三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「広東裁判」・「香港裁判」 1

2012年01月26日 | 海南島史研究
 日本軍が天皇ヒロヒトが「裁可」し、日本軍が海南島に奇襲上陸した73年前の1939年2月以後1945年8月までの6年半に、日本政府、日本軍、日本企業が海南島でおこなった侵略犯罪の実態は、まだわずかしか明らかにされていません。
 海南島で民衆虐殺、資源略奪、土地略奪、性犯罪、労働強制などの犯罪をおこなっていた日本人の少数が、日本敗戦後、広東の中華民国軍事法廷で裁かれましたが、最悪の侵略犯罪者・戦犯ヒロヒトも海南警備府司令長官伍賀啓次郎も、裁かれませんでした。
 海南警備府横須賀鎮守府第4特別陸戦隊司令だった青山茂雄らが香港のオーストラリア軍事法廷で裁かれましたが、それは海南島でのオーストラリア兵虐待についてであり、海南警備府第16警備隊司令だった能美実らが横浜のアメリカ合州国軍事法廷で裁かれましたが、それは海南島三亜空爆時に捕虜となったアメリカ合州国兵殺害についてでした(このブログに2010年5月4日から6回連載した「旧海軍戦犯」、2010年5月13日から7回連載した「海南島第十六警備隊能美事件」、2010年8月16日から5回連載した「能美実らに対する横浜裁判」などをみてください)。
                                        佐藤正人
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