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☆ベルクソン「時間と自由」感想

2008年03月25日 21時12分23秒 | 文学
時間と自由 (岩波文庫)ベルクソンの「時間と自由」(岩波文庫)を読み終えた。
たとえば、「愛と恋はちがう。愛はこういうもので、恋はこういうもの。あなたの言っているのは愛じゃない。」というような台詞を聞いてなんだか感じる馬鹿らしさというか、よくわからなさは、それが感情を言っているわけではなく、言葉の定義を一生懸命議論しているからだろう。
ある感情を愛と言ったり恋と言ったりするが、それは便宜的にそう呼んでいるだけで、もともと愛という感情が人間に備わっていてそれを感じているわけではない。
と、いうようなことを読んで思ったけれど、こういうことはとても説明しにくいなあ。

ベルクソンの言う「持続」というのは、言いたいことはわかるんだけれど、いったいどんなものかお前は知っているのか、と言われると大変心許ない。
わたしたちが素朴に感じている時間概念は、空間概念を応用していて、過去とか現在、未来というような線状のものを想像しているが、ほんとうに直接的に感じているのはそんなものではなく、それが「持続」なのだ。とは言うのだが、それがどんなものだが、想像してみるしかない。なんとなく、わかるような気もするのだが。
いまでも子供なのだが、僕の甥がもっと子供だった時に、「明日」と言うべきところを「昨日」と言っていて間違ってたいへん恥ずかしがっていたのだが、たぶん彼にはまだ時間の概念に空間の概念をうまく応用できていなかったのだろう。
ベルクソンの本、次は「物質と記憶」を読むつもり。
ベルクソンがたいへん賢いということは読めばよくわかる。
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☆センバツ、篤姫、メモ33

2008年03月25日 01時09分43秒 | 文学
去年の夏の大会から甲子園を見始めたので、センバツは初めて見る。
夏とひどく違うのかと思っていたらそんなに変わらない。おもしろい。
これまでの人生で野球を熱心に見たことがないので野球用語を知らず、知らない言葉は妻に訊いている。
「失策」(エラー)と「死のロード」を知る。
「死のロード」は内田樹がたまに使うのだが、野球用語だとは知らなかった。
エラーを失策と呼ぶことも知らなかったのだが、エラーかどうかが誰かの判断によるということも知らなかった。
昨日の試合で、9回に本塁打2本を打って同点になり延長になった試合を8回くらいからたまたま見ていたがとてもおもしろかった。
エラーで試合は終わったが、身動きのできないほどの大きな悲しみというものを見た。悲しみというのは抽象的なものではなく誰かの身体を使って具体的に表現されるものなのだ。
あんなになってしまうんだということにひどく感動した。
試合の終わりごろにユニフォームの胸の辺りをしきりと触っている姿にも感動してしまう。
すごいなー甲子園は。

そのあと「篤姫」を見る。(NHKってすばらしい)
この前「のだめカンタービレ」のドラマの最終回(だけ)を見たときに、瑛太ってこんなに大きな声が出せるんだ、と驚いたのだが、やはりぜんぜん別人のようだ。
うーん、そんなことほんとにあるかな、ドラマだな、と思うところも多々あるのだが、とても愉しんで見ている。

プルースト「失われた時を求めて」6巻272ページまで。
・ゲルマント公爵家でいろいろなひとに紹介される。
語り手がエルスチールの絵を見ていて食事が遅れるが、語り手が現れてすぐに食事が始まると彼のせいで遅れていたことになってしまうのでゲルマント公爵はすぐには食事の支度をさせない。
貴族って優雅で上品。
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