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団長は動物たちを助けるために檻の戸を開けるように命じていましたがどれだけ開いたかはっきりしません。檻はだんだん下流に姿を消しました。急を聞いて駆け付けた消防団の人も水の勢いにどうすることもできませんでした。13日、朝から天気は回復、演劇団と消防団の人は力を合わせ動物探しを始めました。
臥龍橋にサルの檻が掛かっていてロープで檻に近づき助けた。大蛇は妙見様の下の山で発見、演劇団員が連れ帰った。そのほかの動物達は濁流にのまれてしまいました。大島に流れついた檻もあった。そんな中ライオンの屍が見つかった。人々はライオンを川西の阿弥陀閣へ運び、8月18日に土葬、川西の人々がお金を出し合い畜魂碑(ちくこんひ)を建てライオン以外の動物の霊も慰めました。話はここまでです。
阿弥陀閣は1979(昭和54)年4月29日焼失し廃堂となった。阿弥陀閣は、ルース台風(1951年)で臥龍橋が流失し登校できなくなったとき、本堂で地区の児童が学習したがライオンの墓の話は知らなかった。先日、跡地を訪ねたが整地(写真)されそこに、かっての川西地区住民善意作られた畜魂碑は見当たらなかった。
阿弥陀閣の開基は7代藩主吉川経倫(うねとも)が1802(享和2)年に創建したとされる。本尊は聖徳太子が作られた「阿弥陀如来像」だが焼失し廃堂後は市内の某寺に収められていると記録されている。阿弥陀如来も阿弥陀閣も数奇な運をたどったようだが、私には検証の能のないことを残念に思う。動物たちの霊を慰めるため畜魂碑を建てた地域皆さんの優しさを知ってもらいたい、そう思いながら写させてもらった。