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大江健三郎『日常生活の冒険』

2020年03月21日 01時13分51秒 | 文学
大江健三郎の『日常生活の冒険』(1964年)を読んだ。(講談社『大江健三郎全小説14』所収)

金泰(キムタイ)というボクサーが登場する。
ボクサーが登場すると古くさく感じる。
三島由紀夫の『鏡子の家』をなかなか読めないのは、ボクサーが登場するということが原因のひとつかもしれない。他に思い出せるのは向田邦子の『阿修羅のごとく』(ドラマを見た)にもボクサーが登場したと思う。
時代だろう。
いまボクサーが登場する小説を書くのは沢木耕太郎くらいのものだろう。

斎木犀吉が伊丹十三をモデルにしているというのがこの小説を読むときの基本事項のようなのだが、それを知ったところでおもしろくないことに変わりはない。
何がおもしろいのかぜんぜんわからなかった。長いし退屈。

《おまえの小説が悪いのは空想しか書いていないことだ。おまえは観察していない。それで、あれはつまらないものになっておる。》(45頁)と語り手の祖父が言うのだが、その通りだなと思った。

《ところが、その数ヶ月前に、ぼくが書いた政治的な残酷物語が様々な他人たちの頭に、怒りのキノコを繁殖させたのであった。僕は夜も昼も、脅迫の電話やら手紙やらの棘だらけのスコールを頭から存分にあびはじめた。ぼくは孤独になり一種のヒポコンデリアにかかり、小説もエッセエも書かなくなった。》(46頁)
とあり当時の苦しみのことがわかる。
このように書かれると、読むつもりのなかった「政治少年死す」も読んでおくべきかなと思う。
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