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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

申載永さんのあいさつ

2010年04月19日 | 紀州鉱山
■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の除幕集会での在日本大韓民国民団三重県地方本部団長申載永さんのあいさつです。

 まず 本日このように追悼碑を完成させ、亡くなられた35名の同胞を偲ぶ序幕集会を開くことに尽力くださった「追悼する碑を建立する会」の関係者の皆様に、今日までの労苦とその努力に感謝の言葉を申し上げます。
 それと共に本日、日本各地から 又遠く韓国からお集まりくださった皆様に、そのご足労を感謝申し上げます。
 我々 大韓民国民団三重県本部は2008年よりこの会に参加して追悼碑を建立する一翼を担ってまいりましたが、実はそれ以前から紀州鉱山で亡くなられた同胞の遺骨にかかわって来ました。
 植民地時代には徴用令で多くの同胞が日本各地の炭鉱、土木現場、軍事施設に労務者として連行されました。劣悪な環境と強制労働のすえ死亡した彼らのうちの多くは無縁仏として放置されたままでした。
 民団では三重県下での遺骨収集を一年余りかけて実施し、今から30年前の1980年10月21日に韓国の国立墓地「望郷の丘」に76柱の無縁故佛を埋葬しました。
 30年前当時は一刻も早く亡くなられた方々の遺骨を故国に戻すことだけを使命と考えましたが、いま振り返りますと死因の調査や遺族探し、それに当時の企業の責任追及などが充分でなかったと悔やまれます。
 その点をふまえますと本日の除幕式は今後の活動の始まりであろうと考えざるを得ません。
 これからも残されている無縁仏の捜査、そして熊野市行政への資料公開要求、当事者企業への責任追及など、やるべきことが多いと思います。
 亡くなられた方々の思いに心を寄せ、その事実を明らかにし、歴史に刻んでいくことが必要だと思います。

 「紀州鉱山の真実を明らかにする会」の皆さんは、15年前から現場調査や石原産業を訪ねる調査を続けて来ました。
 それと同時に生還者や遺族を何度も韓国に訪ね、聞き取り調査を積み重ねてきました。
韓国政府の「戦時強占下強制動員被害真相究明委員会」にも資料を提供くださいました。
会員の皆さんのたゆまない研究調査に敬意を表します。
 皆さんの研究が戦時中のアジアで一体何が行われたかという歴史的事実を発見することになると思います。
 民団も微力ですが共に参加し、紀州鉱山での真実を明らかにして行きたいと考えています。
 本日の追悼碑除幕式にあたり、以上の言葉を挨拶とさせていただきます。

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