1.石原産業紀州鉱山が三重県内務部に、1946年9月に提出した報告書(ここでは「紀州鉱山1946年報告書」とする)。これは、1991年3月に、日本外務省が、韓国政府に渡した第2次名簿にふくまれていたものである。在日本大韓民国民団をつうじて、1993年夏に日本で公開された。
(註) 1990年5月25日。韓国政府が日本政府に強制連行された朝鮮人労働者の調査を要請。
1990年5月末、日本政府、調査開始。
1990年5月28日の閣議で内閣官房で調査することに決定→結局、労働省が担当。
1991年3月、日本外務省が、韓国政府に名簿を渡した(第2次分)。
1992年12月25日、日本外務省が、韓国大使館経由で名簿を韓国政府に渡した(第3次分。約17100人)。
「紀州鉱山1946年報告書」では、1942年から「八・一五」までに紀州鉱山に「徴用・雇傭」された朝鮮人は、のべ875人で、そのうち282人が「逃亡」したとされている。
この報告書には、738人の朝鮮人の名と本籍地や「入所経路」が書かれているが、そのうち、9人を除く729人の「入所経路」は、「官斡旋」と「徴用」とされている。この「官斡旋」とは、1942年2月の閣議決定後の強制連行のことであり、「徴用」とは、1944年9月からの「国民徴用令」による強制連行のことである(朴慶植「朝鮮人強制連行」、『日本通史』第19巻、岩波書店、1995年、参照)。
(註) 1938年4月 「国民総動員法」公布。
1939年6月 中央協和会設立。
1939年7月 「国民徴用令」(閣議決定)公布。
1939年7月28日 「朝鮮人労務者内地移住に関する方針」、「朝鮮人労務者募集要綱」(内務・厚生両次官名義の依命通牒)→「募集」方式の朝鮮人強制連行開始。
1942年2月 「朝鮮人労務者活用に関する方策」閣議決定→「官斡旋」開始。
1944年9月 「半島人労務者ノ移入ニ関スル件」閣議決定→朝鮮人「徴用」開始。
2.1945年4月の三重県知事引継書「国民動員計画による移入朝鮮人労働者」
これは、三重県朝鮮人強制連行真相調査団準備会の要請をうけて、三重県が書庫を
探して発見し、同調査団準備会が、1994年11月はじめに確認したものである。
この文書では、1944年末現在で、三重県内の鉱山や工場(紀州鉱山、東芝三重工場、小野田セメント藤原工場など6か所)に、朝鮮人1767人が強制連行され、そのうち約3分の1の561人が「逃亡」し、「不良送還者」が82人、帰国者が413人で、
「現在員」は711人とされている。
3.中央協和会「移入朝鮮人労務者状況調」(1942年)。
4.日本鉱山協会『半島労務者ニ関スル調査報告』(1945年12月)。
1と2は、「八・一五」のあと50年ちかくたってから、ようやく出されてきたもの
である。
紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の道別人数
咸鏡南道 6人
平安南道 1人
黄 海 道 4人
江 原 道 555人
京 畿 道 97人
忠清北道 6人
忠清南道 3人
慶尚北道 52人
全羅北道 1人
全羅南道 1人
不明 3人
(2)「紀州鉱山1946年報告書」の検討
◆文書が一部脱落している。
「紀州鉱山1946年報告書」の内容それ自体の真実性は、うたがわしいものだが、
それだけでなく、日本政府がだしてきたものは、その全文ではない。
「紀州鉱山1946年報告書」の冒頭部は、もともとは一、二、三の3節にわかれ
ているが、日本政府が韓国政府に渡したものには、一と二がぬけている。
◆いいかげんな記述。
「紀州鉱山1946年報告書」冒頭部の本文では、「徴用・雇傭」された朝鮮人は、
のべ875人となっているが、名簿に記載されているのは、738人である(「雇傭」は
9人のみ)。この名簿には、137人の名がない。
また本文では、「死亡者数」は、10人となっているが、名簿に記載されているの
は、5人(「病死」2人、「死亡」3人)である。
本籍の住所の誤記・誤字がおおい。
紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の郡別人数。()内は逃亡者数。旌善郡から
強制連行された97人の74パーセント(72人)が「逃亡」している。
全羅南道
潭陽郡 1人( 1人)
全羅北道
完州郡 1人
忠清南道
牙山郡 1人( 1人)
洪城郡 1人
燕岐郡 1人
忠清北道
堤川郡 4人( 1人)
槐山郡 1人( 1人)
清州郡 1人
慶尚北道
安東郡 30人(19人)
軍威郡 32人(10人)
慶州郡 1人
平安南道
平原郡 1人( 1人)
江東郡 1人( 1人)
江原道
高城郡 1人
伊川郡 64人(18人)
平康郡 1人( 1人)
鉄原郡 77人(39人)
麟蹄郡 96人( 4人)
襄陽郡 2人
江陵郡 5人( 2人)
洪川郡 1人
横城郡 5人( 3人)
旌善郡 97人(73人)
平昌郡160人(59人)
原州郡 25人( 3人)
寧越郡 11人( 4人)
京畿道
長湍郡 91人(33人)
開豊郡 1人
坡州郡 1人( 1人)
金浦郡 1人( 1人)
ソウル 2人( 1人)
驪州郡 1人
咸鏡南道
定平郡 2人( 1人)
安辺郡 2人( 2人)
黄海道
遂安郡 1人
谷山郡 1人
延白郡 1人
金川郡 1人( 1人)
位置不明
慶尚南道
榮郡? 1人
京畿道
宇豊郡? 1人( 1人)
蓮州郡? 1人( 1人)
「窓口募集」
慶尚南道 山清郡2人、
宜寧郡1人
慶尚北道 達城郡1人
忠清北道 永同郡3人
江 原 道 伊川郡1人
全羅北道 金堤郡1人
実際なにがあったのか。「官斡旋」(496人)、「徴用」(233人)、「窓口」(9人)の実態は? 特別手当、帰国旅費はほんとうに支払われたか。
「解雇」、「転出」、「応召」、「不明(不詳)」の実際の内容は?
強制連行した朝鮮人を「解雇」したのは、なぜか?
物理的拘束、内面の拘束、思想的拘束。
(註) 1990年5月25日。韓国政府が日本政府に強制連行された朝鮮人労働者の調査を要請。
1990年5月末、日本政府、調査開始。
1990年5月28日の閣議で内閣官房で調査することに決定→結局、労働省が担当。
1991年3月、日本外務省が、韓国政府に名簿を渡した(第2次分)。
1992年12月25日、日本外務省が、韓国大使館経由で名簿を韓国政府に渡した(第3次分。約17100人)。
「紀州鉱山1946年報告書」では、1942年から「八・一五」までに紀州鉱山に「徴用・雇傭」された朝鮮人は、のべ875人で、そのうち282人が「逃亡」したとされている。
この報告書には、738人の朝鮮人の名と本籍地や「入所経路」が書かれているが、そのうち、9人を除く729人の「入所経路」は、「官斡旋」と「徴用」とされている。この「官斡旋」とは、1942年2月の閣議決定後の強制連行のことであり、「徴用」とは、1944年9月からの「国民徴用令」による強制連行のことである(朴慶植「朝鮮人強制連行」、『日本通史』第19巻、岩波書店、1995年、参照)。
(註) 1938年4月 「国民総動員法」公布。
1939年6月 中央協和会設立。
1939年7月 「国民徴用令」(閣議決定)公布。
1939年7月28日 「朝鮮人労務者内地移住に関する方針」、「朝鮮人労務者募集要綱」(内務・厚生両次官名義の依命通牒)→「募集」方式の朝鮮人強制連行開始。
1942年2月 「朝鮮人労務者活用に関する方策」閣議決定→「官斡旋」開始。
1944年9月 「半島人労務者ノ移入ニ関スル件」閣議決定→朝鮮人「徴用」開始。
2.1945年4月の三重県知事引継書「国民動員計画による移入朝鮮人労働者」
これは、三重県朝鮮人強制連行真相調査団準備会の要請をうけて、三重県が書庫を
探して発見し、同調査団準備会が、1994年11月はじめに確認したものである。
この文書では、1944年末現在で、三重県内の鉱山や工場(紀州鉱山、東芝三重工場、小野田セメント藤原工場など6か所)に、朝鮮人1767人が強制連行され、そのうち約3分の1の561人が「逃亡」し、「不良送還者」が82人、帰国者が413人で、
「現在員」は711人とされている。
3.中央協和会「移入朝鮮人労務者状況調」(1942年)。
4.日本鉱山協会『半島労務者ニ関スル調査報告』(1945年12月)。
1と2は、「八・一五」のあと50年ちかくたってから、ようやく出されてきたもの
である。
紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の道別人数
咸鏡南道 6人
平安南道 1人
黄 海 道 4人
江 原 道 555人
京 畿 道 97人
忠清北道 6人
忠清南道 3人
慶尚北道 52人
全羅北道 1人
全羅南道 1人
不明 3人
(2)「紀州鉱山1946年報告書」の検討
◆文書が一部脱落している。
「紀州鉱山1946年報告書」の内容それ自体の真実性は、うたがわしいものだが、
それだけでなく、日本政府がだしてきたものは、その全文ではない。
「紀州鉱山1946年報告書」の冒頭部は、もともとは一、二、三の3節にわかれ
ているが、日本政府が韓国政府に渡したものには、一と二がぬけている。
◆いいかげんな記述。
「紀州鉱山1946年報告書」冒頭部の本文では、「徴用・雇傭」された朝鮮人は、
のべ875人となっているが、名簿に記載されているのは、738人である(「雇傭」は
9人のみ)。この名簿には、137人の名がない。
また本文では、「死亡者数」は、10人となっているが、名簿に記載されているの
は、5人(「病死」2人、「死亡」3人)である。
本籍の住所の誤記・誤字がおおい。
紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の郡別人数。()内は逃亡者数。旌善郡から
強制連行された97人の74パーセント(72人)が「逃亡」している。
全羅南道
潭陽郡 1人( 1人)
全羅北道
完州郡 1人
忠清南道
牙山郡 1人( 1人)
洪城郡 1人
燕岐郡 1人
忠清北道
堤川郡 4人( 1人)
槐山郡 1人( 1人)
清州郡 1人
慶尚北道
安東郡 30人(19人)
軍威郡 32人(10人)
慶州郡 1人
平安南道
平原郡 1人( 1人)
江東郡 1人( 1人)
江原道
高城郡 1人
伊川郡 64人(18人)
平康郡 1人( 1人)
鉄原郡 77人(39人)
麟蹄郡 96人( 4人)
襄陽郡 2人
江陵郡 5人( 2人)
洪川郡 1人
横城郡 5人( 3人)
旌善郡 97人(73人)
平昌郡160人(59人)
原州郡 25人( 3人)
寧越郡 11人( 4人)
京畿道
長湍郡 91人(33人)
開豊郡 1人
坡州郡 1人( 1人)
金浦郡 1人( 1人)
ソウル 2人( 1人)
驪州郡 1人
咸鏡南道
定平郡 2人( 1人)
安辺郡 2人( 2人)
黄海道
遂安郡 1人
谷山郡 1人
延白郡 1人
金川郡 1人( 1人)
位置不明
慶尚南道
榮郡? 1人
京畿道
宇豊郡? 1人( 1人)
蓮州郡? 1人( 1人)
「窓口募集」
慶尚南道 山清郡2人、
宜寧郡1人
慶尚北道 達城郡1人
忠清北道 永同郡3人
江 原 道 伊川郡1人
全羅北道 金堤郡1人
実際なにがあったのか。「官斡旋」(496人)、「徴用」(233人)、「窓口」(9人)の実態は? 特別手当、帰国旅費はほんとうに支払われたか。
「解雇」、「転出」、「応召」、「不明(不詳)」の実際の内容は?
強制連行した朝鮮人を「解雇」したのは、なぜか?
物理的拘束、内面の拘束、思想的拘束。