「災害は忘れたころにやって来る」、日本のことわざ(諺)がある。この諺の意味を思いなおしてみたい。災害の直後は、誰もしっかり心構えをしているが、時がたって被害があったことを忘れるころ、災害は再び見舞うものだ。災害に対しては、普段から十分な心構えをしておくことが大事という戒め。これは、物理学者で随筆家の寺田寅彦の言葉に基づくという。
寺田寅彦は「文明が進むほど天災による損害の程度も累進することを十分に自覚し、日頃からそれに対する策を講じなければならない」と説いていたという。文明の進化が人を危機に誘うことは真の文明進化ではなかろうが、最近の自然災害は、忘れるどころか折り重なるように世界を襲っている現実は、寺田の想う通りになっている。
今夏に限っても、7月の七夕豪雨、8月の西日本豪雨、21号を含み3つの台風、そして今朝早くの北海道での大地震(平成30年北海道胆振」⦅いぶり⦆東部地震)、何れも形は異なるが、自然界の変化によって生じた天災ということでは共通している。今の進化した文明をもってしても自然界の変化をコントロールはまだ出来ない。いつか達成してくれるかもしれないAIやIotの働きに望を託しておく。
首相は「国民の」知事は「県民の」市長は「市民の」生命と財産を守ると選挙のたび事あるごとに口にする。しかし、報道される日々の動静では、国防的見地からのそれは伺えるが、天災地変についてはほとんど見えない。こちらも、起きる前、発生前の策を怠らぬようのぞみたい。勿論、市民の平常からの心つもりも必要、亡くなられた方のご冥福を祈り、被災された方にお見舞いを申し上げながら地震報道を見ている。