『煙たかろう、さのよいよい』(戌井昭人著・まだ未完)

2018-06-27 00:00:21 | 書評
img901新潮社の公式書評誌『波』に連載中の小説である。今、連載の第18回である。そろそろ長編単行本のミニマムのページ数になっているので、いつ『完』という文字が打たれてもおかしくないのだが、さまざまな謎めいた仕掛けがばら撒かれていて、どういうことになるのかもわからない。

ところで、完成していない小説について語るというのも妙なものだ、と思いながら書いているのだが、この小説がどういうジャンルに入るのかと言われると今のところよくわかっていない。純文学、ミステリ、ドキュメンタリー、一家の歴史、もしかしたらエッセイ?

登場する場面は認知症の祖母の語る一家の歴史を母親が解読して脚本家の「わたし」に語るということなのだが、「わたし」の視点から言えば二代前の家の歴史など、部分的にしかわからないのが普通だ。ファミリーのいくつかの重大イベントは知っていてもその背景や意味付けなどなど。

ところが、この一家の重大イベントというのは、そんなに古い話でもないのだ。1984年のこと。ロス五輪の年で開会式にロケットマンが登場したことが一家の共通認識になっている。これも不思議な話で、同じ年にはグリコ森永事件も起きている。そして、重大イベントというのは、当家の所属する世田谷の菩提寺(「お不動さま」と表現している)で火事があった。ご住職と親しくしていたようだが、住職の息子が、寺を継がないと言い始め、大暴れして日本刀で嫁に切りつけ本堂に灯油をまいて放火した。

火は由緒正しい不動明王の像だけではなく本堂のすべてを焼き尽くすことになった。

とはいっても、寺は一家の親戚ではない(はず)。そのイベントの前にあった祖父の一時的駆け落ちなどより重要というのも「わたし」にはまだ理解できていない。

たぶん次回(連載第19回)では、放火シーンが語られ、第20回が最終回になって、読者の抱える謎がきれいに解明されるのではないだろうか。


ところで、1984年の世田谷のお不動様の放火というイベントだが、実感としては「実在の事件」のように感じる。小説なのだからフィクションでも構わないのだが、その他のほとんどの部分がリアルなのだから、中心の事件がフィクションとは思えない。ということで、1日がかりで、1984年に世田谷で放火された寺院を探したのだが、徒労であった。見つからない。その年に世田谷で大きな火事はあったのだが「世田谷局出火事件」といって、電話ケーブルが大量かつ長時間燃えた事件が起きている。一方、調べていて気が付いたのだが1984年の世田谷にかかわらず、全国各地で寺院への放火というのはかなり起こっている。さらに住職や僧侶によるものが多いことに驚くばかりだ。


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