられている。

 今、寸分の違いもなく新緑のままをうつしている静かな川面、これを水鏡という。水面に自分の姿などをうつしてみることも水鏡という。水面に自分の何をうつしてみるか思いつかない。創造や気持ちはうつらない、残るは体つきになる。うつそうとしたとたんに川面が驚き波紋を呼び起こすことは間違いない。それがありがたいのだと緑色の川面を眺める。
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