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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

海南島における日本の国家犯罪をテーマにした市民講座

2016年10月27日 | 海南島近現代史研究会
 ことし4月に創立された大阪労働学校・アソシエが、「海南島における日本の国家犯罪」というテーマで9月10日、10月1日、10月8日に、はじめての公開市民講座を開催しました。この講座で、海南島近現代史研究会は、ドキュメンタリー上映と報告を担当しました。

■第1回(9月10日)
 佐藤正人が、日本の他地域他国侵略の事実を記録し伝達することの意味について話し、なぜ日本民衆は海南島を含む他地域他国への日本国家の侵略犯罪を阻止できなかったのかを共に考えたいとのべたあと、紀州鉱山の真実を明らかにする会が制作したドキュメンタリー『日本が占領した海南島で』を上映しました。

■第2回(10月1日)
 はじめに、斉藤日出治が、海南島近現代史研究会の前史をふくむ活動の歴史を報告し、熊野での朝鮮人虐殺や紀州鉱山の強制労働と海南島における朝鮮人虐殺・住民虐殺とがつながっていることを話しました。
 ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』の上映後、斉藤が、2008年4月に月塘村で追悼碑を建立した直後、村民は日本政府に犯罪者の処罰と謝罪と補償を要求したが日本政府はあいまいな回答しかしなかったこと、2014年7月に村民は証言集『血和泪的記録 海南万寧月塘村三月廿一日惨案専輯』をだしたことを報告しました。

■第3回(10月8日)
 佐藤正人が「日本国家の海南島侵略史の世界史的意味」について報告しました。 
 佐藤は、日本の近現代史は他地域他国侵略の歴史であった、1939年2月から1945年8月まで6年半の日本の 海南島侵略の時代は海南島民衆の抗日反日闘争の時代であったと話したあと、海南島での1998年からこれまで18年間の聞きとりの内容を報告しました。
 そして、6年半の海南島戦争(侵略と抵抗)の歴史を知ることによって、侵略者の世界史に対決する被侵略者の世界史を学び、日本政府・日本軍・日本企業の侵略犯罪の責任を追及するならば、侵略を許さない日本民衆の運動を強めることができるのではないか、と話しました。

■参加者のアンケート
  「このような事実があったことを全く知らなかったので驚いた」。
  「当時の証言を残せたのは貴重だ」。
  「日本人が国の為といって、平気で村を焼き、人を殺す、こんなことが許されてよい
 のか」。
  「海南島を知らなかった。真実を知ることで本当の過ち、それを繰り返さない気持ち
 が強くなる」。
  「日本政府の、海南島への侵略犯罪の責任追及し国家賠償をさせるべき」。   
  「次は、どうしてこのようなことをしたのか、なぜここまでしなければいけなかったの
 か聞きたい」。
  「(今後の公開講座では)日本国のアジアにおける侵略・虐殺の歴史をもっと明らか
 にしてほしい」。

 労働学校が主催した公開講座であったため、参加者の多くが労働者でした。3日間の参加者は200人以上でした。
 侵略国家の侵略犯罪の事実を明らかにし、その責任を追及することが、現在の世界史的な課題であり、今回の公開講座は、この課題が労働運動なかでさらに大きな意味をもっていくひとつの契機となったのではないか、と感じています。

                            斉藤日出治 佐藤正人 記

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