ミケランジェロの再会

2018-08-26 00:00:01 | 美術館・博物館・工芸品
世界遺産候補の国立西洋美術館で開催中の『ミケランジェロと理想の身体』展に行ったのだが、ミケランジェロ作品が10個位あるのかと思っていたら、そうではないのだ。大理石丸彫りの全身立像は2点。それだけである。その他は、ミケランジェロに至るまでの歴史とその後の影響ということである。

ただし、小冊子によれば、2点どころか1点でも元の場所から動かすのは大変ということだそうだ。なにしろ同種の作品は世界に30点余しかなく、どれも「至宝」扱いだし、そもそも壁画に至っては動かしようもないわけだ。

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さらに、今回の2点は、飛び切りのいわくつきの作品であるということだそうだ。

能書きは、一時中断して、作品の方だが、まず『若き洗礼者ヨハネ』。20歳の時の作品だが、早くもミケランジェロ的な理想美がうかがえる。モデルは少年なのだろう。不思議なことに当時は少年と裸の男性が彫刻の対象だった。そういう趣味が一般的だったのだろうか。幼さを残しながらも大人への成熟を予感させる生命力が感じられる。

そして、この像の顔面には黒くすすけた部分がある。実は、第二次大戦中にスペインの教会の中にあったこの像は内戦の中で共和国軍の攻撃によって破壊されてしまったのだ。しかし、残された破片から、現在のところ40%が補修され、残りの部分は再生品になっているそうだ。さらに多くの破片が適合できる状況になることを予測して、接着剤ではなく強力な磁石で合わせられているそうだ。高齢者があまりに近づくとポケットの中の万歩計が誤作動するかもしれない。

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次に、『ダヴィデ=アポロ』。これは謎の彫像。ダヴィデなのかアポロなのかわからないそうだ。背中に担いだ革袋の中に矢が入っていればアポロ、投石器が入っていればダヴィデということなのだが、その革袋が、もやもやと漠然と彫られているそうだ。意地悪なミケ。実は50代半ばだったミケランジェロは、その名声故クレメンス七世より、フィレンチェからローマに来るように命じられ、「最後の晩餐」などの壁画制作に取り掛かる。つまりこの像は95%完成の状態で、未完になったわけだ。

そして、こちらはあまりギリシア風の筋骨ゴリゴリではなく、やわらかに感じられる。いかにも人間的な体だ。どこのスポーツクラブにもいそうな体型だ。もちろん裸では逮捕される。

さらに、この2点だが奇遇関係にある。ミケランジェロの生きている間に、メディチ家は失政によりボロボロになってしまったわけだ。そして再興したのは親戚筋にあたるコジモ一世。この二つの像はコジモ一世の館に同居していたそうだ。といっても美術品の常としてなかなか安住の地を得ることは難しく、二体は生き別れとなってしまった。それ以後500年が経って、やっと上野の地で出会うことになったわけだ。

そしてミケランジェロの方だが、『ダヴィデ=アポロ』に最後の仕上げをすることはなかったのだ。ローマに行ったきり30年以上フィレンチェに戻ることはなかった。1564年2月18日、88歳の生涯を終えたのち、フィレンチェに埋葬される。彼が亡くなってから68日後に生まれたのがシェークスピアである。


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