腹の主に従う人、腹の虫に従う人

2009-06-26 00:00:12 | 市民A
tsurutaro片岡鶴太郎氏のトークを聞く。これも野村の自由学校から。

片岡鶴太郎氏の正体を一言で言うのは難しい。まあ、広い意味では、「タレント」といってしまえばいいのだが、1954年生まれの彼の最初のスタートは芸人だった。

それも「ものまね」。

『つるちゃん』と呼ばれて、得意は「マッチ」とか「小森のオバサン」だったそうだが、最近の人は、そういう時代のことは、全然知らないそうだ。(私も知らない)

なぜ、「ものまね」を芸にできたか、というと、中学時代に学校の先生たちをよく観察していて、その先生たちのものまねをしていたということだそうだ。人間観察術。そのコツは、「特徴をつかむ」ということだそうだ。(私も得意だが)

もちろん、子供の頃、父親は毎週のように彼を上野の寄席に連れて行っていたし、母親もかなりの映画ファンだったことも影響しているのだろう。

その後、都立高校を卒業、さっそく芸人の世界に入ろうと、卒業式の夜、清川虹子邸に押しかけるが、追い払われる。が、『ここで、やめてはダメだ』との体の内側からの声を聞き、結局、熱意が通じて、ものまね修行3年の末、独立することができる。

その後、26才からバラエティで大当たりし、約5年間、寵児となる。レギュラー番組9本。そして、生活は乱れ、疲れ果て、体はぶくぶくになっていく。

そして、30歳を超えたある日、何気なくテレビのバラエティに映る自分の姿を見て、自己嫌悪に陥る。

醜い!!

ここで、彼はまたも体の内側からの声を聞く。「リセット」。

そして、新たな出発として、選んだのがボクシング。1年かけてトレーニングを続け、プロのライセンスを取得する。そして増えてきたのが映画出演だった。

ところが、その新しい人生にも波がある。数々の映画賞を受賞していたにもかかわらず、40歳の頃に、少しずつ仕事が減っていたそうである。

このままでは何もなくなる、と不安が広がっていった彼の目の前に現れたのが、一輪の椿の花だったそうだ。隣家の庭に咲いていたそうだ。

またも体の中からの声が現れる。

「この美しさを記録したい」。

ここで40歳にして、鶴太郎画伯が誕生していくのである。作品は、彼のブログ「片岡鶴太郎日記」で多数見られる。少し、器用すぎて、絵を見る人や、絵を買う人を意識しすぎている画風かもしれない。

今では、複数の美術館を持ち、芸術の領域を絵画だけではなく、陶器や書にまで拡大しているそうである。

得意な題材は、『椿』『魚』『猫』など。

そして、実家が八百屋であったことが関係するのだろうか、最近、「カブ」を描くのを好んでいるそうである。このトークが野村主催だからということではないのだろうが、カブを草冠に無しと漢字一文字で書くのは、あんまりであり、「家富良」と書けばいいそうだ。

まず、形がハート型である。さらに葉はにぎやかに広がり、末広がりを意味し、短い根を右上がりに描けば、「株価が上がる」を意味することになるそうだ。

ところで、彼は、人生のいくつかのターニングポイントで、自分の体内から沸きあがる声を聞くのだが、彼自身は「腹の主に従う」と表現していた。

一方、私はといえば、恥ずかしながら、主に「腹の虫に従う派」である。「あの野郎!」と短気に怒ってみたり、「うまいものが食いたい!」とあちこちふらついたり、「きれいなおネエさんが、・・・・」とか。

ちょっとカブの絵を描いてみた。株価は上がりそうもない。(六色サインペンなので)





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