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☆古きよき日本

2008年12月01日 01時00分04秒 | 文学
今日は一日だらだらと過ごす。もともと休日をだらだらと過ごさないことは滅多にないのだが特にだらだらと過ごす。
録画している黒澤明の映画「赤ひげ」を見ようとしたが三時間ほどあるので、やめて同じく録画している小津安二郎の「麦秋」を見る。
これも途中でやめる。
なんだか映画を見る気分にならない。
しかし小津映画について少し考えた。
画面が動かないとか、視点が低いとか、「こんちは」「こんちは」のように台詞が繰り返されるとか、さまざまな特徴が指摘される小津映画であるが、べつにそんなものは監督の趣味であってそんなものは”どうってことないじゃないか”(小林秀雄口調)と思った。それをあまりにも素晴らしいと言いすぎて、言われすぎて、そこにしか入口がないように思っているがそんなことはないだろう。
そう考えて、今後は小津映画が見られるかもしれないと感じた。
同じようなことで、町田康の小説に興味を持ちながらもなかなか読めないのは、あの一人称焦り気味のしゃべくり口調がどうも息が詰まる気がして、趣味に合わないからなのだが(そして同様に舞城王太郎も読めないのだが)、それはまあ仕方がない。そのうち読めるようになるだろう。ならないかもしれないが。
表現の形式をあまり重要視しないようにしたい。

小津安二郎のあとは茂木健一郎の講演を聴く。高崎経済大学で行われたもの。
良い講演でした。
講演で夏目漱石の「三四郎」が出てきて、やっぱり漱石だよなと思う。こういうのを偶有性というんだろうな。
で、「草枕」を読み始める。
何を読もうかと思って、ゲーテの「詩と真実」やレヴィナスの「全体性と無限」をぱらぱら読んでみていたのだが、あまりおもしろくなく、なんかど真ん中に来ない感じがするなと思っていたのだが、「草枕」はど真ん中だった。
人間の倫理の世界から離れたい気分に、ものすごく共感。(いいんだろうか、こんなことで)。
ついこの間たまたま読んだ、坂口安吾の「文学のふるさと」にもすごく共感したのだった。
いまおそらくそういう気分なのだろう。
レヴィナスの本はどちらかといえば人間の倫理のほうに重きを置いているようで、そこがど真ん中じゃなかった理由なのかもしれない。
僕は別に道徳とか倫理なんてどうでもいい、と言っているわけじゃなく、いまはそっちじゃないと言っているだけです。

夏目漱石を読み続けているからだろうが、古風な日本文学が猛烈に読みたくなっている。
漱石以外では、志賀直哉の「暗夜行路」と島崎藤村の「家」「夜明け前」くらいは読みたい。
「草枕」のせいで温泉旅館にも行きたい。
仕方がないから、温泉旅館の出てくる日本文学めぐりでもするか。
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