芭蕉という修羅(連載中・嵐山光三郎)

2013-10-16 00:00:51 | 書評
basho新潮社の書評誌(波)に連載中の『芭蕉という修羅』が、俄然、面白くなった。連載6回目で、芭蕉の事実婚の妻が養子と駆け落ちするというシェークスピア的展開となる。そして順風だった水道事業を投げうち、深川に引っ越し、俳風人生を突き進むことになる。

ただ、実は芭蕉は、当時、それほどメジャーじゃなかった。駆け出しの文学青年。当時の大御所は大坂在住の井原西鶴。版元をスポンサーとして万句興行なる公開作句会を開いていた。朝から晩まで次々に句を詠む。実際、西鶴も実業の世界にいて、ある程度おカネを貯めてからスポンサーを捕まえてWIN=WIN関係を築いたわけだ。村上春樹と新潮社の関係みたいだ。

それで、芭蕉は二歳上の西鶴が大嫌いだったのだが、マイナー文学者としては出版社の言うことを聞かないといけない。現代の評価では西鶴よりも芭蕉が上であるのだろうが、それは芭蕉の感性が「人類の普遍性」に近いからなのだろうが、なかなか同時代人には評価されにくいポイントだ。シェークスピア、モーツアルト位の大巨匠にしても、当時はライバルがいたことになっている。鳩山某だって、「ねじの締まってないボンボン」としか評価できないが、200年先にはすばらしい評価を得ているかもしれない(日本は存在しないかもしれないが)。

そして、コツコツと商業主義的実績を積み重ねながら、メジャーデビューの日を待っていたわけだ。(あらかじめ、言っておくと、彼が一流と認められたのは、「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」なのだが、有名過ぎる一句に到達するまでが苦悩の一生だったのだろう。

下積み時代の恐い句。

夜ルひそかに虫は月下の栗を穿ツ(うがつ)


月光の夜、虫がひそかに栗の実を食べ、小さな穴をあけていく。ホラーとしか言えない。

芭蕉は自らを虫にたとえたのだろうか。あるいは栗の方にたとえたのか。

本人はコツコツと努力を重ねる自分を虫の方に喩えたのだろうが、実際には虫ではなく、栗の方だったようだ。芭蕉本人が知る由もない虫がその後、現れるわけだ。


この連載が、いつまで続くのかわからないが、連載が始まった頃には、それほど興味がなかった。もともと芭蕉の名句の数々は、その作品の評価を純粋に楽しめばいいので、芭蕉の人生に深入りしてもしょうがないじゃないか、と思っていたからだ。実際、そういう単に文学史的解説を読んだことは何度もあって、つまらないと思っていたのだが、嵐山光三郎氏の筆は、文学史を超越している。芭蕉の内面に突き進んでいる(もっとも、正しいとは限らないが)。

しかし、残念なことに、連載1回目から6回目までは、既に紙資源化してしまっているので、連載終了後、加筆され、発行されるであろう単行本を買うことになるのだろうが、本の後半を最初に読んで、そのあとで前半を読むということになるわけだ。


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