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☆ボーイズ・ドント・クライ

2006年03月19日 22時36分35秒 | 文学
昨夜、僕は「オーラの泉」スペシャルを見た後、追っかけ再生で「第78回アカデミー賞授賞式」を見ていた。だから「女王の教室」スペシャルは見てない。
よく考えたら、最後の最後のスペシャルだけ見るのっておかしな話だと思ったのと、もしも面白かったら腹立つから。
「女王の教室」の本編は好評だったんならそのうちにDVDが出るんじゃないの。
たぶん本編が好きだった人は今回のスペシャルはいらないって思っただろうね、話から察するに。僕が見てたらそう思ったと思う。

一時期、僕は本心を語らない主人公について真剣に考えたことがある。
カズオ・イシグロの「日の名残り」を読んだ頃、たぶん20代のはじめくらい。
村上龍の「限りなく透明に近いブルー」とか、映画だと北野武の「HANA-BI」とか。フォークナーの「響きと怒り」の最初とかもそうかなあ。
本心なんか語ったって誰にも通じやしないし、そんなの意味ないんだ、だから何も言わないんだ、って当時の自分の心情を重ねて理解していたように思う。
「できるかな」のノッポさんが引きこもって、彼の孤独な妄想が作り出した着ぐるみ、ゴン太くんのためだけに、黙って工作をし続ける気持ち、俺にはわかるぞ! って思ってた。(もちろん嘘です)
今ではそこまでは思わないけれど、少し前にカミュの「異邦人」を読んだときにもやっぱりそんなふうなことを感じたなあ。
語らない主人公って今でも興味あるね。

今日僕は妻の実家にいて、WOWOWで放送していたクリント・イーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」を見た。
噂通り、ただのボクシング映画じゃなかった。重い映画だったなあ。
どでかい鉛の玉が空から降ってきた感じ。
そして、見事に僕を外れた感じ。
重いからっていつも感動できるわけじゃありません。タイミングってありますね。

「ファイナルファンタジー:プレイ日記」は妻から大好評です。もちろん僕も好き。
でもゲームクリアの日は遠いね。クリアする日は感動するだろうね。
ちなみに僕のなかでの学園ドラマトップは斉藤由貴主演の「はいすくーる落書」です。

誰も興味はないだろうと思うけど、昨日仕入れたトリビアルな知識を披露します。
昨日「小林秀雄全作品 25」を読み終わったけど、その中に小林秀雄と大岡昇平の対談が入っていた。大岡昇平がこんな噂話があったねって、小林秀雄が柳田国男を泣かした話をしていた。日本の民俗学について小林秀雄が文句を言ったみたい。
小林秀雄は否定していたけど、大岡昇平の記憶力と、小林秀雄の柳田国男への配慮から推察すると、事実なんじゃないかと思った。

国男っ! そんなことで泣くんじゃない! 男の子だろっ!
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★女王の教室とショムニ

2006年03月19日 03時25分11秒 | テレビ
やっぱり「女王の教室」の本編がすごく観たい。今回2夜に渡って放送されたスペシャル版は天海祐希演じる主人公が「悪魔のような鬼教師」になるまでの物語であったので、豊かな表情やモノローグなどによって天海祐希の素直な心情吐露がなされていた。これだとまあ普通のドラマなのでとりたてて興味はわかないのだが、「悪魔のような鬼教師」になってからがどうもすごそうなのだ。いかんせん本編をみていないのでスペシャル版だけでの判断になってしまうが、鬼になってからは率直な独白はなくなるうえに表情も能面のようになり、彼女が何を考えているのかはその発言や行動から類推するしかないようになる。しかしその発言や行動にはほとんど情感が込められないので、彼女が何をどう思っているのかが見事にわからないのだ。このわからなさが不気味さにつながり物語に緊迫感をうんでいる。なんとも鬼教師ぶりを存分に見てみたい。
ただ、本編はいきなり鬼教師として登場したのであろうから、もともとは心優しい人間だったのですよ、などという設定にしてしまった今回のスペシャルは、本編を見ていた人にとっては興ざめだったのかもしれない。いかにして悪魔のようになっていったか、は明かさないほうがよかったのかもしれないなあという気もしたが、これは本編を見てみないとなんとも言えないな。すくなくともスペシャルだけをみた僕は、とっても本編をみたくなった。番組宣伝として一人分の成果がここにあがっている。

蛇足。
天海祐希演じる鬼教師が物事の本質をつくことしか語らず、その発言の一貫性を保つためだけに行動するというのはショムニの江角マキコ演じるお局OLといっしょである。あのお局OLも実に印象に残る刺激の強い人格だったが、感情の発露がほとんどないのと天海祐希の存在感の分だけ、今回の鬼教師の方が視聴者にあたえる刺激は破壊的だ。FFの魔法でいうとファイアとアルテマくらいに破壊力が違う。わかりやすい喩えだなあ!まあ、コメディとシリアスというドラマの種別において違いがあるので一概に比べることはできないのだが、天海祐希が世俗からはなれた超然とした役を演じると無敵になるな。


ハードボイルドという語に関しての僕の定義。
[定義その1]
作中人物の感情があからさまには表現されないため、読み手はそれを類推するしかないような形で描く、物語を語る形式のひとつ。
[定義その2]
生きのびるために個人的信条をつくり、それに沿った生活をおくる主体のその生き方を指す。
この主体は困難が生じてもその信条を守り通そうとする。

※補記
作中人物の感情があからさまには表現されないながらもその作中人物は別に無口であるわけではない。むしろ一般的にハードボイルドの登場人物は饒舌である場合がおおい。へらず口ばかりたたき本心を語らないのはあからさまな感情表現ではない。

と、いうわけなので☆のあげた例から僕も観ている「レインマン」にこの定義をあてはめてみると、「レインマン」という映画はハードボイルド映画ではないが、そこに登場するダスティン・ホフマン演じるレイモンド(だったよな)はハードボイルド形式で描かれている、と言える。レイモンドは終始無表情であり、彼が何を考えているのか、どんな気持ちでいるのかはほとんど描かれないために、映画を観るものはその心情を類推するしかない。また、レイモンドは自分の身の回りに何がおころうとも、それまでに築き上げた生活形式を変えようとしない。つまりレイモンドはハードボイルド的存在と呼べる要素を備えている。他には「日の名残り」のスティーブンスもハードボイルド的存在だといってよい。


うーん、長くなっちゃった。とりあえずこの辺にしておこう。

[ファイナルファンタジー:プレイ日記]
「女王の教室は、ぼくのなかの学園ドラマとしてトップですね」
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