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午前中歩いて出かけた。挨拶を交わす人みんな「暑いですのう」「お暑うございます」と約束したような第一声になる。昔の話になるが「暑い」と声に出すと「はい百円」、そんな避暑方法もあった。このところ連日のように大雨・洪水・雷注意報がでる。しかし、注意報だけで終わっている。各地のスコールのよう雨とその被害を知ると列島の長さを改めて思う。
明日は広島で平和式典が開かれる。あの投下の一瞬を記憶している。目もくらむ真っ白な輝き、少ししてドドドドッ~という鈍い音、その音と同時にガラス戸がビィビビビッと不気味な音と振動を発した。庭にいた祖母が家の中に転げるように入ってきた。父はその日の午後、命令で広島に向かった。私が原爆を理解出来たのはあの日から相当な時間が経っていた。
「被爆した母の話を聞いてから暑いとは言えなくなった」という人は、「原爆炸裂直後の何千度という何もかも焼き尽くす高温を思えば夏の暑さなんて」という。心情はよく理解できるが、どうか無理をされませんようにと願う。
松尾芭蕉は「暑き日を海に入れたり最上川」と詠んだという。ここらに置き換えれば「暑き日を瀬戸に入れたり錦川」となろう。暑き日は「真夏の暑さの耐えがたい一日」で季語という。暑い暑いとこぼさず、一句詠んでみる心境になると、暑き日にも違った感覚が生れるのだろう。「暑き日の木陰の風のここち良さ」お粗末。