葛西臨海公園(かさいりんかいこうえん)は、東京都江戸川区に所在する東京湾に面した都立公園である。葛西渚橋を介して葛西海浜公園と隣接する。
東京都建設局所管、面積は約80.6haあり、水元公園(96ha)や小金井公園(80ha)と並ぶ大規模公園である。園内には日本有数の水族館「葛西臨海水族園」や飲食施設、大観覧車があるほか、鳥類園や多種多様な植物を楽しむことができ、休日を中心に行楽地として賑わっている。
葛西臨海公園駅の南正面に開けた公園である。公園は幾つかのゾーンに分けられている。駅から南に向かって「海へのプロムナード」と呼ばれるメインストリートが延び、両サイドに水族園ゾーン、鳥類園ゾーンに道が分岐する。更に直進すると、大きな広場に出る。この広場には水族園ゾーンの入口があり、海に進めば日本庭園の入口も見えてくる。この道は「汐風の広場ゾーン」の展望レストハウスで終わるが、大きな広場からは南西に第二のメインストリートが伸びており、これを進むと汐風の広場や葛西海浜公園に行くことができる。
水族園ゾーン(公園中央部東寄り)には葛西臨海水族園がある。これは年間入場者数日本一の記録を持つ、東日本で最も人気のある水族館になっている。屋上は展望台になっており、ドームやヨットの帆が海面に浮いているように見える演出が為されている。
鳥類園ゾーン(公園東部)には広大な森の中に「上の池」(淡水)と「下の池」(汽水)が設けられており、池のほとりには「ウォッチングセンター」をはじめ、野鳥観察のための施設が点在している。鳥類園や葛西海浜公園の東なぎさは渡り鳥の休憩場所になっていて、沖合の浅瀬を餌場にする野鳥やそれを狙う猛禽類も飛来する。
この葛西臨海公園は、東京都江戸川区が所在する都立公園ですが、東北大震災では、液状化現象が起きて、ホテルの地盤が歪んだり、駐車場が液状化で使用できなくなったりと数億円かけての修復が行われましたが、四年前にはコロナウイス渦の影響で水族館や観覧車などの入園が規制されて運営出来ない状態が続きました。
こうした背景から江戸川区が長年の赤字が嵩み、葛西臨海公園(都立公園)の管理、運営が困難となり、東京都に管理、運営を委託する形で都知事に打診した経緯があります。
そのことで、昨年に都知事が「葛西臨海公園」の改善計画を発表して、波紋を呼び、発表当日にはネット上で炎上する結果になりました。
東京都庁にはクレームの電話が何百本も入り、開発中止を求める電話やメールは全国から寄せられました。
葛西臨海公園の開発の内容は、海岸沿いのホテルや観覧車のある場所に「世界最大級の太陽光パネルの設置工事」に伴う開発予定を都知事が発表したことにあります。
つまり、ホテルは廃業し、観覧車も撤去され、水族館も移転、民間に委託することでその空き地に「森林1.400本」を伐採して、敷地に太陽光パネルを設置するという構想です。
私からも都知事にメールで中止宣告を申し立てました。以前に環境大臣時代に何度かお会いしていたこともあり、自然破壊に繋がるだけでなく、渡り鳥などの野鳥保護の簡単から「ラムサール条約違反」と申し立てしました。
野鳥ゾーンは開発しないと言われても、森林部がほぼ無くなるので、野鳥が集まって来ません。ましてや海岸沿いには、カワウなどが一千羽近くもおります。海外沿いの森林は「防風林」の役目を果たしています。そこに太陽光パネルを設置しても、強風で高波が来たら「塩害」と多くの海鳥などの糞害などで真面に太陽光パネルは発電不可能になりますと告げました。
そのこともあり、現在では葛西臨海公園では、再開発問題は保留という形で、今後の開発の行方が危惧されます。
葛西臨海公園は、私の苗字の「葛西」と深い関わり合いのある場所(地域)です。私の苗字の発祥地は「葛飾区青砥」にある(葛西城)が江戸時代にありました。当時、葛西臨海地区は地名もなく、海岸でした。葛西臨海公園の地域は、現在は(江戸川区)です。
当時、海岸の干潟には、アサリ、エビ、魚、タコなどの魚介類が多く獲れました。
その恵を船で江戸川を経由して、青砥にある葛西城のお殿様に献上しておりました。
こうしたことから、とても重要で大切な場所だからと「地名」を付けることにしました。
「当時は葛飾」が大きな地域でした。葛西の地域は海岸なのでお城などありません。
それなので「葛飾の西に位置している」ことから「葛飾の葛に西」で(葛西)と名付けられました。同時にお城も「葛西城」と名付けられたそうです。
私の苗字に纏わるご先祖様の名前に纏わる「葛西臨海公園」です。野鳥ゾーンなどもあることから、私の苗字だけではなく、野鳥との関わり合いなど関わり合いがある場所です。センスプロデュース研究所、葛西行彦