三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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日本侵略期(抗日反日闘争期)海南島史研究 14

2007年04月04日 | 海南島史研究
 アジア太平洋戦争敗戦後、日本は、1950年代前半に、朝鮮戦争時の「軍事特需」を契機として、朝鮮民衆を犠牲として自国経済を「復興」させた。
 1960年代に、日本は、アメリカ合州国のベトナム侵略戦争の軍事基地となって経済を成長させ、さらにアジア太平洋、アラブ、アフリカ、中央・南アメリカの各地で資源(材木、鉱石、漁業資源など)を不等価交換で奪い、自然を破壊し、経済を発展させてきた。
 20世紀末、1999年8月13日に、日本は、侵略の旗「ヒノマル」を国旗とし、天皇賛歌「キミガヨ」を国歌とし、その12日後の8月25日に、他地域・他国軍事侵略のための「周辺事態法」を施行した。
 21世紀はじめ、2001年12月2日、日本海軍軍艦が、アラビア海で作戦行動中の米軍艦に燃料を洋上補給し、アフガニスタン侵略戦争・アフガニスタン民衆殺戮に直接荷担した。このとき、アジア太平洋戦争後はじめて、日本正規軍が侵略戦争に参戦した。
 2004年1月から日本政府は日本軍を、アメリカ合州国のイラク侵略戦争に参戦させている。イラクに侵入した日本軍は、ファルージャやバスラなどイラク各地でのアメリカ合州国軍の民衆虐殺に間接的に荷担している。

 アジア太平洋各地で民衆殺戮・暴行・略奪をくりかえした日本人兵士たちは、日本にもどってからは侵略地での犯罪を隠し平和に暮らし続けた。
 極悪の侵略犯罪者ヒロヒトは、東京裁判開廷1年後の1947年5月3日から、「日本国の象徴」兼「日本国民統合の象徴」となった。その2年前、1945年4月30日に、ヒトラーは自殺していた。ヒロヒトは生きのこり、死ぬ時まで天皇であり続けた。

 日本政府に、海南島をふくめ、アジア太平洋全域で日本軍が生命を奪った人びとすべての、名前、殺害場所、殺害状況、殺害方法、遺骨のありかを明らかにさせるとともに、住民虐殺をおこなったすべての日本軍部隊名と兵士名を公表させ責任者を処罰させ、犠牲者と遺族に謝罪させ、賠償させなければならない。

 国民国家日本の侵略の時代は終っていない。

 世界近現代史において、世界の各地で、帝国主義諸国の国民によって、海南島でおこなわれたのと同質のことがおこなわれ、いまもおこなわれている。
 
 海南島での国民国家日本の侵略犯罪を明らかにすることは、全世界的規模の侵略の構造を破壊する民衆運動の一環である。
                                    佐藤正人
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