原発議論は十年封印したら

2011-10-14 00:00:39 | 市民A
原発推進から原発廃止まで、もともと日本には様々な考え方があるのだし、今までは、何が何でも地元への補助金と政治献金と広告費によるマスコミ操作で、原発を推進していたのだが、それらの構造が明るみに出るにつれ、「なんだこれは」とか「結局安くないじゃないか」とか「何を信じればいいのか」というようなことになってきている。

ただ、現在の議論の主流である「暫時縮小論」だって、「政治資金が払えなくなった」「広告費が払えなくなったからマスコミに見捨てられた」ということかもしれないし、代替エネルギーの多くは、割高と思われる。

さらに、今度の事故や、その前の柏崎の問題にしても、総合的な事故の分析すら行われていないし、だいたい融溶したと思われる炉心にあった核燃料棒そのものが、今、どこにあるのかすらわかっていないのである。敷地の周りの放射線量だけを測定して安全宣言するような話じゃないわけだ。建物の基礎であるコンクリートを現在進行形で破壊中かもしれないし、一旦それを突き破って地面に穴をあけはじめたら何千メートル地下に潜っていくかもわからないし、既にそうなっているのかもしれない。

また、今だって原発の細かな事故は後を絶つことなく続き、そのたびに長い停止期間に入っている。


それで、簡単にはわけられないが、原発事故は、原子炉そのものの事故なのか、原子炉を地震大国日本の、どこかに置ける場所があるのだろうか、という問題と、管理する体制(会社)が事故を拡大させたのかを考えなければならない。

といっても、「直下地震に強い原子炉」なんて研究は誰もしていない。確かに阪神淡路の時は断層が1メートル以上動いたのだが、原子炉の下の地面が1メートルずれても安全か、というように聞かれても答えられないだろう。

組織問題といっても、この事件をもとに、官僚制度廃止とか言い出しても、とてもできる訳ない。せめて東京ガス程度にしてほしいということだろう。


また一方、日本のノーベル賞作家が反原発推進デモを扇動しているが、彼の反対論は原子爆弾廃止からきているのだろうが、原子核分裂反応を平和利用しようと考えたのが原発なので、ちょっとずれている感が漂う。

まあ、そういうことで、根拠の見えないことを現在、感情論で、決めるというのも、国民を二分するような気がする。

十年(あるいはもっと短くても)研究してから答えを出したらどうなのだろうかと思っているのだ。