東京の地霊(鈴木博之著)

2018-08-02 00:00:03 | 書評
実は2012年に一回読んだ本で、東京都内の土地で、主に幕末から明治にかけて曰く因縁があった土地が、昨今どのように変わったかという主旨の書籍である。といっても1990年に書かれている。

例えば、鳥居坂のあたりは、これから再開発されそうなのだが、皇族や財閥など転々と所有権が変わった場所である。また椿山荘の元の所有者山縣有朋のこととか、思えば都内の土地は徳川幕府のものだったわけで、江戸時代の最初に土地がタダ同然の時に、薩摩藩はココ、前田はココで、伊達はソコとか各藩に割り振られたのだが、幕末に徳川幕府が政権を天皇に返した後に、国有地になったと解するべきなのだろう。ただし皇室の土地というのは別にあるし、要するにおかしなことが沢山起きたわけだ。

で、タナボタでもらった土地というのは、なかなかうまく活用することができず、次々と所有者が変わっていく。

ということで不思議な場所はたくさんあるのだが、今回は上野公園のあたりを熟読してみた。

今の上野公園でもJR上野駅の公園口で降りて公園の中をまっすぐ歩くとパンダの家族が住む動物園がある。動物がエアコン完備の住居にいるのに檻の外にいる人間は汗だくだ。

そして、動物園の手前を右に進むと、ずっと先にあるのが展示品の数が少し寂しいが、国立博物館。

実は、この博物館の場所そのものが、寛永寺の本堂だった。東の比叡山という意味の東叡寺と言われ、徳川家の菩提寺だった。そして、勝海舟と西郷隆盛が江戸の無血開城したのに、幕軍の一部は、この上野の山の寛永寺に集まったとされるが、山というほどの物ではない。ほぼ平らといってもいい。攻めるのは大村益次郎なのだが、なぜか包囲して壊滅させなかった。わざわざ逃がしてからそのまま函館まで追尾したというべきだろう。寛永寺を追われた幕府方はそのまま北部逃走した。

一方、その時の戦争で寛永寺はほとんどを焼失。さらに明治になり、残っていた数少ない建物も明治政府が取り壊す。ただ、後に明治政府は隣接の地に寛永寺の再建を認めたがそうとう小型化してしまった。

一方、上野公園の中央には桜の木が生えているが、あのあたりで激闘があって、体の一部や全部がゴロゴロというところだったわけだ。