朝、花に水遣りをしようと狭いながらも我が家の庭に出た。天気はどうか、と見上げると軒下から巾3㍍はありそうな三角形状の蜘蛛の巣がかかっている。手は届かず、庭箒で払う。巣は除けたが蜘蛛はどこかに逃げ去った。まあ、蜘蛛の巣を取り除くとき蜘蛛は大方の場合取り逃がしているから特段のことではない。
お昼前に同じ場所に再び巣があるのを見つけた。蜘蛛の大きさからすると、朝方姿を見失った蜘蛛だと分かる。同じ場所にわずかな時間で作り直す早わざに感心する。よく見ると小さな虫らしきものが掛かっている。この場所なら餌が掛かる、その読みが当たったようだ。第1糸が調子よく風に揺られた結果、早期の復元が出来たと眺める。餌もかかっていることだしそのままにした。
蜘蛛の巣は正確には「蜘蛛の掛けた網」と呼ぶそうだがこれは人の世界にも通じる。「人をつかまえる手はずを整えて待つ」ことを「網を張る」という。手はずを整えて餌を待つ蜘蛛、網に掛かった虫たちは逃れようがない。人が蜘蛛から教わったのかもしれない。
蜘蛛の巣は「阿弥陀籤(あみだくじ)」の別称という。今は阿弥陀如来の光背というより、人数分の縦線にはしご状に横線や斜線を書き入れている。阿弥陀くじの経験の無い人はいないと思う。一つしかない物を何人かで分けるとき、手早いけれど結果に対して誰も異を唱えない。夕方、掛かっていた餌とともに蜘蛛は巣を残したまま何処かえ消えていた。