PROOF OF MY LIFE

2006-01-27 00:00:55 | 映画・演劇・Video
2a99a4d4.jpg数学者の映画が二作上映されている。一つは「博士の愛した数式」という小川洋子原作の映画化で、あちこちで評判なのだが、もう一作「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」の評判は、あまり盛り上がらないので、応援に行く

監督ジョン・マッデン、主演女優グウィネス・パルトロウといえば、アカデミー賞7部門を受賞した「恋に落ちたシェイクスピア」の快作コンビで、当時は2回、劇場に足を運んだ。本作は「2006年アカデミー賞最有力候補」などと書かれているが、よく考えればあまりそのコピーには根拠はないかもしれない。「オリバー・ツイスト」も有力ではないかな。まあ、賞なんかどうでもいいが。

詳しく、ここに筋立てを書くのはマナー違反なので、あっさり書くと、シカゴに住む数学博士とその娘の話で、若い頃に世界的権威だった博士(アンソニー・ホプキンス)が、精神的疾患を病み、世話をしていた娘が替わって研究を引き継ぎ、そのノートを発表するのだが、そのノートは娘が書いたのか、博士が書いたのか、証明(プルーフ)は困難であり、そこに娘の恋人であり、かつ博士の弟子の男性がからむというような話。結構、「博士の愛した数式」と重なる。

この作品は、ともかく重く、グウィネスの狂気じみた表情・演技が続くので、ファンにはたまらないのかもしれない。ただし、「シェークスピア」の時のように、どこまでも明るく、まっすぐな意思を持ち、すべての出演者が個性をぶつけて人生を前進するというような、単純さはまったくない。

出演者の誰が正しく、誰が間違っているのか、あるいは何のために人は行動するのか、そしてこの映画は、どこからきて、この後、どこに向かうのだろうか?何も答えはない。

そして、思い出さなければならないのは、「シェークスピア」は1999年の作。911の前と後では、映画は変わり、ハリウッドはすべてこんな調子だ。この映画がアカデミー賞で評価されるとするならば、アメリカ自身神経症の国になっているのだろうと予測しておく。


余談1:いつも、思うのだが、上映の前に、次々と広告映画が映されるのだが、グウィネスの映画を観にきている人に、眼球から緑の血が噴出すようなフィルムを見せても、まったく効果はないと思う。そして、怖いので目を閉じていると、本編が始まってしまった。

余談2:英語で数学を習う機会がなかったのだが(というか、回避した)、虚数(二乗するとマイナスになる数)のことを「i」と書くが、英語では、imaginary number という美しいコトバで呼ぶことがわかった。「虚数」では可哀想だ。もう一つ、素数は、prime number と言っていたが、こちらは事務的な言い方だ。  


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