センスプロデュース研究所!

ヒトの五感と脳の関係、ヒトの五感の重要性の提唱、研究を行っている者です。

歴史の中の鳥と日本人の関わり合い~弥生時代!

2020-04-06 00:00:30 | 神秘

古代から日本人は自然を崇拝した生活をしてきており、それらが遺伝子的に日本人の精神性に受け継がれていった。鳥霊信仰もその自然崇拝からきた文化のひとつである。これは鳥を神の使いとみなしたり、死者の霊魂が鳥にのって冥界に自由に移動できると考え、また鳥そのものを神、霊魂そのものとして神聖視することをいう。これは同じ動物、自然現象を神とみなした古代エジプトでも似たような考え方が見出される。

古代エジプト文明では人間はバァ(魂)とカァ(精霊)とアク(身体)の三つから成っていると考えられていた。肉体は死んでも、霊魂のバァは来世に行くことができるが、カァとアクは現世に残ると信じられていた。バァは人の頭をもった鳥の姿でよく絵に描かれている。鳥のように飛んで肉体を離れ、墓の外へ出て行ったりしてカァのために供物を運ぶ役目であった(カァはミイラがなくては存在できないと考えられていた)。これはやはり日本のアニミズムと似ている部分を含んでおり、死者の魂が鳥の姿をして来世に旅立つと考えていたことを意味する。

 

「鹿と鳥の文化史」(平林章仁、白水社)にも、縄文時代の鳥霊信仰の存在については定かでない旨書かれているが、狩猟・採集時代である縄文時代の鳥霊信仰はあったのかどうかよくわからない。もっぱら弥生時代以降になって顕在化してくるのである。弥生時代の出土品の銅鐸に水鳥の絵が描かれていることや、鳥形木製品の出土(鳥竿:ちょうかん)、鳥形埴輪の出土、鳥装シャーマンが描かれた弥生土器の出土などから伺うことができる。

河の雁(かり)を死者に食事をささげる役とし、鷺(さぎ)を殯屋の掃除をするものとし、翡翠(かわせみ)食事をつくるものとし、雀は米をつく女とし、雉(きじ)を泣き女として、八日八晩の間、連日にぎやかに遊んで死者の霊を迎えようとした。

 

こうした鳥の扮装をして葬儀をしたことも、おそらく鳥が天の使者としての役目をもっていたことをうかがわせる。また敏達天皇が崩御したときの葬儀で蘇我馬子は誄(しのびごと:死者の生前の功徳をたたえて、その死を悲しむこと)を奉った。このとき、後に蘇我馬子に滅ぼされることになる物部守屋はその姿を「猟箭がつきたった雀鳥のようだ」といって雀のようなしぐさをあざ笑っている。次に物部守屋が身を震わせて誄を奉ると、馬子は「鈴をつければよく鳴るであろう」と笑ったと日本書紀に書かれている。

 

天皇の葬儀で蘇我馬子がしたような雀のしぐさが、さきの古事記にある天若日子の葬儀のそれと類似している。これは鳥の姿、仕草が当時では死者を弔うときの神聖な行為であると考えてよさそうである。鳥と日本人のかかわりホームページより、抜粋引用。

古代エジプトでは「死者の魂が鳥の姿をして来世に旅立つと考えていた」。現に古代エジプトの遺跡、石碑などに鳥やヘビなどの絵が描かれています。

私が子供の頃から「野鳥観察」をするようになったのは、恐竜好きで、鳥が恐竜の子孫だと分かったからでもありましたが、他にも「鳥は魂を運ぶ」と言われていた。伝説があることを知ったから野鳥が好きになったものです。

大人に成長してから、野鳥との関わり合いが私の感覚研究の一部となり、好きとか嫌いなどの次元を超越し、野鳥との関わり合いが使命となったように思えます。

 

現に、二十数年前から武蔵野市の小学校の特別講師(探鳥会講師)を担当しております。

他にも、ライトワーカー(光の仕事人)の役割を担い「あの世とこの世の架け橋役」を担い、此処数年で数人の芸能人の人たちを来世へと導き、見送りしております。また、野鳥の生死に関りも多く体験しています。

ですから、私も「死者の魂(ソウル)が鳥の姿をして来世に旅立つ」のだと信じているだけではなく、私の使命を果たすことに努めているのも、野鳥との関わり合いがあるからだと思います。

単なる「愛鳥」だけではなく、私には「特別な生き物」になっています。

センスプロデュース研究所、葛西行彦

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