日々のことを徒然に

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あの日から79年

2024年08月06日 | 生活・ニュース
                (写真は中国新聞記事より)
 自家用に植えたカボチャの出来具合を祖母が見ている姿を窓から眺めていた。突然、ものすごい閃光を感じ何も見えなかった。気づくと「なんじゃろうか」と祖母が部屋へ駆け込んできた。少ししてドドドという鈍い音が聞こえガラス窓が振動した。これが後で知った原爆投下の瞬間で、「ピカドン」だった。我が家から40㌔離れた所で起きた。

 父はその日の午後から命令で同僚と二人で、自転車で夏場でもありわずかな食料を荷台に積み広島へ向かった。宮島口付近からは避難の人らで自転車を押しながら進むこともあったという。のちに入市被爆者として被爆者手帳が届いた。聞いても父は目にした惨状を話さなかった。ただ一つ、人も犬も防火用水桶に頭から浸かって亡くなっていたと教えてくれた。

 今日は79年目の広島原爆の日。平和祈念式の様子を中継で見た。広島市長と総理の挨拶は、日ごろから報道などで目にし耳にしている内容の羅列で、核廃絶という願いへ内容には程遠い感じがした。ただ一つ、市長の例示された、「東西冷戦を終結に導いたのは、為政者が断固とした決意をもって危機状況を打破した」という一節は日米露をはじめ各国のトップに届いて欲しい。

 広島県知事の「男も女も子供も老人も銃弾で撃ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みている」、名指しされないがウクライナやガザ地区での戦争を意識して話されているかのように聞こえた挨拶は良かった。長崎ではどんな挨拶が聞かれるだろう。

 (今日の575) 子ども代表平和への誓い世界に飛べ
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1 コメント

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ピカドン (もぐら)
2024-08-07 08:11:52
なんか 平和公園でイベントがあるらしい 入場制限だって
公園では死地ではないので 現地で黙祷

戦争にルールはない 当時日本も核開発目前だった
爆弾が出来てたら 躊躇なく使ったであろう
現在でも アメリカの核傘の下にあり 平和の日々が保たれてるのが現実
どんな形であれ 平和を保ってほしいもんです
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