戦後、疎開先を作った話

2014-08-28 00:00:45 | 市民A
これも8月と言うことで戦争ネタなのだが、個人的にこどもの頃、千葉市の幕張という町に住んでいた。少し前に父親から聞いた話だが、その時は住居不足だったようだ。

にもかかわらず、広めの庭付き一戸建てを賃借していた。ちょっとした曰く(いわく)があったということだった。

ちょうど第二次世界大戦が終わって、日本周辺では朝鮮戦争が燃え上がっていた時期がある。米ソの代理戦争だった。日本では、1945年8月15日を持って、価値観が180度急転してしまったのだが、世界情勢はそういうものでもなく、連合国が二つにわかれて世界最終戦争をはじめようとしていた。第二次大戦が準決勝みたいなもので、さらにサドンデスが始まったわけだ。

その頃、都内に住んでいたある大家さんが、「東京に原爆が落とされたり、さらに大空襲が起きたら、・・・」ということで、千葉県内に家を建てて、避難場所として使おうとしていたそうだ。

思えば、東京も千葉の幕張もそんなに離れているわけじゃなく、現在も、その当時も見分けがつかない人がほとんどだ。東京の一部のような場所なので、有事の時にどれだけ役に立つのかも大いに疑問なのだが。

そして、朝鮮戦争は膠着し、築後間もない一軒家は不要の館となってしまう。それで、あまった家を貸してくれたそうだ。

だいぶ前に記憶を頼りに探しに行ったことがあるが、区画が細分化され、何軒かの小規模の戸建てが並んでいた。危険は去ったということなのだろう(というか、当時の大家が健在であることはないだろう)。

といっても、38度線で膠着した戦線は、今も停戦状態であるわけで、今後、複雑な政治的化学反応が起きた場合、ミサイルや核攻撃という大家さんの危惧が・・・


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