昭和史七つの謎(保阪正康)

2008-04-04 00:00:44 | 書評
個人的に、江戸末期のことを色々と調べて楽しんでいるのだが、もともと歴史に興味が深かったわけではない。きっかけは、かなり前になるが「二二六事件」を映画で観たことからだ。だから、歴史を逆順に辿るという、いわゆる歴史ファン的な手法ではないわけだ。というか、それだと、2000年も前から勉強しなければならない。



しかし、なぜ二二六と幕末が繋がるのかというと、一言では簡単ではない。およそアバウトに考えれば、
薩長勢力が、市民革命の代わりに封建国家を打倒する。新政府が国外を見ると列強が植民地政策で勢力を拡大していて、近代国家になるために清国や帝政ロシアを倒し、その後、いつのまに軍事大国になって、満州はじめ東アジアに覇権主義を拡げ、国内反対勢力を弾圧し、善良な多くの国民を戦場にさらし、ギブアップの時期を逸し、最後は正義の味方が星条旗を持って厚木飛行場に着陸した。

というようなことだろうか。

そして最大の問題は、明治から昭和初頭にかけて、「なんとなく軍事大国になった」というところである。中間には、大正デモクラシーというのがあるし、・・・

保阪正康氏の「昭和史七つの謎」は、この二二六に至る経緯、第二次大戦の戦術的謎、インテリジェンス、そして東京裁判のあたりにスポットライトを当てている。もちろんその周辺には数多くの歴史評論があり、読めば読むほど私の頭が混乱するだけなのかもしれないが。


たとえば、東京裁判については、海軍に対し、陸軍の関係者の方がより重い刑を受けている疑問点について、「陸軍主犯説を創りだし、本来責任を負うべき国家リーダーをそのまま利用して、戦後統治しよう」とした米国の都合が読み取れるということだそうだ。(この分野では児島襄氏の大著があって、世間では結構その先入観ができあがっている)

二二六については、五一五から始まる日本の動きを「文化大革命のようだ」とし、歴史の表側の記録だけではなく、いわゆる反対勢力に対して、カゲで「暗殺の脅し」が行われていたのではないだろうか、と推論されている。



昭和という長い年号が、近代・現代史を錯覚させるのだが、幕末から日中戦争が始まるまで約70年、そして10年弱の大戦争の時代があり、戦後60年を超えている。もっと歴史としての昭和前期の解析が必要なのではないだろうかと、なお考えさせられるのである。


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