事件当時
1925年
1.16 木本トンネル工事開始。多い時には、200人以上の朝鮮人が働く
12.23 木本町の隣りの有井村で大火。朝鮮人労働者、鎮火に協力
1926年
1. 3 イギユン氏とペサンド氏が虐殺される。そののち熊野市民、徹夜
で山狩り
1. 6 朝鮮で、『朝鮮日報』、『東亜日報』が、「事件」の第一報報道
1. 7 朝鮮人労働者約20人が予審裁判にかけられる
1.12 朝鮮総督府、「木本事件」の新聞報道に「封鎖令」
1.15 イギユン氏とペサンド氏の遺体火葬
朝鮮人全員(木本警察署に拘留されていた朝鮮人労働者と、町役
場にあつめられていた家族)が「追放」
1.18 在日朝鮮人諸組織が三重県事件調査会結成
1.21 朝鮮総督府警務局、「木本事件」の経過を発表。朝鮮の各紙報道
ペサンド氏の遺骨を実弟が町役場でうけとる
朝鮮で、朝鮮労農総同盟主催「三重県事件調査会」創立集会禁止
1.22 朝鮮日報の東京駐在員が木本で調査
1.24 辛泰嶽ら朝鮮人調査員3人、三重県委員長上田音市と木本へ
2初 布施辰治、報告書「日本三重県木本町朝鮮人撲殺事件内容」発表
2.10 在日本朝鮮労働総同盟・在東京朝鮮無産青年同盟会・三月会・
一月会の朝鮮人4団体、檄文「三重県撲殺事件に際し全日本無産
階級に訴ふ」配布
2.12 三重県事件調査会、東京で、「調査報告演説会」開催。官憲に
よって報告は中止させられ、演説会強制解散
2.27 東京で、在日本朝鮮労働総同盟ら4団体、「三重県事件批判大演
説会」開催。報告しようとした辛泰嶽ら10数人検束。集会強制解散
3. 1 大阪で、大阪朝鮮労働組合連合会、大阪朝鮮人新進会、「三重県
同胞虐殺糾弾演説会」開催
3.16 一月会、総会で三重県〇〇事件国際糾弾演説会報告
5. 3 安濃津地方裁判所、「予審決定書」をだす。起訴:朝鮮人側15人、
熊野市民17人(ただしこのうち16人は、すでに4月末以前に保釈)
5. 田中孫右衛門、極楽寺にふたりの「墓石」を建立
7.26 「木本トンネル」竣工式。旗行列
8. 2 安濃津地裁で第1回公判
8. 3 第2回公判。朝鮮人多数傍聴
9.28 論告求刑
10.30 判決。朝鮮人側4人が3年~1年6月の実刑(2人控訴)、11人執行猶予。
熊野市民6人2年~6月の実刑(全員控訴)、10人執行猶予、1人自殺
1927年
3. ペサンド氏の妻、金而敬氏が釜山警察署をつうじて木本警察署に
「遺族扶助金」の問い合わせ(木本警察署は「規定」はないと返事)
1928年
11. ヒロヒト即位「恩赦」で日本人すべて、出獄。ペ・サンド氏の殺害者は
ついに逮捕されず
「八・一五」ののち
1973年 谷川義一(「事件」当日、在郷軍人として現場にいた)「鮮人騒動の記」
(『木本小学校百年誌』創立百年祭実行委員会公報部編著)
1978年 武上千代之丞(「事件」当時、『紀南新報』記者)
「内鮮人土工乱闘事件始末」(武上千代之丞『奥熊野百年誌』自費出版)
1983年 岡本実「木本トンネル騒動」(熊野市史編纂委員会編『熊野市史』中巻、
熊野市発行)
1988年
9.11 「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン、ペサンド)の追悼碑を
建立する会」準備会発足
10. キムチョンミ「三重県木本における朝鮮人襲撃・虐殺について」
(『在日朝鮮人史研究』18号(アジア問題研究発行)
11. 3 ペサンド氏の二男ペギョンホン氏と連絡がとれる
1989年
1.28~29 熊野市で追悼会、第1回「現地調査」・現地交流会
4.22 ペギョンホン氏、韓国釜山から「事件」後はじめて、63年ぶりに来日
4.24 ペギョンホン氏、熊野市へ
極楽寺の無縁墓地に離ればなれに置かれていたイギユン氏とペサンド氏
の二つの「墓石」がいっしょにならべられる。追悼会
6. 4 大阪で「追悼碑を建立する会」結成集会。ペギョンホン氏再来日、出席
『六十三年後からの出発』発行
6. 5 熊野市と「交渉」(以後、1992.11.3.まで16回)。『熊野市史』の書きかえ
・追悼碑建立への協力などを要求
8. イギユン氏の故郷、慶州で遺族をさがす
11.26 指紋押捺拒否に連帯する三重の会と共催で講演会
「木本事件と関東 大震災朝鮮人虐殺」
1990年
2. 熊野市教育委員会、『熊野市史』の「一部削除及び訂正」を購読者
の一部に送付
5.23 奈良県生駒郡同和教育研究会21回総会で、「木本事件」について講演
6. 3 三重大学祭で、「木本事件」をテーマにした演劇上演
7.22~24 八尾トッカビ子ども会が、熊野市で追悼と「現地調査」
10.15 「木本事件」当時、朝鮮人と共にたたかって騒擾罪で裁判にかけられた
杉浦新吉氏の遺族とはじめて会う
1991年
5.13付で、熊野市教育長と熊野市立木本小学校長に、『木本小学校百年誌』
の書きかえ、学校教育の現場での「事件」のカリキュラム化などを要求
10. 6 追悼碑を建立する会、熊野地域の有志、熊野市の代表者で、碑文案
検討開始
1992年
1. 「木本事件」が記述された『三重県史』資料編(近代4)出版
3.23 熊野市議会、追悼碑建立費として200万円の予算決議
10.28 熊野市、虐殺の責任を認めず、謝罪を拒否し、逆に会に「謝意」を
求め、建立の日を「吉日」とした碑文案をだす
1993年
1. 追悼碑を建立する会は、熊野市と共に建立する碑と別個に碑を建て
ることを決定
1994年
11.20 追悼碑除幕式
(追悼碑を建立は10月23日。)
1995年
5.21 熊野市との話し合い。『熊野市史』『木本小学校百年誌』の書きかえ、
学校教育での「木本事件」への取り組みなど、三項目を要望。熊野市立
図書館への「木本事件」関連コーナー設置を、教育長承諾
6.12付で熊野市教育委員会、90年2月につづき、『熊野市史』の購読者の一部
に「一部削除及び訂正」送付。しかし、その後、実際には、「一部削除
及び訂正」はほとんど行なわれていないことが判明
6.14 ペギョンホン氏、亡くなる(享年74歳)
8.21付で熊野市、『熊野市史』の書きかえをする考えはないと回答
10. 1 熊野市との話し合い。「事件」関連資料を熊野市教育委員会に渡す
11.10 イギユン氏とペサンド氏の「墓石」、極楽寺から大阪人権博物館に
11.18 追悼碑建立1周年。追悼集会。「墓石」の複製を極楽寺に設置
11.18~19 熊野市と紀州鉱山で「現地調査」
12.13付で、熊野市教育委員会、市立図書館で「木本事件」関連資料を公開
するという約束を破る文書をだす。「一部が公開展示に相応しいもの
とは考えられない」というのが理由
12.19 約束違反を問いただす文書を熊野市教育委員会に送付
1996年
1.10付で、熊野市教育委員会から、「人権尊重と市民尊重を考え、公開展示は
できないと判断した」という回答
2. 三重県の小学校教師がつくった教材「木本トンネルの碑」
を中心に、6年生全クラスで「事件」について授業
6. 9 「追悼碑の建立と歴史教育を考える集い」(四日市市で)
7. イギユン氏の故郷、慶州でふたたび遺族をさがす
11. 8 三重県人権センター開館(津市)。「木本事件」の常設展示設置
11.16 追悼碑建立2周年。追悼集会。参加者全員が、熊野市に、
1.遺族に謝罪すること、
2.虐殺の事実を明らかにし『熊野市史』を書きかえることなどを
もとめる抗議・要請文をだすことを決定
11.17 熊野市に抗議・要請文。紀州鉱山で「現地調査」
12. 韓国江原道旌善で「現地調査」
1997年
1.28 熊野市長と教育長に、『熊野市史』の書きかえ要請。熊野図書館長と
教育委員会に、「木本事件」関係資料展示コーナーを市立図書館に
設置することを要望
2. 9 紀州鉱山の真実を明らかにする会創立
3.31付で、熊野市図書館長・熊野市教育委員会から拒否回答
5. 韓国江原道麟蹄で「現地調査」
5.19 熊野市長・熊野市教育長、熊野市図書館長・熊野市教育委員会に、
『熊野市史』書きかえなどにかんし誠意のある回答を要求
6.15付で、熊野市長・熊野市教育長から『熊野市史』書きかえの意志のない
趣旨の「回答」
*.* 全国図書館大会で熊野市立図書館での「木本事件」資料展示拒否を批判
8. 韓国江原道平昌で「現地調査」
11.15 追悼碑建立3周年。追悼集会
11.16 11.15.付で熊野市に抗議・要請文。紀州鉱山で「現地調査」
12.10 『中日新聞』、「・木本事件・碑補助金6年宙に浮いたまま」と報道
1998年
1.14 熊野市、遺族に謝罪しないと回答
3. 5 熊野市の回答に抗議し再回答要求
5. 7 熊野市、未執行の追悼碑建立の予算の扱いを今後慎重におこなうと、
あいまいな回答
6. 海南島で「現地調査」
7. 韓国放送公社(KBS)、熊野市・紀州鉱山で取材。8月15日に放映
8. 韓国慶尚北道安東・軍威で「現地調査」
9. 韓国安東文化放送(MBC)現地取材。熊野市取材拒否
10. 安東MBC『紀伊半島に隠された真実』放映
11.15 追悼碑建立4周年。追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らか
にする会・日本の侵略の歴史を知るわかやまの会共催で追悼集会
11.16 熊野市に抗議・要請文。紀州鉱山で「現地調査」
1999年
3. 三重県立図書館、名張市立図書館が会の資料を収蔵・公開
7. 6- 8.29 大阪人権博物館と会との共催で企画展「〃木本事件〃熊野から朝鮮人虐殺を問う」を開催
11.21-22 追悼碑建立5周年。追悼集会
2000年
11.18-19 追悼碑建立6周年。追悼集会・「木本事件」パネル展示
極楽寺住職足立知典氏、「碑石」建立。会がその側に説明板を設置
2001年
11.24-25 追悼碑建立7周年。追悼集会・「木本事件」パネル展示
2002年
11.23-24 追悼碑建立8周年。追悼集会・「木本事件」パネル展示
2003年
11.22-23 追悼碑建立9周年。追悼集会・「木本事件」パネル展示
2004年
11.27-28 追悼碑建立10周年。追悼集会・「木本事件」、海南島パネル展示
2005年
9. 海南島「現地調査」(第9回)
12. 3- 4 追悼碑建立11周年。追悼集会 「木本事件」、海南島パネル展示
2006年1月はじめ現在
熊野市・熊野市教育委員会は、犠牲者を追悼しようとせず、遺族に謝罪しようとしていないだけでなく、朝鮮人襲撃・虐殺を「まことに素朴な愛町心の発露」としている『熊野市史』を書き換えようとしていない
1925年
1.16 木本トンネル工事開始。多い時には、200人以上の朝鮮人が働く
12.23 木本町の隣りの有井村で大火。朝鮮人労働者、鎮火に協力
1926年
1. 3 イギユン氏とペサンド氏が虐殺される。そののち熊野市民、徹夜
で山狩り
1. 6 朝鮮で、『朝鮮日報』、『東亜日報』が、「事件」の第一報報道
1. 7 朝鮮人労働者約20人が予審裁判にかけられる
1.12 朝鮮総督府、「木本事件」の新聞報道に「封鎖令」
1.15 イギユン氏とペサンド氏の遺体火葬
朝鮮人全員(木本警察署に拘留されていた朝鮮人労働者と、町役
場にあつめられていた家族)が「追放」
1.18 在日朝鮮人諸組織が三重県事件調査会結成
1.21 朝鮮総督府警務局、「木本事件」の経過を発表。朝鮮の各紙報道
ペサンド氏の遺骨を実弟が町役場でうけとる
朝鮮で、朝鮮労農総同盟主催「三重県事件調査会」創立集会禁止
1.22 朝鮮日報の東京駐在員が木本で調査
1.24 辛泰嶽ら朝鮮人調査員3人、三重県委員長上田音市と木本へ
2初 布施辰治、報告書「日本三重県木本町朝鮮人撲殺事件内容」発表
2.10 在日本朝鮮労働総同盟・在東京朝鮮無産青年同盟会・三月会・
一月会の朝鮮人4団体、檄文「三重県撲殺事件に際し全日本無産
階級に訴ふ」配布
2.12 三重県事件調査会、東京で、「調査報告演説会」開催。官憲に
よって報告は中止させられ、演説会強制解散
2.27 東京で、在日本朝鮮労働総同盟ら4団体、「三重県事件批判大演
説会」開催。報告しようとした辛泰嶽ら10数人検束。集会強制解散
3. 1 大阪で、大阪朝鮮労働組合連合会、大阪朝鮮人新進会、「三重県
同胞虐殺糾弾演説会」開催
3.16 一月会、総会で三重県〇〇事件国際糾弾演説会報告
5. 3 安濃津地方裁判所、「予審決定書」をだす。起訴:朝鮮人側15人、
熊野市民17人(ただしこのうち16人は、すでに4月末以前に保釈)
5. 田中孫右衛門、極楽寺にふたりの「墓石」を建立
7.26 「木本トンネル」竣工式。旗行列
8. 2 安濃津地裁で第1回公判
8. 3 第2回公判。朝鮮人多数傍聴
9.28 論告求刑
10.30 判決。朝鮮人側4人が3年~1年6月の実刑(2人控訴)、11人執行猶予。
熊野市民6人2年~6月の実刑(全員控訴)、10人執行猶予、1人自殺
1927年
3. ペサンド氏の妻、金而敬氏が釜山警察署をつうじて木本警察署に
「遺族扶助金」の問い合わせ(木本警察署は「規定」はないと返事)
1928年
11. ヒロヒト即位「恩赦」で日本人すべて、出獄。ペ・サンド氏の殺害者は
ついに逮捕されず
「八・一五」ののち
1973年 谷川義一(「事件」当日、在郷軍人として現場にいた)「鮮人騒動の記」
(『木本小学校百年誌』創立百年祭実行委員会公報部編著)
1978年 武上千代之丞(「事件」当時、『紀南新報』記者)
「内鮮人土工乱闘事件始末」(武上千代之丞『奥熊野百年誌』自費出版)
1983年 岡本実「木本トンネル騒動」(熊野市史編纂委員会編『熊野市史』中巻、
熊野市発行)
1988年
9.11 「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン、ペサンド)の追悼碑を
建立する会」準備会発足
10. キムチョンミ「三重県木本における朝鮮人襲撃・虐殺について」
(『在日朝鮮人史研究』18号(アジア問題研究発行)
11. 3 ペサンド氏の二男ペギョンホン氏と連絡がとれる
1989年
1.28~29 熊野市で追悼会、第1回「現地調査」・現地交流会
4.22 ペギョンホン氏、韓国釜山から「事件」後はじめて、63年ぶりに来日
4.24 ペギョンホン氏、熊野市へ
極楽寺の無縁墓地に離ればなれに置かれていたイギユン氏とペサンド氏
の二つの「墓石」がいっしょにならべられる。追悼会
6. 4 大阪で「追悼碑を建立する会」結成集会。ペギョンホン氏再来日、出席
『六十三年後からの出発』発行
6. 5 熊野市と「交渉」(以後、1992.11.3.まで16回)。『熊野市史』の書きかえ
・追悼碑建立への協力などを要求
8. イギユン氏の故郷、慶州で遺族をさがす
11.26 指紋押捺拒否に連帯する三重の会と共催で講演会
「木本事件と関東 大震災朝鮮人虐殺」
1990年
2. 熊野市教育委員会、『熊野市史』の「一部削除及び訂正」を購読者
の一部に送付
5.23 奈良県生駒郡同和教育研究会21回総会で、「木本事件」について講演
6. 3 三重大学祭で、「木本事件」をテーマにした演劇上演
7.22~24 八尾トッカビ子ども会が、熊野市で追悼と「現地調査」
10.15 「木本事件」当時、朝鮮人と共にたたかって騒擾罪で裁判にかけられた
杉浦新吉氏の遺族とはじめて会う
1991年
5.13付で、熊野市教育長と熊野市立木本小学校長に、『木本小学校百年誌』
の書きかえ、学校教育の現場での「事件」のカリキュラム化などを要求
10. 6 追悼碑を建立する会、熊野地域の有志、熊野市の代表者で、碑文案
検討開始
1992年
1. 「木本事件」が記述された『三重県史』資料編(近代4)出版
3.23 熊野市議会、追悼碑建立費として200万円の予算決議
10.28 熊野市、虐殺の責任を認めず、謝罪を拒否し、逆に会に「謝意」を
求め、建立の日を「吉日」とした碑文案をだす
1993年
1. 追悼碑を建立する会は、熊野市と共に建立する碑と別個に碑を建て
ることを決定
1994年
11.20 追悼碑除幕式
(追悼碑を建立は10月23日。)
1995年
5.21 熊野市との話し合い。『熊野市史』『木本小学校百年誌』の書きかえ、
学校教育での「木本事件」への取り組みなど、三項目を要望。熊野市立
図書館への「木本事件」関連コーナー設置を、教育長承諾
6.12付で熊野市教育委員会、90年2月につづき、『熊野市史』の購読者の一部
に「一部削除及び訂正」送付。しかし、その後、実際には、「一部削除
及び訂正」はほとんど行なわれていないことが判明
6.14 ペギョンホン氏、亡くなる(享年74歳)
8.21付で熊野市、『熊野市史』の書きかえをする考えはないと回答
10. 1 熊野市との話し合い。「事件」関連資料を熊野市教育委員会に渡す
11.10 イギユン氏とペサンド氏の「墓石」、極楽寺から大阪人権博物館に
11.18 追悼碑建立1周年。追悼集会。「墓石」の複製を極楽寺に設置
11.18~19 熊野市と紀州鉱山で「現地調査」
12.13付で、熊野市教育委員会、市立図書館で「木本事件」関連資料を公開
するという約束を破る文書をだす。「一部が公開展示に相応しいもの
とは考えられない」というのが理由
12.19 約束違反を問いただす文書を熊野市教育委員会に送付
1996年
1.10付で、熊野市教育委員会から、「人権尊重と市民尊重を考え、公開展示は
できないと判断した」という回答
2. 三重県の小学校教師がつくった教材「木本トンネルの碑」
を中心に、6年生全クラスで「事件」について授業
6. 9 「追悼碑の建立と歴史教育を考える集い」(四日市市で)
7. イギユン氏の故郷、慶州でふたたび遺族をさがす
11. 8 三重県人権センター開館(津市)。「木本事件」の常設展示設置
11.16 追悼碑建立2周年。追悼集会。参加者全員が、熊野市に、
1.遺族に謝罪すること、
2.虐殺の事実を明らかにし『熊野市史』を書きかえることなどを
もとめる抗議・要請文をだすことを決定
11.17 熊野市に抗議・要請文。紀州鉱山で「現地調査」
12. 韓国江原道旌善で「現地調査」
1997年
1.28 熊野市長と教育長に、『熊野市史』の書きかえ要請。熊野図書館長と
教育委員会に、「木本事件」関係資料展示コーナーを市立図書館に
設置することを要望
2. 9 紀州鉱山の真実を明らかにする会創立
3.31付で、熊野市図書館長・熊野市教育委員会から拒否回答
5. 韓国江原道麟蹄で「現地調査」
5.19 熊野市長・熊野市教育長、熊野市図書館長・熊野市教育委員会に、
『熊野市史』書きかえなどにかんし誠意のある回答を要求
6.15付で、熊野市長・熊野市教育長から『熊野市史』書きかえの意志のない
趣旨の「回答」
*.* 全国図書館大会で熊野市立図書館での「木本事件」資料展示拒否を批判
8. 韓国江原道平昌で「現地調査」
11.15 追悼碑建立3周年。追悼集会
11.16 11.15.付で熊野市に抗議・要請文。紀州鉱山で「現地調査」
12.10 『中日新聞』、「・木本事件・碑補助金6年宙に浮いたまま」と報道
1998年
1.14 熊野市、遺族に謝罪しないと回答
3. 5 熊野市の回答に抗議し再回答要求
5. 7 熊野市、未執行の追悼碑建立の予算の扱いを今後慎重におこなうと、
あいまいな回答
6. 海南島で「現地調査」
7. 韓国放送公社(KBS)、熊野市・紀州鉱山で取材。8月15日に放映
8. 韓国慶尚北道安東・軍威で「現地調査」
9. 韓国安東文化放送(MBC)現地取材。熊野市取材拒否
10. 安東MBC『紀伊半島に隠された真実』放映
11.15 追悼碑建立4周年。追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らか
にする会・日本の侵略の歴史を知るわかやまの会共催で追悼集会
11.16 熊野市に抗議・要請文。紀州鉱山で「現地調査」
1999年
3. 三重県立図書館、名張市立図書館が会の資料を収蔵・公開
7. 6- 8.29 大阪人権博物館と会との共催で企画展「〃木本事件〃熊野から朝鮮人虐殺を問う」を開催
11.21-22 追悼碑建立5周年。追悼集会
2000年
11.18-19 追悼碑建立6周年。追悼集会・「木本事件」パネル展示
極楽寺住職足立知典氏、「碑石」建立。会がその側に説明板を設置
2001年
11.24-25 追悼碑建立7周年。追悼集会・「木本事件」パネル展示
2002年
11.23-24 追悼碑建立8周年。追悼集会・「木本事件」パネル展示
2003年
11.22-23 追悼碑建立9周年。追悼集会・「木本事件」パネル展示
2004年
11.27-28 追悼碑建立10周年。追悼集会・「木本事件」、海南島パネル展示
2005年
9. 海南島「現地調査」(第9回)
12. 3- 4 追悼碑建立11周年。追悼集会 「木本事件」、海南島パネル展示
2006年1月はじめ現在
熊野市・熊野市教育委員会は、犠牲者を追悼しようとせず、遺族に謝罪しようとしていないだけでなく、朝鮮人襲撃・虐殺を「まことに素朴な愛町心の発露」としている『熊野市史』を書き換えようとしていない