ダブログ宣言!

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★バカロック

2006年03月23日 21時41分35秒 | 音楽
今日は長いぜ。なんだか長文になってしまった。


EL Presidente/EL Presidente


Delaysの新譜の冒頭2曲がすごいらしいということをWaste of Pops 80s-90sさんのところで読んで気になっていた折り、立ち寄ったHMVで試聴ができたので聴いてみた。確かにすげえ。特に2曲目。びっくりすると同時にいたく感動したので、中古CD屋へと場所を買えて当バンドのファーストアルバムを探してみた。HMVで素直にそのアルバムを買えばよいのだが、まあ人生は回り道を楽しむことも大事なのだよ。などというようになんでも一般論や人生論にすりかえる、ほほえましき人間のような言辞でこの場をしのぐ。こういうヤツっていつも笑顔ではたきたおしたくなるが、それは全く関係ない話だ。話を中古CD屋に戻す。目当てのCDを探しだして帯の惹句を読んでいるとふいに店内にながれている曲に意識が向いた。どこかで聴いたようなメロディーだが、なんだったっけ。と思いつつ意識的に聴いてみたのだがどうも思い出せない。その曲が終わった次の曲も同じヴォーカルの声だったので、同一アーティストのアルバムをただ曲順にかけているようだ。傍目にはぼんやりつったった呆けのような状態で2、3曲を傾聴してみたところ、スーパーグラスの曲をアクセル・ローズが歌っているみたいだなー、なんだこれー、おもしれー。という印象を得て笑えてきた。店員さんにたずねてみると、EL Presidenteというバンドの曲だという。ぜんぜん知らないバンドだったので、買ってみることにした。帰宅してiTunesにリッピングしてから聴いてみたら、なんだ、「Without You」ってこのバンドの曲だったのか。なーんだ。アルバム1曲目に収録されているこの曲は頻繁にラジオから流れていたので聴いたことがあったのだが、取り立てて興味はわかなかったのだがな。#2の「Rocket」もよくオンエアされていた。アルバム内の位置づけとしては、The Velvet Underground のファースト「The Velvet Underground & Nico」でたとえるならば「Run Run Run」のような位置づけになるロックナンバーといえるだろう。曲調は続く#3「100mph」とともにマーク・ボランみたいだ。ヴェルヴェッツを挙げた直後にTRexに例えるというわけのわからない例示になっているが、このバンドはこのわけのわからなさを許容するところがあり、そこが魅力だといえる。ただ、この流れだけでは僕としてはそれほど興味がもてない。ヴェルヴェッツとTRexは本物がよすぎてそのバッタ者はどうしても見劣ってしまうからだ。バッタ者聴くくらいなら本物を聴く。ああ、1回しか聴かないCDをまた買ってしまった。かなしい。しかしあの店員は違うCDを教えてくれたんじゃなかろうか、店内でかかってた曲がないじゃないか。と3曲しか聴いていないのに早くも疑念が浮かび始めたところで#4の「Turn This Thing Around」鳴り出した。これだ。これがスーパーグラス フィーチュアリング アクセル・ローズだ。しかも若きサル軍団であったころのスーパーグラス。この1曲だけでもアルバムを買ったかいがある。続く「Count On Me」、「If You Say You Love Me」も中古屋で耳にして興味をもったサル軍団流れの楽曲であり非常に満足。よかった店員さんありがとう。きみはすばらしい。すばらしい。とゲンキンに感謝しつつ、このCDは聴き込むことになりそうで得したなあ、とやはりゲンキンに安心する。

日本盤をかったのでライナーなどを読んでみるとグラスゴー出身のバンドらしい。なんと次に紹介するAlly Kerrもグラスゴーだ。なんだろう、どうもグラスゴーづいているな。フランフェーディナンドの影響でグラスゴーっていま注目されているのだろうか。それとも今年は国際グラスゴー年だからだろうか。たぶん後者だな。

ちなみにきっかけとなったDelaysの新譜はまだ買ってない。

[ファイナルファンタジー:プレイ日記]
「あのさあ、女王の教室で出てきた教師再教育センターってほんとにあんの」
「ああ、あるぜ。いま俺が通ってる」
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☆オースティンのパワーはデラックス

2006年03月22日 12時43分55秒 | 映画
今朝ふと、これからはワロスでもバルスでもなくロハスで行こうと心に決めた。

「アイアン・ジャイアント」が離婚映画であることを書くのをすっかり忘れていた。
正確には離婚映画ではなく、その派生形である再婚映画だけど。
貸間にやってきた政府の役人である悪いお父さんを追い出して、あまりお金は無いけれど優しいお父さんを連れてくる話だと思った。
やっぱり子供にとっては一緒に遊んでくれるお父さんが良いお父さんなんだな。
いい思い付きだと思うので、見てない人にはまるっきり興味のない話だけど、メモとして書いておきます。

★はすすめたつもりはないかもしれないけど、こっちで勝手にすすめられた気になった、ジェイン・オースティンの「マンスフィールド・パーク」を昨日から読み始める。
やっぱりいいね。これぞ読書。
「赤毛のアン」的「サウンド・オブ・ミュージック」的な話なんでしょうかね。まだよく判らないけど。
ノリス夫人も腹立つけど、エドマンドのほうがもっと腹立つ。
ああいうのがいちばんえげつない。
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☆「アイアン・ジャイアント」の感想です

2006年03月21日 12時14分23秒 | 映画
アイアン・ジャイアント スペシャル・エディション「Mr.インクレディブル」が面白かったので、同じ監督(ブラッド・バード)の「アイアン・ジャイアント」をずっと前に録画していた。それをやっと見たのでその感想。

「天空の城ラピュタ」みたいなデザインで、怒りに我を忘れて目が赤くなるところが「風の谷のナウシカ」の王蟲(オーム)みたいな性格のロボットだった。
「E.T.」を思わせる設定でもあった。最後は「鉄腕アトム」の最終回(もちろん見てないけど)みたいだった。
いろんなことを思い出させるいい映画だった。
まあまあのおすすめです。
でも「Mr.インクレディブル」のほうがずっと良かったけど。
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☆2時のやすらぎ

2006年03月21日 01時16分46秒 | 映画
復活っ!
あー、よく寝た。
僕の周りからゴーグル付けたスイマーズ(@イカ天)のみなさんが、消え去った。つまり睡魔がなくなった。しゃきーん。

今年のアカデミー賞授賞式。
「プライドと偏見」の主演、キーラ・ナイトレイは姿勢が悪すぎる。赤ジュータンを歩く姿がだめだめだった。
もっとしゃんとしろ。「2時のワイドショー」のファッションチェックで怒られるぞ。背中にものさしを入れるぞ、って先生に言われちゃうよ。

番組を見ていて意外と面白そうだったのが、リース・ウィザースプーン出演の「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」。
主演ふたりでカントリーを歌うところがいい感じだった。歌が聴きたいと思った。
映画で音楽が使われてるところってわくわくすることがある。「パルプ・フィクション」でトラボルタとユマ・サーマンが踊るところはわくわくする。そんな雰囲気だった。
それと、フィリップ・シーモア・ホフマン出演の「カポーティ」が面白そうだったよ。ちらっと聞いた話では「冷血」を取材中のカポーティの話。

しかし、よく寝ても語りすぎの主人公は思い浮かばない。
映画とかでもいそうなのになあ。

「質問」
ジョニー・キャッシュは好き?
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☆ドーナツ

2006年03月20日 19時19分27秒 | 音楽
「ほめている」って書きながら、何度読んでも褒めてるようには聞こえない。
うーん。いいんだろうか、このCD。
日本語の詩の朗読ってなに? 相田みつをとか? くだものだもの?
誰か洋楽好きなひとがコメント付けてくれないかなあ。
そのとおり! なり、ぜんぜん違う! なり、屁ってなんだ! なり。

語りすぎの主人公って気になるって言われるとこっちも気になる。
★がそういうのが好きなのはよく判る。
でも僕もいま、高田純次とルー大柴とユースケ・サンタマリアくらいしか思い浮かばない。
語りのドーナツ化現象とか、そういうことばだけは浮かぶ。
たぶん、飛び石連休のなかびでゆるゆるな気分だからだな。ゆるゆるだもの。
もうちょっと考えて、思いついたら即書くことにしよう。

「女王の教室」はすでにDVDになってるみたいだね。
トラックバックが付くところから考えて、人気の高さがうかがえる。
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★禿ロック

2006年03月20日 14時33分23秒 | 音楽

MOGWAI/Mr.Beast


木村カエラの新譜とALLY KERRを目当てにCD屋へいったらグラスゴーの怒れる若禿が新譜をだしていたので買う。最近ついていないほうが珍しくなってきたDVD付きのアルバム。このDVDではじめて動く彼らをみたのだが、これまで音楽雑誌で見ていたままに、売り上げに貢献するようなルックスをもったメンバーがただの一人もいないかったのであらためて感動する。よくいままで生き残ってきたもんだ。音楽ってすばらしい。かれらがロック史に残すことになる最大の功績は、禿・デブ・チビという一度身につけたら二度と取り外すことのできないのろいアイテムのような3種の神器を、たとえコンプリートに取り揃えていたとしてもロックであることは可能だと示した点にほかならない。

今作も期待通りに荒野を吹き抜けていく強風のようなギターが満載。落ち込んだりもしたけれど、世の中落ち込む以外のことなんてなんにもないのだからわたしはとりあえず元気なふりをします、といった雰囲気が丁寧にパッケージングされている。Death in Vegas の「Dirge」がいまだに好きであるような者にとっては、このCDを再生することでなんとも心地のよいそこはかとなく沈んだ気分のひとときを過ごすことができるだろう。再生が終わると同時に曲をほとんど思い出せないのも見事だ。ほんにあなたは屁のような。念のために書くが、ほめている。

収録曲である「I Chose Horses」は、いきなり日本語で詩の朗読がはじまったので何事かと思った。New Order の「Krafty」の影響なのだろうか。何を言っているのかとても聞き取りにくいので、何のためにやっているのかがさっぱりわからない。さっぱりわからない、とか書いておきながら日本の市場向けに無理矢理やっているのだろうと確信しているのだが、それにしても中途半端すぎる。この朗読はぜんぜん必要がない。どうせやるなら徹底的に能天気になって、「グリーングリーン」並の朗らかで歌っちゃえばよかったんだ。


語らない主人公について。
語りすぎて、結果何言っているのかわからない主人公ってのも気になる。具体例が浮かばないのが残念。

[ファイナルファンタジー:プレイ日記]
「メール打ちながら見てたんで、FFのオープニングは詳しくおぼえてねぇっス」
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☆ボーイズ・ドント・クライ

2006年03月19日 22時36分35秒 | 文学
昨夜、僕は「オーラの泉」スペシャルを見た後、追っかけ再生で「第78回アカデミー賞授賞式」を見ていた。だから「女王の教室」スペシャルは見てない。
よく考えたら、最後の最後のスペシャルだけ見るのっておかしな話だと思ったのと、もしも面白かったら腹立つから。
「女王の教室」の本編は好評だったんならそのうちにDVDが出るんじゃないの。
たぶん本編が好きだった人は今回のスペシャルはいらないって思っただろうね、話から察するに。僕が見てたらそう思ったと思う。

一時期、僕は本心を語らない主人公について真剣に考えたことがある。
カズオ・イシグロの「日の名残り」を読んだ頃、たぶん20代のはじめくらい。
村上龍の「限りなく透明に近いブルー」とか、映画だと北野武の「HANA-BI」とか。フォークナーの「響きと怒り」の最初とかもそうかなあ。
本心なんか語ったって誰にも通じやしないし、そんなの意味ないんだ、だから何も言わないんだ、って当時の自分の心情を重ねて理解していたように思う。
「できるかな」のノッポさんが引きこもって、彼の孤独な妄想が作り出した着ぐるみ、ゴン太くんのためだけに、黙って工作をし続ける気持ち、俺にはわかるぞ! って思ってた。(もちろん嘘です)
今ではそこまでは思わないけれど、少し前にカミュの「異邦人」を読んだときにもやっぱりそんなふうなことを感じたなあ。
語らない主人公って今でも興味あるね。

今日僕は妻の実家にいて、WOWOWで放送していたクリント・イーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」を見た。
噂通り、ただのボクシング映画じゃなかった。重い映画だったなあ。
どでかい鉛の玉が空から降ってきた感じ。
そして、見事に僕を外れた感じ。
重いからっていつも感動できるわけじゃありません。タイミングってありますね。

「ファイナルファンタジー:プレイ日記」は妻から大好評です。もちろん僕も好き。
でもゲームクリアの日は遠いね。クリアする日は感動するだろうね。
ちなみに僕のなかでの学園ドラマトップは斉藤由貴主演の「はいすくーる落書」です。

誰も興味はないだろうと思うけど、昨日仕入れたトリビアルな知識を披露します。
昨日「小林秀雄全作品 25」を読み終わったけど、その中に小林秀雄と大岡昇平の対談が入っていた。大岡昇平がこんな噂話があったねって、小林秀雄が柳田国男を泣かした話をしていた。日本の民俗学について小林秀雄が文句を言ったみたい。
小林秀雄は否定していたけど、大岡昇平の記憶力と、小林秀雄の柳田国男への配慮から推察すると、事実なんじゃないかと思った。

国男っ! そんなことで泣くんじゃない! 男の子だろっ!
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★女王の教室とショムニ

2006年03月19日 03時25分11秒 | テレビ
やっぱり「女王の教室」の本編がすごく観たい。今回2夜に渡って放送されたスペシャル版は天海祐希演じる主人公が「悪魔のような鬼教師」になるまでの物語であったので、豊かな表情やモノローグなどによって天海祐希の素直な心情吐露がなされていた。これだとまあ普通のドラマなのでとりたてて興味はわかないのだが、「悪魔のような鬼教師」になってからがどうもすごそうなのだ。いかんせん本編をみていないのでスペシャル版だけでの判断になってしまうが、鬼になってからは率直な独白はなくなるうえに表情も能面のようになり、彼女が何を考えているのかはその発言や行動から類推するしかないようになる。しかしその発言や行動にはほとんど情感が込められないので、彼女が何をどう思っているのかが見事にわからないのだ。このわからなさが不気味さにつながり物語に緊迫感をうんでいる。なんとも鬼教師ぶりを存分に見てみたい。
ただ、本編はいきなり鬼教師として登場したのであろうから、もともとは心優しい人間だったのですよ、などという設定にしてしまった今回のスペシャルは、本編を見ていた人にとっては興ざめだったのかもしれない。いかにして悪魔のようになっていったか、は明かさないほうがよかったのかもしれないなあという気もしたが、これは本編を見てみないとなんとも言えないな。すくなくともスペシャルだけをみた僕は、とっても本編をみたくなった。番組宣伝として一人分の成果がここにあがっている。

蛇足。
天海祐希演じる鬼教師が物事の本質をつくことしか語らず、その発言の一貫性を保つためだけに行動するというのはショムニの江角マキコ演じるお局OLといっしょである。あのお局OLも実に印象に残る刺激の強い人格だったが、感情の発露がほとんどないのと天海祐希の存在感の分だけ、今回の鬼教師の方が視聴者にあたえる刺激は破壊的だ。FFの魔法でいうとファイアとアルテマくらいに破壊力が違う。わかりやすい喩えだなあ!まあ、コメディとシリアスというドラマの種別において違いがあるので一概に比べることはできないのだが、天海祐希が世俗からはなれた超然とした役を演じると無敵になるな。


ハードボイルドという語に関しての僕の定義。
[定義その1]
作中人物の感情があからさまには表現されないため、読み手はそれを類推するしかないような形で描く、物語を語る形式のひとつ。
[定義その2]
生きのびるために個人的信条をつくり、それに沿った生活をおくる主体のその生き方を指す。
この主体は困難が生じてもその信条を守り通そうとする。

※補記
作中人物の感情があからさまには表現されないながらもその作中人物は別に無口であるわけではない。むしろ一般的にハードボイルドの登場人物は饒舌である場合がおおい。へらず口ばかりたたき本心を語らないのはあからさまな感情表現ではない。

と、いうわけなので☆のあげた例から僕も観ている「レインマン」にこの定義をあてはめてみると、「レインマン」という映画はハードボイルド映画ではないが、そこに登場するダスティン・ホフマン演じるレイモンド(だったよな)はハードボイルド形式で描かれている、と言える。レイモンドは終始無表情であり、彼が何を考えているのか、どんな気持ちでいるのかはほとんど描かれないために、映画を観るものはその心情を類推するしかない。また、レイモンドは自分の身の回りに何がおころうとも、それまでに築き上げた生活形式を変えようとしない。つまりレイモンドはハードボイルド的存在と呼べる要素を備えている。他には「日の名残り」のスティーブンスもハードボイルド的存在だといってよい。


うーん、長くなっちゃった。とりあえずこの辺にしておこう。

[ファイナルファンタジー:プレイ日記]
「女王の教室は、ぼくのなかの学園ドラマとしてトップですね」
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☆レクターの過去

2006年03月18日 08時06分19秒 | 映画
記憶と空想のみによる映画評をふたつ。

平山秀幸監督の「愛を乞うひと」で、主人公(原田美枝子)が自分を虐待しつづけた母親(原田美枝子:二役)に会いに行く場面で、おそらく彼女が自分の娘であることに気が付いたのであろう母親が、「ずっと悪かったね」なり「ごめんなさい」なり謝罪の言葉を言わないのがこの映画のもっとも凄いところだと思った。母と娘の涙の再会の場面のないまま終わるのがすごい。

バリー・レビンソン監督の「レインマン」の最後近くの場面で、電車に乗り込んだダスティン・ホフマンが買ってもらった携帯用テレビに夢中になって、外から見守る弟のトム・クルーズのほうを見てくれない。もうずっと別れ別れになっちゃうんだし、こっちを向いて手ぐらい振れよって見てると思うんだけど、見てくれない。そこが凄い。

ハードボイルドというのはそういうことでしょうか?
僕は★と違って、生まれてこのかたテレビのない生活をしたことがないけど、残念ながら「女王の教室」は見てない。天海祐希は好きなんだけど。離婚がテーマだからってわけじゃないけど、「離婚弁護士」は見てたんだけどなあ。
ドラマを見てると、例えば、
子供が出てくる→かわいい
雨に濡れた仔犬→かわいそう
仕事人間のお父さん→ひどいっ、でも最後はいいひとになるんだろう
みたいに、これが出てきたらこう思え! みたいな意図が感じられて嫌だなあと思うことが多く、これは何かの確認作業をしているだけなのか? って疑問に思って9時台、10時台のドラマってあまり見ない。
でもたまには面白いドラマもあるんだろうなあ。「女王の教室」のスペシャル、気が向いたら見てみよう。
ただ話を聞くと、本編を見たほうが面白かったんだろうね。
トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」を読まずに、「ハンニバル」だけ読むようなもんだもんね。レクターの過去なんかどうでもいい。

池内紀のカフカ全集の話はついでに書いたのにこんなのに喰いついてくるのがすごい。やっぱりこういう情報が必要なひともいるんだなあ。

西島大介はまた見つけたら立ち読みしよう。「ディエンビエンフー」だね。
他に注目の漫画家がいたら書いといて。そのうち読むこともあるかもしれないから。

朝起きたらトラックバックが3つも付いてて驚いた。僕が最近気が向いたらテーマサロンにトラックバックをしているのが効果あったのかなあ、と勝手に思う。
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★女王の教室の本編がみたくなった

2006年03月18日 00時00分32秒 | テレビ
女王の教室のスペシャルを見た。今日のスペシャルはともかく、これ、本編は無茶苦茶面白かったんじゃないだろうか。ちょうどウチにテレビがなかったころに本編が放映されていたので全くみたことはなかったのだが、ものすごく惜しいことをした気がする。この特番は明日もあるようなので、忘れずチェックしよう。

今日のスペシャルだけで判断すると女王と化してからの天海祐希は、ハードボイルドの主人公だ。だからこそ僕は面白いと思ったのだろう。学校という日常にサム・スペイドを教師として放り込むという、コメディにしかなりえないような設定でありながらもシリアスなドラマとして描いているところにこの作品の魅力がある。この点を徹底的に意識して作っていたならば、本編において女王である天海祐希は、いかなることがおころうとも感情を表にだすことはないし情にほだされたりもしないはずなのだが、実際はどうだったのだろうか。あと、ドラマが語られる視点も気になるところだ。登場人物の誰をも主としない平板な視点で撮られていたとしたらすごいのだけれど。


> 本屋で池内紀のカフカ全集が、白水Uブックスで刊行中だった

なんとー!それはちょう貴重な情報。単行本で揃えようかと一時迷っていたのだが、保留にしておいてよかった。いずれぼちぼち買っていくことにしよう。久しぶりにカフカ読んでみたくもある。西島大介は「ディエンビエンフー」の評価が高いので発売直後からずーっと気になっているのだけれど、「凹村戦争」を読んでからというもの、えーと面白くはあるが買うほどのものかなあうーむむだいたいちょっと高いよなあまんがの相場をむししてるよなードラえもんをみならえ!でもきになるなー、というなんとも男らしい逡巡の結果、いまだに買えていないので読めていない。結局いずれは買ってしまう予感はある。
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