工場爆発をプラスにした人

2018-08-07 00:00:55 | 市民A
先日、大雨によって岡山県は大きな災害に見舞われた。総社市ではアルミ工場が大爆発して負傷者が多数にわたり、倉敷市真備地区では堤防が決壊し多くの方が亡くなり、家も水没した。私も2年前まで倉敷市の中小企業の社長椅子(大型肘掛け付き)に座っていたので、心配をしていた。水没した真備地区からも社員が通勤していたからだ。

最近、状況がわかったのだが真備地区に住んでいた社員は二人(二家族)。

内、一人は高台に住んでいたため難を逃れたそうだが、もう一人の方は川に近い場所にアパートを借りていて、結果として、アパートは浸水したそうだ。しかし、本人夫妻は、堤防決壊の直前に起きた総社市のアルミ工場の爆発(アルミ工場と真備地区とは4キロの距離)のすさまじい音を聞き、貴重品を持ってただちに車に乗り、橋を渡って安全サイドに逃げ、親戚のいる倉敷の南部に向かったそうだ。

家財と、妻のクルマは水没したそうだが、保険対象になるそうだ。

一人目の高台の話だが、基本的に何代も前から住んでいる人は高台に住んでいるそうだ。低いところは浸水の危険がある。一方、堤防の整備と高梁川に橋が増えてきたことで、比較的安価な住宅地となり人口が流入していたようだ。

また、この地域で随一の観光名所は『横溝正史疎開宅』。名作『八つ墓村』を書いている。今回の浸水被害は、「あと20m」のところで免れたそうだ。

mabi0


次にアルミ工場爆発のあと、直ちに逃げた社員の方だが、時間軸で考えてみる。

工場の場所は真備地区中心の北側5キロで同じく高梁川西岸。高梁川と高梁川に合流する新本川に挟まれた土地で、俗にいえば河原みたいなものだ。数日間、激しい雨が続き、川が増水し工場の中でも危険なので止めるべきか、まだ動かすべきか迷っていたそうだ。そして、実際に工場停止に動き出したのが8月6日の早朝だそうだ。その時、アルミ溶鉱炉に溶解アルミが40トン残っていたそうだ。溶鉱炉に水が入れば爆発するし、溶鉱炉もアルミが冷えれば再開困難になる。

ということで、アルミの抜き取りを急いだのだが、量が多くて抜き切れない上、増水により工場の浸水が確定的になった。この段階で溶解アルミ20トンを残したまま工場従業員は退避を始めた。近くの住民には、まもなく爆発確実という危険は連絡されなかった。結果として8月6日23時35分に大爆発が発生、その後、8月7日03時頃まで断続的に爆発が続いた。40トンを抜くには二日必要だったわけだから、逆に言えばさらに1日前に工場停止を決めなければならなかった。

この爆発音だが、相当大きく、距離10キロの倉敷市はもとより20キロの岡山市、50キロの津山、同じく50キロの香川県まで届いている。

その音の例えとして報道を探すと、「火山噴火」「隕石」「北朝鮮の核兵器」「水蒸気爆発」などの声があったようだ。


また、爆発の30分前、23:00頃に高梁川上流の河本ダムが1965年の完成以来初の緊急放水を開始、これがその後、高梁川の水位を上げ、小田川へのバックウォーターを起こす原因になったと思われる。この放水情報は下流の新見市や総社市には連絡されたが、最下流の倉敷市には連絡はなかった。バックウォーターなど頭になかったのだろう。

そして、工場爆発は6日23時35分から断続的に7日03時まで続くのだが、その間に7日01時35小田川の支流の高馬川が氾濫。時期が不詳だが、さらに小田川支流の6か所が決壊していた。一部の場所でには水の流入が始まっていたのだが、地区全体には危機状況は伝わらなかった。そして5時間後の06時30分に町を大洪水が襲うことになる。

つまり、工場が爆発して2時間の間に脱出する必要があったことになる。逃げ遅れた人は「朝になったら」と考えていたかもしれない。重要なのは、「直ちに、落ち着いて行動する」ことであり、一度は練習しておくことだ。特に夜と昼では光景が違うし停電を想定しておかなければならない。昼の合同避難訓練では役に立たないわけだ。

思うに、逃げた社員はアパートに住んでいたわけで、土地や建物を所有していたわけではない。逃げることに惜しい物はないわけだ。逆に、家や土地を持っていると、「流されたらいやだ→流されるはずはない」という非科学的観念がよぎるのだろう(楽観バイアス)。何を考えても個人の自由なのだが、楽観主義なんて災害の前には無力である。できることは、保険に入ることとか写真や重要なデータは別の場所(親戚とか、会社とか、デジタル化してクラウドとか)に分散するとか、そういうことしかない。