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☆ジュゼッペ・トルナトーレ監督「海の上のピアニスト」感想

2008年03月22日 23時47分47秒 | 映画
海の上のピアニストジュゼッペ・トルナトーレ監督の「海の上のピアニスト」を見た。
松任谷由実のコンサートで、動き回るピアノを弾くという場面があったがそれの元ネタを発見した。
1900(ナインティーン・ハンドレッド)という名前の主人公で、1998年に作られた映画だから「さよなら20世紀」という雰囲気である。
狭い世界で生きていこうというテーマもわりと好きではあるのだけれど、あまりおもしろくなかった。
主人公がどのようにピアノが弾けるようになったのかと、ジャズを作った黒人との対決でなぜ勝ちたくなったのかが謎。ピアノはある日突然弾けるようになるものではない。

高校野球が始まり少しだけ見る。
谷村新司が歌っているところの映像を見て、谷村新司の歌には「あーあー」がよく入るなあと思った。「昴」や「三都物語」にも「あーあー」が出るはずだ。
たぶん自分の得意な音なんだろうなあ。
矢井田瞳の歌によく「ひぃー」や「いー」の裏声が入ったり、松田聖子の「るー」だったり、自分の得意な音のある歌手が存在する。
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☆「パリ、ジュテーム」感想

2008年03月20日 23時22分33秒 | 映画
パリ、ジュテーム プレミアム・エディションいろいろな監督の5分程度の短編を集めた「パリ、ジュテーム」を見た。
別れようとしている夫の話、カウボーイの話、パントマイムの話、最後の「失われた時を求めて」みたいな中年のおばさんの話などおもしろいものが多かった。
最近コーエン兄弟に少し興味があるのだが、「バートン・フィンク」と「ファーゴ」を昔見てものすごく眠かったのでそれ以来一切見ていない。よく眠れる監督としてデヴィッド・リンチなみにこれまで避けてきた監督なのだけれど、話題なのでそろそろ少し見ようかと思い、「パリ、ジュテーム」を借りてきた。
しかし、5分間では何もわからない。
眠くもならないかわりに傾向もつかめなかった。
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☆「失われた時を求めて」メモ30

2008年03月20日 01時11分19秒 | 文学
「のだめカンタービレ」のドラマの最終回がテレビで再放送していたので録画して見る。最終回のみ見るドラマは初めてだ。
千秋(玉木宏)はかっこよくて雰囲気はあるのだが、あんなふうに泣かない。そもそもあの程度のコンサートで泣くはずがない。
泣いたりみんなとお別れしたりというのをなんでもっとさらっと描けないんだろうか。ドラマで見るとしつこすぎる気がする。
たまに会うと必ず昔の悲しい話(「お母さん死んじゃった時悲しかったね」みたいな)を聞かせる親戚のような雰囲気がある。

プルースト「失われた時を求めて」6巻84ページまで。
・祖母の死ぬまでが念入りに描かれる。
目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったりしゃべれなくなったりする。
蛭に血を吸わせる。
・女中のフランソワーズが下品に行動し、ゲルマント公爵も自分のことしか考えず語り手の母親に紹介してもらおうと――紹介させてやろうと――する。語り手の母親は、自分の親が死にそうなので何も考えられない。
ひとを形作るのは習慣なんだなあ。
・サン=ルーも登場する。
しかし語り手となにかあったんだっけ? 何か気まずい。忘れてしまったなあ。
・モリエールからの引用が多数あり、興味を惹かれる。
おもしろいのだろうか。全く読んだことがない。
・祖母の妹たちはベートーヴェンを聴くのに夢中で葬儀にもやってこない。
さすがベートーヴェン!
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☆二ノ宮知子「のだめカンタービレ」20まで

2008年03月19日 00時29分29秒 | 漫画
のだめカンタービレ(18)のだめカンタービレ(19)のだめカンタービレ(20)
二ノ宮知子の「のだめカンタービレ」の最新刊の20巻まで読んだ。
たぶんもう終わりかけで、恋人同士が次々とくっついていく。
少女マンガでは結末になんらかの恋愛の落とし前をつけなければならない。それは少年マンガで誰が一番か最終的に勝負して決めなければならないのと似ている。
なかなか興味深いテーマだと思う。
僕は、のだめと千秋は一度共演したあと恋愛関係としては別れて、それぞれのコンサート旅行へ旅立つのがもっともすっきりとした終わり方なんじゃないかと思っているのだが、そういう終わりにはならないんだろうなあ。
21巻の発売まで、のんびり物語中で演奏される音楽を一緒に聴きながら一冊ずつ読んでいこう。

ピアニスト物語が読みたくなり、村上春樹の短編集「東京奇譚集」のなかの「偶然の旅人」を読む。ゲイの調律師の話。
やはりうまいなあ。ほんとうに感心する。
「のだめ」の正しいカレーの理論で、正しい小説は美しいとでも言いたくなる。

通勤時にベルクソンの「時間と自由」(岩波文庫)を読んでいる。
短い単位で区切られているのでバスでも読みやすい。(しかしあまり共感を得られる意見ではないかもしれない。)
痛いという感覚を「ひどく痛い」とか「より痛くない」と表現するが、痛さの量の増減が存在するわけではなく、質の変化があるのだと説く。
同じように色についても、赤と青の間に紫があるように思ってしまうが、そのような赤とか青とかのインクの量の増減を私たちが感じているように思うのは実は錯覚であると説く。赤と青があって、その間に赤紫と真紫と青紫が存在して、その赤紫と真紫の間に赤真紫と真赤紫が存在するような、そんな藤間紫な感覚はじつは真実とは違う、赤と青と紫は感じている質が違うのだ、というようなことをベルクソンは繰り返し語る。
「道徳と宗教の二源泉」でも同じような論理を語っていたのでわかりやすい。
つまり、手のひらをだんだんと強くつねると、「ちょっと痛い」から「やや痛い」「痛い」「すごく痛い」「ものすごく痛い」「もうやめて」になるのだが、「手のひらをつねる」から「手のひらをくすぐる」にゆっくりと移行するような場合を考えると、だれも「ちょっと痛い」と「くすぐったい」の間を埋めようとはしない。「つねる」と「くすぐる」が質が違うように「弱くつねる」と「強くつねる」も質が違うのだ。(そもそも強くとか弱くとかいう表現がすでに量を表しているがほかに言いようがないので仕方がない。)
というような話が繰り返される。
しかしそれと時間と自由とどういう関係があるのかまだ分からない。どこに連れて行かれるのかわからない。(あのー、先生、いいかげん理解できましたのでそろそろ、次に……、と言いたい。)
ベルクソンは相変わらず賢い。そして、ものすごく文学的だということをあらためて認識した。
なんでこんなにすっきりとしつこく繰り返し語っているのに前回読んだときにまるっきり理解できなかったんだろうか。
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☆音楽関係課題図書

2008年03月18日 00時55分48秒 | 文学
読むとしたところで、プルーストを読み終わった後だろうからかなり先のことだが、忘れてしまいそうなので(忘れて誰かが困るということも――私を含めて――ないのだが)、音楽関係でいま多少興味のあるものをメモしておく。

ロマン・ロラン「ベートーヴェンの生涯」「ジャン・クリストフ」
イェリネク「ピアニスト」
カズオ・イシグロ「充たされざる者」

「ベートーヴェンの生涯」だけは短くてすぐ読めるけど、「ジャン・クリストフ」は長いし、他の二作品はおそらく強敵だろうなあ。
ピアニスト主人公ものということで興味があるのだけれど、めんどくさそうな本が多い。
もっと気楽にショパンとかバッハとか「猫踏んじゃった」とかを弾くピアニストの話が読みたいだけなのだけれど。
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☆二ノ宮知子「のだめカンタービレ」17まで

2008年03月17日 23時57分30秒 | 漫画
のだめカンタービレ(14)のだめカンタービレ(15)のだめカンタービレ(16)のだめカンタービレ(17)
漫画を買うことは滅多にないのだけれど、二ノ宮知子の「のだめカンタービレ」を全巻購入してしまった。何度も読みたいような気がしたので、大人としてごっそり買いました。
うちの本棚に唯一並んでいる漫画作品です。あ、あと安野モヨコの「監督不行届」がある。それ以外には一切漫画は置いてない。
プルーストもアランも読まず、二ノ宮知子ばかり読んでいる。
「のだめカンタービレ」の18巻の途中まで読んだ。
千秋の父親が登場。千秋がのだめから離れて暮らす。
だんだん大詰めだなあ。
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☆二ノ宮知子「のだめカンタービレ」13まで

2008年03月16日 22時56分23秒 | 漫画
のだめカンタービレ(11)のだめカンタービレ(12)のだめカンタービレ(13)
続きも借りてきてしまった。
二ノ宮知子の「のだめカンタービレ」の13巻まで読んだ。
これはもうギャグ漫画でも恋愛漫画でもなくなっている。芸術漫画とでも呼ぶべきだ。芸術とは何かを考える漫画。
「それは遊びでやってるんだ」と言い続ける趣味で絵をやっているおじさん(ムッシュー・長田)の話や、正しいカレーは美味しい、そして正しい音楽(バッハ)は美しいという話など意味深い。
わりと考えさせられる漫画で、読むのに時間がかかる。演奏している音楽を聴きながら読んでいるのでさらに時間がかかる。
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☆二ノ宮知子「のだめカンタービレ」4から10まで

2008年03月16日 01時04分26秒 | 漫画
のだめカンタービレ(4)のだめカンタービレ(5)のだめカンタービレ(6)のだめカンタービレ(7)
のだめカンタービレ(8)のだめカンタービレ(9)のだめカンタービレ(10)
二ノ宮知子の「のだめカンタービレ」を10巻まで読んだ。
噂でパリに行ってからはあまり面白くないという話を聞いていたので、とりあえず様子を見てみようと思い、レンタル屋でここまでしか借りてこなかった。
この漫画は努力を描く漫画で、他人を引きずり降ろそうとするひとが出てこない。岡ひろみのラケットを隠すような人がいない。
みんなが上を向いている。
そこがすばらしい。
一番好きなのはそこだ。気持ちがいい。
のだめと千秋は二人の人物ではなく、ひとりの人間を二つにしているようなところがあるので、二人の恋愛はほとんど進まない。
のだめがひとり立ちして千秋の世話を必要としなくなってしまう時、つまり二人の人間に分かれるときに(そんなときがもし来るならば)、この漫画は終わるのだろう。

千秋の気分が憂鬱な時に食事が缶詰になってしまう。
きちんとした食事をしよう、しなければいけないと思う、いい場面だ。
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☆アニエスカ・ホランド監督「敬愛なるベートーヴェン」を見た

2008年03月16日 00時32分09秒 | 映画
敬愛なるベートーヴェン今日は午前中にアニエスカ・ホランド監督の「敬愛なるベートーヴェン」を見た。
たいへんいい映画だった。
指揮者の緊張感が疑似体験できる。
アンナに手を出さないベートーヴェンは立派。

たいへんおもしろい映画で、ベートーヴェンにさらに興味を持ったのだが、詳しい内容がすでに記憶にない。
なぜなら午後からずっと「のだめカンタービレ」を読んでいたから。

ちなみに僕が多少聴きはじめていまもっとも好きなベートーヴェンは「クロイツェル・ソナタ」だ。第1楽章は何度でも聴きたい。
ピアノの音は昔から好きだったけど、ヴァイオリンもいいと思いだしてきた。
交響曲の良さはいまだわからない。
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☆二ノ宮知子「のだめカンタービレ」1から3まで

2008年03月15日 00時18分19秒 | 漫画
のだめカンタービレ(1)のだめカンタービレ (2)のだめカンタービレ (3)
羽海野チカの「ハチミツとクローバー」のおもしろさがまったく理解できず、もうしばらくは流行りの少女マンガは読まなくてもいいやと遠ざかっていたのだが、プルーストとアランの影響でベートーヴェンを聴いているので、二ノ宮知子の「のだめカンタービレ」をレンタル屋で借りて読んでみる。3巻まで読んだ。
「鹿男あをによし」に続き、偶然にも玉木宏の出演ドラマの原作を追いかけている。NHKの朝ドラ「こころ」を見ていたので玉木宏は好きな俳優だけれど、どちらのドラマも見ていない。
アランによるとクラシック音楽は情念を克服するものだそうで、そのように解釈するとこのマンガは、譜面も見ずに好き勝手にピアノを弾く野田恵(のだめ)を千秋が意志によって飼いならし、芸術にしていく物語なのだろう。
なんだかわからない思いを叫んでいるだけでは芸術とは言えない。形式を通して伝えないとなにもならない。
テーマとしてはそのようなものが意図されて始められたマンガだろうと思う。今後どうなるのかわからないけど。
3巻の最後の、ベートーヴェンの「英雄」の演奏シーンは感動。

千秋のヴィエラ先生への憧れや、音楽をマンガで表現しようとしているところなど、プルーストと通じるものがある。
たいへんおもしろい。
タイトルは”のだめ”だけれど、主人公は千秋なんだろうなあ。
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