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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島近現代史研究会第13回定例研究会報告

2014年02月09日 | 海南島近現代史研究会
 きょう(2月9日)、海南島近現代史研究会の13回目の定例研究会を開催しました。
 今回はこれまでの海南島における「現地調査」を踏まえて、「海南島における日本の侵略犯罪」という主題で報告と討論を行いました。
 はじめに佐藤正人さんが「帝国主義諸国の侵略犯罪史における海南島の侵略犯罪」と題して、16世紀のスペインによるインカの占領以来の帝国主義の侵略史の流れを追いながら、その虐殺によって絶滅した民族がいること、その遺骨が博物館に展示されていること、またそれ以降に行われた帝国主義諸国によるおびただしい虐殺がほとんど究明されずにいることを指摘すると同時に、そのような帝国主義諸国の侵略犯罪の歴史のなかで海南島における日本国家の住民虐殺の事実と原因を分析し、なぜ日本人がそのような虐殺をおこなったのかを解明する必要がる、と話しました。日本兵らの住民虐殺は、天皇のためにみずからが死ぬと同時に他者の殺害を正当化する日本ナショナリズムがあり、この日本ナショナリズムの構造を総合的に明らかにする必要がある、と指摘し、その究明を通して侵略責任を問うことが重要だと強調しました。
 キムチョンミさんは「海南島における住民虐殺 証言・記録・もの」と題して、侵略者の証言・記録・ものと被害者の証言・記録・ものをそれぞれ調査し、解析することによって住民虐殺の真相を究明することの重要性を話しました。侵略者が残した軍事施設(飛行場、ト―チカなど)はいまだに島の人々の農作業を妨げており、日本軍が放置した遺骨がいまだに海南島の地中に残されている。『海南警備府戦時日誌』などの日本軍の記録は住民の虐殺を「功績」として讃える記述によって否定的なかたちで虐殺の真相を語り出している。これらの加害の側の記録文書を住民の証言や住民が記録した文書とともに分析して侵略犯罪の事実を究明しなければならない、と述べました。加害者の証言にしても、記録にしても、わたしたちの会の調査活動によって、はじめて明らかにされたものが多いのです。その意味で、わたしたちの活動の意義をあらためて確認した貴重な報告でした。
 斉藤日出治は「海南島の住民虐殺と戦後日本の植民地主義」と題して、戦後日本で海南島をはじめとするアジアの民衆虐殺が隠されていることと「戦後」という日本人の歴史認識との関連を問う報告を行いました。日本の指導者は敗戦の末期に天皇制の崩壊を恐れて、「本土決戦」を回避し、「国体」を護持した。このように戦争が他律的に終わったことによって、日本人は戦争を自律的に終わらせる機会を喪失してしまい、侵略犯罪と植民地主義についてのみずからの責任に対する取り組みを放棄して、戦後日本の社会を築き上げた。今日、そのことの無自覚をアジアの民衆によって告発されると同時に、この無自覚が敗戦を否認する近年の日本の社会的風潮を生み出している、という問題提起を行いました。
 竹本昇さんは、「抗日戦士殺害を「功績」とする日本軍」と題して、私たちの会が訪問した新龍鎮新村における抗日戦士の爆死の出来事をとりあげました。日本軍の襲撃によって地下室に追い込まれた新村の抗日戦士は、外に出て日本軍と戦うならば村人に多大な犠牲をもたらすことになると判断し、戦うことを断念し爆死するという苦渋の決断を下しのですが、この爆死を横須賀第4特別陸戦隊の『戦闘詳報』は、「敵」が追いつめられて逃げられないと観念し爆死にいたった、としてその爆死を日本軍の「功績」として記録し、日本軍の「志気旺盛」を強調しているのです。新村で爆死した抗日戦士のお連れ合いの女性からその話を聴くことによって、わたしたちは日本軍の記録文書に隠された虐殺の真相にたどり着くことができました。

 その後、休憩をはさんで、参加者全員で、「帝国主義諸国の国家犯罪、とくに日本の国家犯罪をどのように認識するか」というテーマで討論しました。
 討論の焦点は、日本軍がなぜ海南島で残虐な住民虐殺をおこなったのか、なぜそのようなことができたのか、という点に当てられました。佐藤正人さんは、天皇制と日本ナショナリズムにその究極の原因がある、にもかかわらず戦後も象徴天皇制が日本国憲法に規定され、存続している。日本人は天皇の戦争責任を問わずに戦後も天皇制が存続していることに問題の根源にある、と指摘しました。また、日本ナショナリズムについては、アジアの民衆による抗日のナショナリズムと天皇制に支えられた日本ナショナリズムを区別しなければならない。また戦後における日本の国内の反戦平和の運動は、アジアにおける日本の侵略に抗する抵抗運動をみていない、ということも指摘しました。
 発言者のひとりは、日本では、日ノ丸、君が代がスポーツの祭典などで掲げられ、日常生活の中に浸透しているが、その動きに抵抗しているひとびとも、沖縄の知花昌一さんのように存在する、と語り、戦後日本に定着した日ノ丸・君が代の常識を打ち破ることができるのも、海南島の住民虐殺の事実の究明を通してなのだ、と訴えました。
 また、1921年に信濃川の東京電力の発電所に強制労働させられていた朝鮮人が殺された事件を調査している人から、その運動の紹介がありました。

 討論の後、佐藤正人さんから2013年10~11月の海南島での「現地調査」の報告が行われ、文昌市大頂村で家族が日本軍に殺されたことを涙ながらに語った魏学策さんの話が紹介されました。また「朝鮮村」の近況について、キムチョンミさんから「朝鮮村」が現在、高速道路の建設や村有地の売却問題のトラブルのなかで、朝鮮人が埋められている土地が荒れ放題になり、遺骨の破壊が進んでいる状況が報告されました。
 今回は参加者が少なかったのですが、この研究会の活動の根幹にかかわる議論がおこなわれ、またその議論が今日の日本及び世界の現状に有する意義をあらためて確認できたという意味で、きわめて貴重な研究会だったと言えます。
                                               斉藤日出治

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