三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「海南島における日本の国家犯罪 <第一回・大阪労働学校公開講座>より」

2017年03月26日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://com21.jp/modules/cpress/archives/17048
『コモンズ』100号 2016年10月10日
■海南島における日本の国家犯罪 <第一回・大阪労働学校公開講座>より
 学働館・関生に聴講生多数
 日本帝国主義、恐るべき国家犯罪の歴史的検証
 第一回・大阪労働学校公開講座海南島における日本の国家犯罪
 本年4月、大阪市西区川口の学働館・関生で開校した大阪労働学校・アソシエ(本山美彦学長)の、待望の<第1回>公開市民講座が9月10日同館4階ホールで開催された。第1回講義は、同校斉藤日出治副学長による「海南島における日本の国家犯罪」を主題とする連続講座の初回にあたる歴史検証問題であり、10月1日、8日とあわせて計3回にわたり、戦前日本帝国の恐るべき国家犯罪の概要が明かされた。

 その中で斉藤氏の所属する<海南島近現代史研究会>がほぼ独力で探り当てた恐るべき歴史的史実が明らかにされ、わが国一般市民にほとんど今回初めてと言う衝撃的内容のドキュメント映像の公開がなされた。
 70年前同島で旧日本帝国主義の侵略軍が、島の住民に殺戮の限りを尽くした現代史の闇の部分は、まさに痛恨の歴史そのものである。それだけにこの恐るべき虐殺事件を語ることさえしなかった戦後日本における市民的無関心と戦争犯罪に対する追求の無さを反省させる重い証拠の事実として今後の検証と情報の拡大を図らねばならない。

【概説】
 第一回・大阪労働学校公開講座海南島における日本の国家犯罪
 1939年2月から1945年8月の敗戦まで、日本軍は中国・海南島を軍事占領し、島の資源・食糧の略奪、住民の強制労働、女性への性的暴行をくりかえし各地村落を襲い、非戦闘員である住民を無差別に殺害する残虐行為を行なった。(※日本軍戦史には、2万数千人にのぼる死体遺棄が記されている)
 日本海軍各部隊は、海南島各地の村で民衆を家に閉じ込めて焼き殺す、あるいは住民を並べさせて銃殺するなどの蛮行をこの期間に渡り、執拗に繰り返した。
第一回・大阪労働学校公開講座海南島における日本の国家犯罪 日本の政府と社会は、この事実を戦後70年が経過した今日にいたるまで黙殺し続けている。

 この恐るべき国家犯罪だが、住民虐殺についての調査は、〈紀州鉱山の真実を明らかにする会〉および、<海南島近現代史研究会>の活動を除いては、ほとんど皆無といえる。それは加害者である日本軍兵士がこの事実について戦後一貫して沈黙をし続けてきたこと、日本軍の 公文書に住民の殺害を明記する記述がないこと、などのためだが、今回の公開講座での内容紹介でより広範な市民層への歴史観の転換と広がりを期したいと同校・本山学長も挨拶で力説していた。(第2・3回内容は、次号にて詳細)



http://com21.jp/modules/cpress/archives/18392
『コモンズ』101号 2016年11月10日 
■海南島における日本の国家犯罪(その2)
 前号既報の通り、わが国戦中における国家犯罪のディスクロージャー(情報開示)としての労働学校アソシエ公開連続講座「海南島における日本の国家犯罪」第一回は、参加者に大きな衝撃的事実として迫った。今号では引き続き第二回と三回の講座概要を紹介する。

◆第2回講座 10月1日(土) 海南島月塘村における日本軍の住民虐殺
 ドキュメンタリー映画『海南島月塘村虐殺』を上映し、参加者にて討論を行った。
 沖縄戦のさなか、1945年5月2日の明け方、日本海軍佐世保鎮守府第8特別陸戦隊の日本兵は月塘村を襲い、4時間の間に、多くの村人を殺傷した。月塘村虐殺をふくむ、日本占領下の海南島における住民虐殺の事実は隠されつづけており、みどり児や幼児や妊婦をふくむ村人を殺傷した日本軍司令官の名も日本兵の名も明らかにされていない。
 1994年4月に月塘村の全村民は、「月塘村村民に国際社会に公開で謝罪すること、幸存者と犠牲者家族に賠償すること、月塘村に死者を追悼する記念館を建設し追悼式をおこなうこと、焼失した家屋や強奪した財産を弁償すること」を日本政府に要求する文書を出した。
 虐殺63年後の2008年4月に、村人は190人の犠牲者すべての名を刻んだ追悼碑を建立し、2014年7月に、証言集『血和泪的記録 海南万寧月塘村三月廿一日惨案専輯』をだした。

◆第3回 10月8日(土) 日本国家の海南島侵略史の世界史的意味
【写真】陵水黎族自治県英州鎮にある日本軍によって殺害された八千人の碑。後ろの死体が入れられた穴は、草に覆われている(二〇一五年一一月二一日)
陵水黎族自治県英州鎮にある日本軍によって殺害された八千人の碑。後ろの死体が入れられた穴は、草に覆われている(撮影:2015/11/21)
 報告者:佐藤正人(海南島近現代史研究会)
 日本の侵略に抗して戦い続けた、海南島の民衆の苦難の歴史をたどった。
 アジア太平洋の民衆にとって、日本の侵略の時代は、抗日反日闘争の時代でもあった。その時代は、全世界的規模で、まだ、終わっていない。
 当日は公開市民講座参加者の労働者市民とともに、日本国家の海南島における侵略犯罪を世界史のなかで考え、これらのすさまじい国家犯罪を埋もれさせ一顧だにしない、戦後のわが国の市民レベルにおける歴史観の浅薄さ、苛烈な加害性を置き去りにした受動的懐古趣味がいかに戦争犯罪そのものへの注視を妨げてきたかを検証した。
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