上方落語「寿命」をNHK「日本の話芸」で視聴。落語の話の前に「上方」という言葉だが、江戸時代に主に京都大坂などの畿内を一般的に呼ぶ言葉だった。しかし、当時も今も大阪の人から見ると京都を上方と言っていたわけで、おそらく逆はないだろう。つまり上方の中の上方が京都ということだろう。
千葉の人が、外国人に「東京に住んでいる」と騙るようなものかな。
上方落語というのは、要するに狭義の上方ではなく広義の上方の落語ということ。
この『寿命』は江戸時代のできごとにしているが、桂福團治師匠の創作だそうで、本人の演である。
それで、舞台は大坂。日本橋(大坂の日本橋は「にっぽんばし」)界隈で水売りをしている源さんは、得意先の大店の娘「糸はん」が不治の病を患っていて、家人の表情は暗い。つくづく独り身の自分と比べ人生の不平等を嘆く。
というわけで一念発起し、「寿命」探しに出る。中国の皇帝も寿命を探しに日本に使いを送ったという話も聞いていた。
最初に友人に「寿命」を持っている人間を紹介してもらうが、友人の聞き違いで「痔病持ち」を紹介されるなど、身近に寿命を扱う者がいないので、ついに全財産をもって旅に出る。しかし、なかなか寿命に出会うことはできず、3年経って路銀が尽きた時にいた場所は信州のある墓場だ。おそらく、無念の内に亡くなった人間の魂を捕まえようとしたのだろうか。墓の一角に立つ地蔵様に、「ほんま これまでや」と言ってその場に寝込んでしまう。
しばらくして目を覚ますと、地蔵様の前に白い丸餅のような物体がある。「これが寿命か」と袋に入れようとするが逃げ回るわけだ。やっと捕まえると丸餅は「堪忍しておくんなはれ」と大阪弁で許しを求める。正体を突き詰めると、なんと自分の寿命。問い詰めると、「一緒にいると寿命が縮む」ということだそうだ。
逃げたのが「寿命」だから笑いになるが、「配偶者」だったらDV事案になるだろう。
落語の演題というのも本家がいる場合、一門内の弟子に伝授していくというのが一般的のようだ。何となく著作権のようなものがあるのだろう。
寿命が尽きる前に弟子に教えんといかんやろ。
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