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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「消えた名簿  長崎 被爆徴用工」

2017年09月28日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://mainichi.jp/articles/20170922/ddp/041/040/031000c
『毎日新聞』2017年9月22日 西部朝刊
■消えた名簿  長崎 被爆徴用工/上  被爆の証し、葬った日本 95歳韓国人「もう時間ない」
 「本当に悔しい」。韓国・ソウルの南約70キロの安城市にある老人ホーム。戦時中、長崎市の三菱重工長崎造船所に徴用された韓国人の李寛模(イグァンモ)さん(95)は今月15日、支援者から渡された1枚の紙に目を通し、体を震わせた。長崎地方法務局が今年7月、同造船所に徴用されるなどして被爆したとみられる朝鮮半島出身者約3400人の名簿を「廃棄した」と認めた証明書だ。
 李さんは2014年、徴用された長崎で被爆したとして被爆者健康手帳の交付を長崎市に申請したが、「被爆したことを確認できる資料がない」などとして却下された。法務局が「廃棄」した名簿は、同造船所が朝鮮半島出身者への未払い賃金などを1948年に法務局に供託した際に作成された。広島市は15年、広島法務局が保管する供託名簿を基に元徴用工に手帳を交付しており、李さんも名簿に名前があれば被爆したことを証明する証拠になるはずだった。
 李さんは44年夏に朝鮮半島の黄海道(現在は北朝鮮)から徴用された。長崎造船所では、鋼板の接合部に熱した鋲(びょう)を打つ「カシメ」と呼ばれる作業に従事した。当時収容された「キバチリョウ(木鉢寮)」という宿舎名や、毎朝出勤時に工場の門で裏返した札に書かれた自らの番号「サンマンロクセンキュウヒャクジュウニバン(3万6912番)」を日本語で覚えている。
 45年8月9日、爆心地から約5・5キロ離れた木鉢寮で真っ赤な光と爆風に見舞われ、窓ガラスが割れた。数日後、救護活動を命じられて灰の山と化した爆心地近くに入った。終戦後、帰国するために乗った木造船は暴風雨で故障し、4日間漂流したという。
 戦後、日本の被爆者援護のことなど知らず、05年に強制動員被害の調査に訪れた韓国政府機関から教えてもらい、14年に手帳交付を申請した。日本政府は手帳申請者に被爆を証明する公的書類や証人を探すよう求めているが、被爆後の70年余を朝鮮半島で生きた李さんには高すぎるハードルだった。長崎市の調査に李さんは造船所での番号など覚えている限りの記憶を述べたが、市は信用しなかった。
 李さんは昨年12月、別の元徴用工2人に続き手帳交付を求める訴訟を長崎地裁に起こした。長崎地方法務局の名簿廃棄は、被爆の「証拠」を示すよう求めてきた国自身がそれを闇に葬り去っていたことを意味する。「私にはあまり時間はない。なんでこんな野蛮なことをするんだ。先進国がすることか」。薄暗い老人ホームの部屋に、李さんの無念の叫びが響いた。

     ◇

 8月8日付毎日新聞の報道で、長崎地方法務局による名簿廃棄が明らかになった。韓国の元徴用工らを訪ね、問題の影響や背景を取材した。
   【このブログの8月23日の「日本、被爆朝鮮人徴用者名簿をこっそり廃棄」をみてください】
   http://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/12797e241c7305ff33ace39be9d04838

■ことば 名簿廃棄問題
 旧労働省の資料などによると、三菱重工長崎造船所は1948年6月、朝鮮半島出身者約3400人分の未払いの給料など85万9770円78銭を長崎地方法務局に供託した。この供託について問い合わせた市民団体に対し、同法務局は今年7月、時効(10年)を理由として59年に供託金を国庫に納付し、供託の際に作成された名簿も70年8月末に廃棄されたとの証明書を発行した。しかし、戦後処理が未解決であることを踏まえ、法務省は58年、朝鮮半島出身者への未払い金は10年が過ぎても国庫に納付せず、既に納付した場合も書類を保存するよう通達している。


https://mainichi.jp/articles/20170923/ddp/041/040/031000c
『毎日新聞』2017年9月23日 西部朝刊
■消えた名簿 長崎 被爆徴用工/中  国・企業、責任逃れ
 朝鮮半島出身の元徴用工が長崎で被爆したことを証明するための重要な証拠となる三菱重工長崎造船所(長崎市)の供託名簿を、長崎地方法務局はなぜ廃棄したのか。
 法務局や法務省の説明はこうだ。法務局に現存する資料から、1948年6月2日に供託された3418人分の未払い金85万9770円78銭に関する書類を廃棄したという事実は認めるが、その供託が朝鮮半島出身者に関するものだったかどうかは書類が廃棄されてしまったので分からない--。
 だが実は、廃棄された供託書類が朝鮮半島出身者のものであることを示す公文書が国立公文書館つくば分館(茨城県つくば市)に保管されている。「朝鮮人に対する賃金未払債務調」。全国の事業所ごとに、朝鮮半島出身者への未払い金がいくらあるのかを旧労働省が調査し、53年に作成した報告書だ。
 東京の国立公文書館で黄ばんだファイルをめくると、「三菱重工長崎造船所」の欄があり、朝鮮半島出身者3406人分の未払いの給料などとして48年6月2日に85万9770円78銭が供託された、とあった。長崎地方法務局が廃棄したものと供託の日付と金額が一致し、人数もほぼ同じだ。
 資料を廃棄したとする「証明書」を法務局から受け取り、公文書館で旧労働省報告書も掘り起こした市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」の小林久公(ひさとも)事務局次長(75)は「資料を照合すれば、廃棄したのは朝鮮半島出身者のものであることは明白だ。言い逃れはできない」と批判する。
 廃棄されたのが朝鮮半島出身者の供託書類ならば、法務局の行為は法務省の通達にも違反する。同省は58年、戦後処理が未解決であることを踏まえ、朝鮮半島出身者への未払い金については時効(10年)によって国庫に納付しないよう求め、既に納付した場合も書類を保存するよう通達していた。ところが、長崎地方法務局は翌59年、時効を理由に供託金を国庫に納め、名簿も70年に廃棄したとする。
 毎日新聞は法務省に対し、旧労働省報告書の存在を伝えたうえで改めて見解を求めたが、同省は「廃棄した書類が朝鮮半島出身者に関するものかどうか分からない」とする従来の見解は「変わらない」と答えた。
 供託名簿などの重要書類は供託の当事者である企業も保管しているはずだ。しかし、三菱重工広報部は取材に「確認のしようがなく、コメントできない」と回答した。3000人を超す被爆者の存在を示す資料が消えた責任を、国も企業も負おうとはしない。


https://mainichi.jp/articles/20170924/ddp/041/040/022000c
『毎日新聞』2017年9月24日 西部朝刊
■消えた名簿 長崎 被爆徴用工/下  究明、行政も一緒に
 韓国南部、南海島の海に面した一軒家。戦時中に三菱重工長崎造船所(長崎市)に徴用されていた朝鮮半島出身者の名簿を長崎地方法務局が廃棄していたことについて、今月16日、支援者から説明を受けた元徴用工の裵漢燮(ペハンソプ)さん(91)は「何でこんなことをしたんだ」と嘆いた。
 裵さんは10代半ばで、南海島から姉を頼って八幡市元城町(現北九州市)に渡り、1944年に長崎造船所に徴用された。45年8月9日、夜勤明けで寮の敷地内にある食堂に向かっていた時に被爆。がれきが腰に当たり、けがをしたという。今も一時生活した「キバチリョウ(木鉢寮)」という宿舎名や、長崎市沖にあった「カワナミ(川南)」という造船所名を覚えている。
 裵さんは2015年、長崎市に被爆者健康手帳の交付を申請したが、市は「徴用されていた記録がない」などとして却下。昨年9月、手帳交付を求めて長崎地裁に提訴した。裵さんら元徴用工の90代の原告3人は、法務局が名簿廃棄を認めた証明書を証拠として提出し「被爆者と証明することを国が妨害したことが明らかになった以上、証言を重視して手帳を交付すべきだ」と訴えている。
 訴訟の最大の争点は「長崎造船所に徴用され、被爆した」という裵さんらの証言を信用するか否かだ。市側は「本人の申述などを総合的に判断し審査を尽くしている」と主張。しかし、裵さんらはいずれも詳細に体験を証言したにもかかわらず申請が却下されており、3人を支援する「在外被爆者支援連絡会」の平野伸人共同代表は「長崎市は基本的に『証言だけでは認めない』という姿勢で、問題だ」と批判する。
 一方、3人は証言を基に韓国政府機関から、戦時中の日本による強制動員被害者として認定されている。近現代日本社会経済史の研究者で同機関で審査担当課長を務めた許光茂(ホグァンム)さん(53)は「『キバチ』や『カワナミ』などの読み方は、実際に長崎に行った人しか分からない。丁寧に証言を聞き、その人にしか分からない事実が含まれ全体として一貫性があれば、明確に否定する証拠を行政側が持たない限り積極的に認めるべきだ」と指摘する。
 許さんによると、04年に調査を始めた韓国政府機関も当初は文書記録重視だったが、資料が入手困難な状況を踏まえ、証言重視に転換した。許さんは「日本の行政も申請者が証拠を出すのをただ待つのではなく、名簿廃棄問題を機に、申請者と一緒に被害を確認するという姿勢に変わるべきではないか」と提言した。
                             (この連載は樋口岳大が担当しました)

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