三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

熊野木本トンネルから、紀州鉱山、海南島、パナイ島、ルソン島、ネグロス島へ

2006年03月15日 | 紀州鉱山
イギユン氏とペサンド氏が三重県木本町で地域住民に虐殺されてから、ほぼ10年後、「木本トンネル」から60キロメートルほどのところにある紀州鉱山(石原産業が経営)で、朝鮮人が働きはじめた。
 1939年に日本軍が、北ベトナム対岸にある中国の海南島を占領すると、石原産業は、この島南部の田独鉱山で中国人や朝鮮人を強制労働させ、日本の敗戦までに多くの人のいのちを奪った。同じころ、紀州鉱山でも朝鮮から強制連行された人びとが強制労働させられた。

 日本がアジア太平洋侵略戦争を始め、フィリピンを占領すると、石原産業はフィリピンのルソン島、パナイ島、ネグロス島の鉱山でもフィリピン人を強制労働させ資源を奪った。
 「木本トンネル」でも、紀州鉱山の坑道でも、海南島やルソン島やパナイ島などの鉱山でも、日本に占領された国の民衆が、日本の利益のために働かされていた。
 フィリピンや海南島などで民衆を強制労働させ資源を強奪していた石原産業を、抗日部隊がなんども攻撃した。紀州鉱山でも、朝鮮人が待遇改善を要求してたたかった。1944年秋、紀州鉱山の坑道の入口に、「朝鮮民族は日本民族たるを喜ばず。将来の朝鮮民族の発展を見よ」と、カンテラの火で焼きつけられていたという(許圭氏の証言)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする