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☆「失われた時を求めて」メモ35

2008年04月01日 23時58分15秒 | 文学
旅行に行く予定なので志賀直哉の「城の崎にて」を昨夜読む。
読むと城崎は全く魅力的なところではなく、雨が降って悲しい場所だった。
蜂の垂れ下がった触覚など、見えるような文章だな、というところは感心した。ほかのところは感心しなかったのかというと、そんなことはないのだが、あまりにも有名すぎてなんの評価もできない。
どちらかというと知的ではなく情緒に訴える文章なんだなあと思った。
志賀直哉の他の短編も読みたくなるかと思ったがそんなことはなかった。

もっと知的なものが読みたくて――志賀直哉がバカだと言っているわけでは決してない。知的か情的かどちらかといった場合の話です。――、村上春樹の短編「レキシントンの幽霊」をさきほど読んだ。
《ある種のものごとは、別のかたちをとる》とは、分かりやすく言うと、悲しみは眠りというかたちをとるという意味なのかな、この場合。
志賀直哉の短編と村上春樹の短編のどちらを取るかと言われれば、いまは村上春樹を読んどきたい。

プルースト「失われた時を求めて」6巻496ページまで。
・長かったゲルマント公爵家でのパーティシーンもそろそろ終わるかな。
・ゲルマント公爵は、有名人の話が出ると「それはオリヤーヌ(ゲルマント公爵夫人)のいとこだ」と言うのが口癖。
・貴族は素晴らしい会話をしているものだと思っていたが、たいしたことない、そう知性も感じられない会話をしていることに気づく。
しかしそれは語り手が参加しているからレベルを落としているのではないかと疑う。
・貴族のサロンになんか絶対参加したくないという気分にさせる。
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