三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「群馬の「朝鮮人追悼碑」撤去を北朝鮮が非難 復元を要求」

2024年02月10日 | 国民国家日本の侵略犯罪
「聯合ニュース」  2024.02.06 08:21
■群馬の「朝鮮人追悼碑」撤去を北朝鮮が非難 復元を要求
【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代に徴用された朝鮮半島出身者を追悼するために群馬県立公園「群馬の森」(高崎市)に設置されていた朝鮮人追悼碑を県が撤去したことについて、北朝鮮の朝鮮中央通信は6日、「ファッショ的な暴挙を敢行した」と非難した上で、碑の復元を求めた。

【写真】1月29日、朝鮮人追悼碑の撤去作業の様子=(共同=聯合ニュース)

 朝鮮中央通信は論評で、碑の撤去は「強制連行の直接的被害者とその子孫の傷を再びえぐる容認できない反人倫的な蛮行」で、日本の過去の罪を否定し植民地統治を美化するものと指摘。「犠牲者を追悼し、犯罪に対し賠償を行い、過去の不幸が繰り返されないようにすることは、加害側の法的義務で当然の道理」とし、群馬県に対し「直ちに追悼碑を復元しなければならない」と迫った。
 この碑は朝鮮半島と日本の歴史の理解と友好促進のため、日本の市民団体が2004年に設置した。
 群馬県は14年、碑の前で開かれた追悼式典で参加者が「強制連行」に言及するなど政治的発言をしたとして設置許可を更新しなかった。市民団体は県を相手取り訴訟を起こしたが、22年に最高裁で市民団体の敗訴が確定。県は今年1月末、行政代執行により碑を撤去した。


「中央日報日本語版」 2024.02.05 10:35
■朝鮮人追悼碑撤去に日本議員「本当に良かった」…徐坰徳教授「歴史学べなかったため」

【写真】群馬県高崎市「群馬の森」公園内にある「朝鮮人追悼碑」。イ・ヨンヒ特派員

 右翼性向の日本の女性議員が最近群馬県の朝鮮人労働者追悼碑が撤去されたことをめぐり「本当に良かったです」という反応を見せたことに対し、誠信(ソンシン)女子大学の徐坰徳(ソ・ギョンドク)教授は「歴史をまともに学べなかったため」と批判した。
 徐教授は5日、フェイスブックに「過去に韓服姿の女性を嘲弄し大きな物議を醸した日本の自民党所属杉田水脈議員が自身のSNSに群馬県の朝鮮人労働者追悼碑撤去記事を添付しながら『本当に良かったです』と支持の立場を明らかにした」としてこのように明らかにした。


 

続けて「(杉田議員は)日本国内の他の朝鮮人労働者や慰安婦を賛える記念物も撤去されることを望むと書いた。『日本国内にある慰安婦や朝鮮半島出身労働者に関する碑や像もこれに続いてほしいです』『嘘のモニュメントは日本に必要ありません』と主張した」と伝えた。

彼は「こうした発言は日帝強制動員と日本軍慰安婦の加害の歴史全体を否定する妄言。日本の共同通信も杉田議員の今回の投稿に対し歴史修正主義やレイシズムをあおる言説だと叱咤した」と指摘した。

徐教授はまた「だから幼い時からの歴史教育が本当に重要だ。日本の加害の歴史をまともに学ばずに育ったので杉田議員のような人が出てくる」と批判した。
 その上で「杉田議員は今後歴史勉強もしっかりし痛切に反省した上で心からの公開謝罪を必ずしなければならないだろう」と付け加えた。
 杉田議員は「新しい歴史教科書を作る会」で活動しながら慰安婦の強制性を否定するなど右翼性向が強い人物として知られる。2016年に国連女性差別撤廃委員会に参加した際に韓服姿の女性を皮肉る投稿をSNSに上げた事実が明らかになり、昨年日本法務省傘下組織から人権侵害で注意を受けたりもした。


「The Hankyoreh」 2024-02-05 09:42
■朝鮮人追悼碑撤去に「他の碑も早く撤去を」発言の自民党杉田議員に批判殺到
 自民党の杉田水脈議員、SNSに「慰安婦・徴用工碑も撤去を」 
 投稿に対し「差別あおり、歴史修正扇動」との批判も

【写真】群馬県は朝鮮人強制動員犠牲者追悼碑の撤去を先月29日から始め、今月3日午後にすべて終え、工事期間中閉鎖していた「群馬の森」公園を再び開園した。県は追悼碑を粉々に砕くかたちで撤去し、物議を醸した。上の写真は撤去前、下は現在の公園の姿/聯合ニュース

 群馬県が朝鮮人強制動員犠牲者の追悼碑を粉々に破壊するかたちで撤去を終えたなか、自民党の右翼性向の議員が「本当に良かった」と投稿し、日本内の他の朝鮮人関連追悼碑も「撤去できればいい」と主張した。
 自民党の杉田水脈議員(衆議院)は3日、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に群馬県の朝鮮人追悼碑撤去の記事を引用して「本当に良かったです」とし、「日本国内にある慰安婦や朝鮮半島出身労働者(強制動員)に関する碑や像もこれに続いてほしい」という考えを明らかにした。
 さらに、日本が朝鮮半島に対して犯した過ちを記憶するために作った別の記念物を次の目標として提示した。杉田氏は京都府に作られた「日帝強制労働朝鮮人労働者像」の写真4枚をアップし、「この写真は、京都にある徴用工像。韓国のものより先に建てられました。私有地ということで撤去できない状態です。これも早く撤去できればいいのですが」と述べた。杉田氏が指摘した追悼像は、2016年に韓国労総と民主労総が京都の丹波マンガン鉱山に建てた「日帝強制労働朝鮮人労働者像」だ。当時、韓国の二大労総は強制動員労働者の人権蹂躙(じゅうりん)の実態を知らせ、被害者の名誉を回復するためにこの銅像を建てた。現在、ソウル、仁川、慶尚南道、済州などにも同じ労働者像が設置されている。
 杉田氏のこのような投稿は、日本の歴史的過ちを否定しようとする自国内の右翼団体を扇動し、さらなる撤去運動を起こそうとする意図とみられる。実際、右翼団体は日本各地で朝鮮人追悼碑の撤去を要求する運動を進めている。群馬県の追悼碑撤去を成し遂げた右翼団体「そよ風」は、東京都の横網町公園にある「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」の撤去を求め、毎年集会を続けている。この追悼碑は1973年に建てられ、東京都の所有となっている。右翼団体の反発の影響などで、小池百合子都知事は2017年から朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送っていない。

【写真】自民党の右翼性向の杉田水脈衆議院議員は3日、自身のSNSに群馬県の朝鮮人追悼碑撤去の記事を載せ、「本当に良かったです」とし、日本国内の他の朝鮮人関連追悼碑も「撤去できればいい」と発言した=SNSよりキャプチャー//ハンギョレ新聞社

 杉田氏の発言をめぐり、日本国内でも懸念の声が出ている。共同通信は「歴史修正主義やレイシズム(人種差別主義)をあおる言説で、強い批判を招きそうだ」と伝えた。SNSでも「差別発言を繰り返す杉田議員が群馬の森追悼碑撤去を機会とし、韓国人・朝鮮人労働者慰霊碑への攻撃を示唆(している)」との書き込みが上がってきている。
 群馬県は朝鮮人追悼碑の撤去を3日午後にすべて終え、先月29日に閉鎖した「群馬の森」公園を再び開園した。県は、2004年にこの追悼碑を建て管理してきた日本の市民団体「『記憶 反省 そして友好の追悼碑』を守る会」が開いた追悼式で「強制連行」という発言が出て、右翼団体が反発するなど政治的議論になったとし、追悼碑の撤去を強行した。
東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
韓国語原文入力:2024-02-04 19:51


「聯合ニュース」 2024.02.02 15:50
■群馬の「朝鮮人追悼碑」撤去 韓国市民団体が非難声明=「歴史を否定」
 金泰均
【ソウル聯合ニュース】群馬県が日本による植民地時代に徴用された朝鮮半島出身者を追悼するために県立公園「群馬の森」(高崎市)に設置されていた朝鮮人追悼碑を撤去したことについて、韓国の市民団体「歴史正義と平和な韓日関係のための共同行動(韓日歴史正義平和行動)」は2日、「追悼碑を強制撤去したのは日本の強制動員の歴史を否定する行為」と非難する声明を出した。

【写真】1月29日、群馬県立公園「群馬の森」で朝鮮人追悼碑の撤去作業が行われている=(共同=聯合ニュース)

 声明は「追悼碑には日本の植民支配・強制動員の歴史を反省し繰り返さないという決意が込められていた」として、「群馬県は歴史の前に恥じなければならない」と指摘した。
 碑は日本の市民団体が2004年に建てた。群馬県は14年、碑の前で開かれた追悼式典の参加者が「強制連行」に言及するなど政治的発言をしたとして設置更新を不許可とした。団体は県を相手取り訴訟を起こしたが、22年に最高裁で団体の敗訴が確定。群馬県は今年1月末、行政代執行により碑を撤去した。


「The Hankyoreh」 2024-02-02 07:49
■群馬県、「強制動員朝鮮人犠牲者追悼碑」をがれきの山に
 朝日新聞、ヘリコプターを飛ばして確認

【写真】「群馬の森」公園に朝鮮人強制動員犠牲者追悼碑があった場所にがれきが積まれている。SNSでは群馬県が追悼碑を粉々にする方式で撤去したことについて、「ひどすぎる」などの批判の声が高まっている=朝日新聞の動画よりキャプチャー

 群馬県高崎市の「群馬の森」公園にある朝鮮人強制動員犠牲者追悼碑(「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑」)が3日間で完全に撤去された。コンクリートで作られた追悼碑の円形の土台と碑石が砕かれるなど損傷が大きかった。
 朝日新聞は1日、「31日午前、朝日新聞社がヘリコプターで上空から現場を確認したところ、朝鮮人追悼碑があった場所はすでに更地になっていた」とし、「トラックやショベルカーなどが入って新しい土で埋め戻す作業がされていた」と報じた。
日本の群馬県の「群馬の森」公園にある朝鮮人強制動員犠牲者追悼碑の様子=キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社
 朝日新聞が公開した動画によると、追悼碑が撤去の過程で多く損傷されたことが確認できる。直径7.2メートルの円形の土台と碑文が貼られていた横4.5メートル、縦1.95メートルのコンクリート石碑は粉々に砕かれ山積みになっていた。「記憶 反省 そして友好」と書かれた金属製のプレートなどは、追悼碑を建てて管理してきた日本市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」(守る会)に渡された。
 動画を見た守る会側は、同紙に「平和を愛する人たちの良心が、ずたずたにされた思いがする」とし、「こうも無残な姿、残骸をみて、何ともいいようがない。県のやり方には憤りを感じる」と反発した。守る会は撤去が終わった後、追悼碑の状態などを調べ、今後どのように対応するかを検討する予定だ。
 ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)でも県が追悼碑を粉々にする方式で撤去したことについて、「他の所で再建できるよう配慮する最小限の良心もなかった」、「ここまでするとはひどすぎる」などの批判の声が高まっている。
 群馬県は東京ドームの5.6倍の大きさの公園を全面閉鎖し、29日から追悼碑の撤去を始めた。県は2004~2012年の市民の会の追悼式で「強制連行」という言葉が出て右翼団体が反発するなど、政治的議論を呼んだとし、これは「政治的行事をしない」という約束を違反したものだと主張。これを理由に同年7月、追悼碑設置許可の延長を拒んだ。市民の会は訴訟を起こし、1審では勝訴したが、最終的に敗訴した。県は昨年4月、これを根拠に追悼碑の撤去命令を下したが、市民の会がこれに従わなかったため、行政代執行に乗り出した。
東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力: 2024-02-01 22:13


「中央日報日本語版」 2024.02.02 06:55
■群馬県、朝鮮人追悼碑を粉々に…「良心がずたずた」

【写真】群馬県高崎市「群馬の森」公園内にある「朝鮮人追悼碑」。イ・ヨンヒ特派員

 群馬県が高崎市の県立公園「群馬の森」にあった日帝強占期朝鮮人労働者追悼碑をついに撤去した。コンクリートで作られた構造物は細かく砕かれてがれきになった。
 1日、朝日新聞によると、県当局は先月29日に追悼碑を撤去する行政代執行工事に着手して前日撤去を終えた。
 朝日が前日午前、群馬の森の上空から撮影した写真を見ると、追悼碑があった場所は更地に変わった。
 朝鮮人追悼碑は直径7.2メートルの円形の土台の上に設置されて、高さ4メートルの金色の塔が並ぶようにして立てられていた。県は公園を全面的に閉鎖して一般市民の出入りを徹底的に統制した後に重装備でこれを壊した。
 トラックと重装備が土をならす光景と碑石の土台の部分と推定されるコンクリートの残骸が山積みになっている様子が確認された。追悼碑の円形の土台と碑石は粉々に砕かれていた。
 県の朝鮮人追悼碑は日本の市民団体が韓半島(朝鮮半島)と日本の間の歴史を理解して両国の友好を増進するために2004年に設置された。
 碑石の前面には「記憶 反省 そして友好」と日本語・韓国語・英語で記され、裏面には「朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」と刻まれている。県は先月29日、追悼碑から金属製の碑文などを取り外し、市民団体「追悼碑を守る会」に返却した。
 朝日によると、「守る会」関係者は撤去写真を見て「平和を愛する人たちの良心が、ずたずたにされた思いがする」と話した。あわせて「追悼碑は群馬の良心ともいえるもので、亡くなった人たちの追悼の墓標。それを権力が取り除くというのは許されるのだろうか」とし「こうも無残な姿、残骸をみて、何ともいいようがない。県のやり方には憤りを感じる。県が大罪の歴史を残してしまい、大変残念」と話した。
 団体は12日に公園が開放されれば現場を訪問した後、今後の活動方向を決める方針だ。
 これに先立ち、県は2012年に追悼碑の前で開かれた追悼式典で参加者が「強制連行」に言及した点を問題視して設置許可更新を拒否し、その後最高裁判所は地方自治体の処分が適法だという判決を確定した。県は朝鮮人追悼碑を撤去してほしいという要求に市民団体が応じないため、行政代執行を通じて撤去することを決めた。市民団体は県が正当な理由もなく追悼碑の撤去を始め、撤去方法についてもきちんと公開しなかったとして批判した。
 一方、Googleマップでも追悼碑関連の位置情報が消えたことが分かった。この日基準で、Googleマップで群馬の森がある場所を拡大して、日本語で「群馬県朝鮮人追悼碑」と検索バーに入力しても何の情報も出てこない。従来は群馬の森の中に「朝鮮人追悼碑」という名称で碑石の位置が表示されていた。


「The Hankyoreh」 2024-02-02 06:44
■[特派員コラム]「朝鮮人追悼碑」撤去が意味するもの

【写真】群馬県の県立公園「群馬の森」にある強制動員朝鮮人犠牲者追悼碑は、直径7.2メートルのコンクリートの円形台の上に幅4.5メートル、高さ1.95メートル大の碑石と高さ約4メートルの金色の塔で構成されている=高崎/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 20年間、群馬県高崎市にある県立公園「群馬の森」で韓日友好の象徴となっていた強制動員朝鮮人犠牲者追悼碑が撤去された。
 群馬県は公園を全面閉鎖した中で、1月29日に追悼碑の撤去を始めた。取材が封鎖されると日本のメディアはヘリコプターを飛ばした。朝日新聞が31日に上空から撮った映像を見ると、追悼碑があった場所は空き地になっていた。直径7.2メートルの円形台座と碑文が設置されていた幅4.5メートル、高さ1.95メートルのコンクリート碑石は細かく砕かれ、うずたかく積まれていた。「記憶 反省 そして友好」と書かれた金属材質の碑文などは取り外し、追悼碑を建て管理してきた日本の市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」に渡された。
 円形の台座と碑石を容赦なく壊したことをみると、県はこの追悼碑がどんな意味を含んでいるのか理解していなかったという気がする。空にまっすぐ伸びた高さ約4メートルの金色の塔と後ろのコンクリート碑石は、縦に大きな穴が空いている。この穴は朝鮮半島に向いている。群馬という見知らぬ地で犠牲になった朝鮮人の魂だけでも故郷に帰ってほしいという気持ちを込めたものだ。円形の台座には、道を見失わないようにと羅針盤が描かれている。撤去前の追悼碑の取材過程でこの話を聞いて、悲しくもありがたい気持ちでしばらく朝鮮半島の方を眺めた。
 日本の敗戦から50年の1995年、群馬の市民たちは自力で朝鮮人犠牲者を調査した。日本による植民地時代、朝鮮半島から群馬県の鉱山や軍需工場に強制的に動員された朝鮮人は約6千人余り、このうち300~500人余りが命を失ったと推定される。日本の市民たちはこの痛みを記憶し、未来に進むために2004年4月に朝鮮人追悼碑を建てた。
 日本の植民地支配と侵略戦争を謝罪した「村山談話」(1995年)、植民統治に対する痛切な反省・謝罪に言及した小渕恵三元首相(1937~2000)と金大中(キム・デジュン)元大統領(1924~2009)の「韓日パートナーシップ宣言」(1998年)は、日本の地方自治体が所有する公園に県議会の満場一致で朝鮮人追悼碑を建てる力になった。
 今回の追悼碑撤去は、強制動員被害者など歴史問題を強引に片付けてしまった尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領と岸田文雄首相の関係改善が、韓日友好どころか「歴史の抹消」を煽っていることを明確に示している。2004~2012年の間に追悼式で出た「朝鮮人強制連行」発言で右翼団体が反発し、論議が大きくなったからといって追悼碑を壊してしまうとは、話にならない。
 日本による植民地時代の朝鮮人動員の強制性は、日本政府も国際機関で認めた内容だ。2015年7月、当時の駐ユネスコ日本大使は、日本が近代産業施設を世界遺産に登録した当時のユネスコ会議で「1940年代、一部の施設で多くの韓国人やその他の国民が本人の意思に反して動員され、過酷な条件で強制的に労役した」と明らかにしたことがある。
 状況がそうであっても韓国の尹政府は「韓日間で必要な疎通をしている」という言葉だけを繰り返した。これに対し、群馬県の山本一太知事は「(韓国など)外交ルートで何も来ていない」とし、上川陽子外相は「自治体の決定事項」としてコメントを回避した。そして3日間で追悼碑は消えた。
キム・ソヨン東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-02-01 18:40


「聯合ニュース」 2024.02.01 14:38
■韓国・済州道知事 群馬県との交流協議見合わせ検討=「朝鮮人追悼碑」撤去で
【済州聯合ニュース】韓国南部・済州道の呉怜勲(オ・ヨンフン)知事は1日、群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人労働者追悼碑の撤去を巡り、同県と推進中の友好交流に関する実務協議を見合わせるべきか悩んでいると明らかにした。

呉怜勲・済州道知事(同道提供)=(聯合ニュース)≪転載・転用禁止≫
 呉知事は、碑の撤去作業が始まる直前の先月26日に群馬県を公式訪問していた。
 昨年8月に群馬県の関係者らが済州を訪問したことへの答礼訪問だったが、碑の撤去時期と重なったことで不適切だったと批判されている。
 済州道の関係者は「訪問日程を調整する際には追悼碑の撤去計画を知らなかった」として、訪問の目的は自治体間交流だったと強調した。
 呉知事は今回の訪問で、群馬県の山本一太知事らに撤去問題について「韓日両国の関係が安定的に発展できるよう政務的に考慮してほしい」と述べ、穏便な対応を要請した。
 その上で、済州道は群馬県と観光を中心とした交流協力を拡大する実務交流協議書の締結を予定通り進めた。
 群馬の追悼碑は朝鮮半島と日本の歴史の理解と友好促進のため、市民団体が2004年に建てた。「朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」などと記されている。
 群馬県は14年、碑の前で開かれた追悼式典の参加者が政治的な発言をしたとして設置更新を不許可とし、先月29日に撤去作業を開始した。
 日本による植民地時代には、約6000人の朝鮮半島出身者が群馬県の鉱山や軍需工場で労役を強いられた。韓国国家記録院の名簿によると、済州島出身の徴用者は1万人に上る。


【写真】群馬県高崎市の「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑(資料写真)=(聯合ニュース)


「The Hankyoreh」  2024-02-01 09:55
■[社説]「記憶・反省・友好」を踏みにじる群馬県の強制動員追悼碑撤去

【写真】群馬県が強制撤去する前に「群馬の森」公園にあった強制労働朝鮮人犠牲者追悼碑=群馬県/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 2004年4月、日本の市民たちが群馬県にある「群馬の森」公園に「強制動員朝鮮人犠牲者追悼碑」を建てた。碑石の前面には「記憶 反省 そして友好」という文言を韓国語、日本語、英語で記し、裏面には「朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」という文章を刻んだ。日本による植民地支配と、戦時下に軍需工場や鉱山などで働かされて亡くなった朝鮮人を哀悼して歴史の過ちを反省し、韓国と日本の友好を増進しようとする努力によるものだった。
 群馬県は29日、この碑石の強制撤去作業に着手した。2012年に追悼式である参加者が「強制連行」に言及したことを、右翼団体が「政治的行事」だとして問題にし、当局がこれを受け入れ、設置延長を許可しなかった。市民たちは、碑を守るために10年以上追悼式を行わないなどして努力したが、日本の裁判所は設置延長の不許可を合法と認定し、群馬県はこれを根拠に撤去命令を出し執行に着手した。
 背景には、2010年代初めの安倍政権期によりいっそう強まった右傾化の流れがある。歴史の教訓を省察し韓国と日本の未来を指向しようとする市民の結実を暴力的に壊している群馬県の今回の撤去が、日本の様々な地域に建てられた朝鮮人強制動員追悼碑に対する脅しと破壊の合図になることを懸念せざるをえない。
 ただし、日本社会で撤去反対が続いていることに希望がみえる。市民たちは追悼碑の前で抗議集会と夜通しの座り込みを行い、芸術家たちも撤去反対を要求する4300人あまりの署名を集め、群馬県に提出した。朝日新聞も30日の社説で「戦前の日本を美化する風潮が強まるなか(…)(群馬県が)歴史改ざんに手を貸すことにもなる。きわめて危うい事態だ」と指摘した。群馬県は今からでも、市民の良心の声に耳を傾け、恥ずべき危険な行為をやめることを望む。
 苦々しいのは韓国政府の態度だ。外交部は「両国間の友好関係を阻害しない方向で解決されることを期待する」という反応だけだ。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は、強制動員に加害した日本企業に免罪符を与える「第三者弁済」で歴史問題を消し去り、徹底的な無関心で対応している。韓国と日本の真の友好と協力を妨げる右傾化に、韓国政府がよりいっそう明確に声を出し要求しなければならない。韓国政府は、追悼碑を守るために取り組んでいる韓日両国の市民に対して恥ずかしくないのか。
(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-01-30 18:32


「The Hankyoreh」 2024-02-01 09:25
■ドイツの歴史学者「朝鮮人追悼碑の撤去、日韓関係の故意的な棄損」
 オンラインで「撤去反対」署名運動

【写真】群馬県の「群馬の森」公園にある強制動員朝鮮人犠牲者追悼碑=高崎/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 ドイツの歴史学者が、日本の群馬県で撤去が進められている朝鮮人強制動員追悼碑について、撤去の中止を求めるオンライン署名運動を行っている。
 日本史を研究するボン大学のラインハルト・ツェルナー教授は、1月27日にオンライン署名サイト(Change.org)を通じて、「群馬の森」公園に設置された「追悼碑」の撤去に反対する署名活動を始めた。この署名には31日午前までに390人が参加した。
 ツェルナー教授は、署名活動を始めた理由について「大衆の追悼は上から命令できるものではなく、社会のあらゆる層が参加するプロセスだ。群馬県は、追悼と和解の重要性・必要性に対して、ただちに公開討論を行うよう求める」と書いた。さらに、「このように合意もなく追悼碑が撤去されることは、日本が歴史的責任を否定し、日韓関係を故意に損ねる行為とみなされるだろう。今なお終わっていない日韓和解のプロセスでも、今回の追悼碑の撤去は深刻な打撃になる」と続けた。ツェルナー教授は日本軍「慰安婦」問題の研究など韓日関係にも精通していることで知られる。
 ツェルナー教授はこの日の毎日新聞インタビューでも「森を封鎖し、まったく平和的なメッセージを込めた追悼碑を取り壊す映像は、私を傷つけます」とし、「日本の評判を傷つけるでしょう」と述べた。数日間で数百人が署名に参加したことについては、「この問題が国際的に認知されているという重要な証拠」だと述べた。
 群馬県は、1月29日から県立公園「群馬の森」を閉鎖し、2004年に建てられた強制動員朝鮮人追悼碑の撤去を開始した。コンクリート壁についていた追悼碑の象徴である「記憶 反省 そして友好」と書かれた前面の碑文と、「かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」という裏面の碑文がすべて除去された状態だ。この碑文は、追悼碑を建てて管理してきた日本の市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」に渡された。守る会は追悼碑の再建を含め、どのように活用するかを議論する予定だ。追悼碑の撤去は11日まで続けられる。
 日本政府は、追悼碑の撤去は地方自治体の問題だとして立場表明を避けている。林芳正官房長官は、29日と30日の定例記者会見で追悼碑撤去に関する質問が相次ぐと、「地方自治体の決定事項であり、最高裁判所において判決が確定した事案であると承知しており、政府としてコメントすることは差し控えたい」と述べた。
東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-01-31 18:43


「The Hankyoreh」 2024-01-30 07:38
■[現場から]群馬県、フェンスで隠して「強制動員追悼碑」撤去…一言も言えない尹政権

【写真】群馬県は29日午前、高崎市にある県立公園「群馬の森」の裏門に縦2メートル、横20メートルの大きなフェンスを新たに設置して誰も接近できないようにしたうえで、強制動員され犠牲となった朝鮮人の追悼碑の撤去作業を始めた=高崎/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 29日午前、群馬県高崎市にある県立公園「群馬の森」の裏門には、縦2メートル、横20メートルの大きなフェンスが新たに設置されていた。その横には公園を取り囲むように鉄条網の垣根も新たに作られた。この日から始まる「強制動員朝鮮人犠牲者追悼碑」の撤去作業の現場にメディアと市民が接近するのを防ぐための群馬県の苦肉の策にみえた。撤去が始まる現場には数人の韓日の取材陣が集まっていたが、フェンスのせいで公園には入れなかった。追悼碑の撤去に使われるクレーンなどは前日の夜、奇襲的に公園に設置された。
 しっかりと準備を終えた群馬県は、20年間にわたって韓日友好の象徴的な役割を果たしてきた追悼碑の撤去作業を開始した。県の都市整備課の担当者は午前9時40分、碑の前で「これから行政代執行法の規定に則り、撤去および原状回復代執行を実施する」と述べた。取材用のヘリコプターを飛ばしていた毎日新聞の動画を見ると、県職員たちが碑の大きさを測る様子が確認できる。追悼碑は直径7.2メートルのコンクリートの円形の台の上の横4.5メートル、縦1.95メートルの碑石と、高さ約4メートルの金色の塔からなる。撤去は来月11日まで約2週間にわたって行われる。同期間には市内バスも「群馬の森」停留所には停車しない。
 追悼碑を建て、管理してきた日本の市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会(以下「守る会」)」の藤井保仁事務局長(74)は「県も恥ずかしいことだと思って、隠して撤去するのではないか」と話した。藤井さんは「追悼碑の撤去は日本の犯した加害の歴史を消し去ろうとする行為だ。碑が撤去されても歴史を記憶、反省し、友好関係を作ろうとしてきた精神は受け継がれていくだろう」と強調した。林芳正官房長官は29日、碑の撤去について「群馬県がそのように判断したもの」として答弁を避けた。

【写真】群馬県立公園「群馬の森」にある強制動員朝鮮人犠牲者追悼碑=高崎/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 日本の市民社会は撤去に強く反発している。前日の28日午後には、日本全域から集まった数百人の市民が追悼碑の前で抗議集会をおこなった。一部は徹夜で座り込みもおこなった。彼らは「追悼碑の撤去は『朝鮮人強制連行はなかった』という右翼団体の歴史否定論に加担するもの」と批判した。日本の芸術家たちも、4300人あまりの賛同者を集めた追悼碑撤去反対の要望書を、26日に群馬県に提出した。
 SNSでも「#群馬の森朝鮮人追悼碑撤去反対」のハッシュタグを付けた抗議が続々とアップされている。撤去反対に積極的に取り組んでいる翻訳家のウエダユウスケさんは「山本一太(群馬県)知事は観光だとかで韓日は交流すべきと言いながら、友好を象徴する追悼碑は撤去するという、矛盾した行動を自ら取っている」と述べた。

【写真】群馬県の市内バスに、「朝鮮人追悼碑」撤去作業の行われる来月12日午前8時までは「群馬の森」停留所に停車しないとの案内が貼り出されている=高崎/キム・ソヨン特派員

 追悼碑の撤去の動きが強まったのは、安倍晋三元首相の政権復帰で日本の右傾化の流れが本格化した2014年からだ。県は、2004~2012年の市民の会の追悼式で「強制連行」という発言がなされたことに右翼団体が反発するなど、政治的な問題になったとし、「政治的行事を行わない」との約束に違反していると主張した。県はこれを理由として2014年7月、追悼費設置許可の更新を認めなかった。市民の会は訴訟を起こし、一審では勝訴したものの、最終的に敗訴した。県はこれを根拠として昨年4月に追悼費撤去命令を下し、市民の会が従わなかったため、この日、行政代執行を開始した。
高崎/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-01-29 17:29


「聯合ニュース」 2024.01.29 16:07
■群馬の「朝鮮人追悼碑」撤去始まる 韓国外交部「友好関係阻害しない解決を」
 金泰均
【ソウル聯合ニュース】群馬県が29日、日本による植民地時代に徴用された朝鮮半島出身者を追悼するため、県立公園「群馬の森」に設置されている朝鮮人追悼碑の撤去を始めたことについて、韓国の外交部当局者は記者団に「両国の友好関係を阻害しない方向で解決できることを期待している」との立場を改めて示した。

【写真】群馬県高崎市の「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑=(共同=聯合ニュース)

 別の外交部当局者は23日に「韓日間で必要な意思疎通を行っている」として、同様の立場を表明していた。
 群馬県はこの日から来月11日まで碑の撤去作業を行う。
 碑は市民団体が2004年に建てた。日本語と韓国語、英語で「記憶 反省 そして友好」と刻まれている。碑の背面には「朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」などと記されている。
 群馬県は14年、碑の前で開かれた追悼式典の参加者が政治的な発言をしたとして設置更新を不許可とした。団体は県を相手取り訴訟を起こしたが、22年に最高裁で団体の敗訴が確定した。


「中央日報日本語版」 2024.01.29 07:15
■日本市民「朝鮮人追悼碑の撤去は蛮行」

【写真】群馬県高崎市「群馬の森」公園内にある「朝鮮人追悼碑」。イ・ヨンヒ特派員
 「群馬の森公園内工事のため群馬の森は閉園となります。期間 自令和6年1月28日午後5時30分至令和6年2月12日午前8時00分」。28日午後、群馬県高崎市にある「群馬の森」公園。入口には公園の一時閉鎖を知らせる立て看板が置かれていた。公園を閉鎖する理由は公園内に設置されていた「朝鮮人追悼碑」撤去作業のためだ。
 翌日から始まる撤去工事を控え、この日追悼碑の前には撤去に反対する市民団体のメンバーら100人余りが集まって最後の追悼会を開いた。追悼碑を設置して管理してきた日本市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」の石田正人代表(71)はこの日の行事で「この碑は歴史の生々しい証拠であり、日韓友好の象徴」としながら「県が市民の反対にもかかわらず、強制的に追悼碑を撤去するのは歴史に背を向ける蛮行」と声を高めた。
 縦1.95メートル、横4.5メートルの大きさでの追悼碑の前面には「記憶 反省 そして友好」という文面が日本語・韓国語・英語で記されている。裏面には「朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明」するという内容が刻まれている
 追悼碑が建てられたのは2004年。当時市民団体が日帝強占期の朝鮮から渡ってきた労働者の記録を調査し、当時群馬県内の鉱山や軍需工場などに動員された朝鮮人労働者が約6000人余りだったことを明らかにした。このうち約300~500人が命を失ったと推定された。市民団体は彼らを悼むために追悼碑を建設し、群馬県と「追悼碑の前で政治的集会を開かない」という約束を交わした。
 だが2012年の追悼行事で、ある出席者が「強制連行」に言及したことが問題になった。追悼碑の設置に反対してきた地域の極右団体はこの発言が「日本政府の見解と異なる政治発言」としながら県に撤去を要請し、県はこれを受け入れて2014年設置許可の更新を拒否した。市民団体はこれに従わないで提訴したが、2022年最高裁は設置更新を許可しない地方自治体の処分が適法だという判決を確定した。
 これに対し県は公園を全面閉鎖して追悼碑を撤去する行政代執行を実施する。日本全域に150カ所を超える朝鮮人関連の追悼碑があるが、地方政府が直接撤去に出たのは今回が初めてだ。
 この日の追悼式には右翼団体のメンバーが集まり、大声を出して妨害してにらみ合いが起きた。物理的衝突を防ぐため、警察約200人が動員された。
 撤去が始まった後も、市民団体は引き続き反対活動を行っていく考えだ。石田代表は「追悼碑の撤去に対して、韓国人と韓国政府も関心を傾けてほしい」と話した。
 撤去反対の動きは日本国内に拡散している。26日には追悼碑の存続を求めるアーティストが市民4300人分の署名を集めて県に提出した。


「中央日報日本語版」 2024.01.29 08:16
■「追悼費 撤去するな」と書かれたプラカードを持っている日本市民

【写真】28日、群馬県高崎市の「群馬の森」公園で市民が「追悼費 撤去するな」とか書かれたプラカードを持っいている。


「中央日報日本語版」 2024.01.27 10:20
■日本市民団体「群馬県、朝鮮人追悼碑を撤去しないで…歴史に背を向ける蛮行」
 日本市民団体が日帝強占期の朝鮮人労働者追悼碑を撤去しようとする群馬県当局に「歴史的事実に背を向ける蛮行」だとして撤去の中止を求めた。市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」は26日、声明を発表し、「群馬県が追悼碑の撤去を代わりに執行するのは『強制連行はなかった』という歴史否定論者の嫌悪発言と嫌悪犯罪に加担することだ」と主張した。
 市民団体は「碑文には問題がなく、追悼行事も開かれていない」とし、にもかかわらず群馬県当局が碑石を撤去すれば法の趣旨に背く暴挙になると訴えた。そして「日本政府の歴史認識にも合致する文言がある追悼碑を強制撤去することこそ公益を毀損する」と強調した。
 群馬県当局は高崎市県立公園「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑を12月までに撤去してほしいと市民団体「追悼碑を守る会」に要求したが、撤去されなかったため、29日以降に市民団体の代わりに撤去すると通知した。
 群馬県当局は29日-来月11日まで公園を閉鎖して撤去を進める方針だ。東京新聞によると、撤去に必要な費用は約3000万円という。
 追悼碑は日本の市民団体が朝鮮半島と日本の歴史を理解し、相互友好を増進させるために2004年に建てた。碑石の前面には「記憶、反省そして友好」と韓国語・日本語・英語で刻まれ、裏面には「朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」という内容が記されている。
 これに先立ち2012年、群馬県当局は追悼碑の前で開かれた追悼行事で参加者が「強制連行」に言及した点を問題にして設置許可を更新しないことにし、日本最高裁は自治体の処分が適法だという判決を確定した。
 強制動員真相究明ネットワーク側は碑石の文言は植民地支配に対する反省とお詫びを表明した1995年の村山談話など日本政府の従来の歴史認識を反映していて、設置当時には群馬県議会が全会一致で賛成したと強調した。
 撤去に反対する芸術家らも追悼碑を存続させるべきだという約4300人の署名を集め、この日、群馬県に提出した。朝鮮人二重差別問題を扱った映画の監督、飯山由貴氏は記者会見を開き、「撤去が市民の表現の自由を奪い、朝鮮半島にルーツを持つ人々を傷つける可能性がある」と述べた。共同通信によると、署名には日本の有名ポップアーティスト奈良美智さんも参加した。


「The Hankyoreh」 2024-01-26 11:19
■[ルポ]撤去危機の群馬「朝鮮人追悼碑」…「韓日友好20年の象徴、なぜなくすのか」
 
 撤去を決定した群馬県に行ってみると

【写真】強制動員された朝鮮人犠牲者追悼碑を建て管理をしてきた日本の市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」の石田正人さん(71)が24日、「群馬の森」公園にある追悼碑について説明している=群馬/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 今月24日に訪れた、群馬県高崎市にある「群馬の森」公園。東京ドームの5.6倍の広さで、群馬の市民の憩いの場であるこの公園は、「朝鮮人強制動員」問題を巡る群馬県と地域の市民団体間の衝突で微妙な緊張感に包まれていた。これを表わすかのように、裏門の前には「工事のため1月28日午後5時30分から2月12日午前8時まで公園を閉園する」という内容の案内板がぽつんと立てかけられていた。市民が頻繁に訪れる広々とした公園が2週間ちかく閉鎖されるという異例の状況を迎えることになったのだ。
 公園の裏門から入って3分ほど歩くと、2004年に群馬県と地域の市民団体が力を合わせてようやく作った「群馬県朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑」が目に入った。群馬県は公園を閉鎖する期間に、建てられてから20年になるこの追悼碑を撤去する方針だ。日本全域に少なくとも150カ所以上の朝鮮人関連追悼碑があるが、地方自治体が直接撤去に出るのは今回が初めてだという。碑に刻まれた「記憶 反省 そして友好」という文字が悲しく見えた。
 この追悼碑を建てて管理をしてきた日本の市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」の石田正人さん(71)は「県が撤去に使う重機を持ち込むために木を伐った。ここまでしなければならないのか、本当に怒りが湧く」と語った。追悼碑は直径7.2メートルのコンクリートの円形台の上に、横4.5メートル、縦1.95メートルの大きさの碑石と高さ約4メートルの金色の塔で構成されている。空にまっすぐ伸びている塔と後ろの碑石は、縦に大きな穴が空いている。石田さんは「この穴は朝鮮半島に向かっている。群馬で犠牲になった朝鮮人の魂だけでも故郷に帰れたら、という気持ちが込められたもの」だと述べ、「撤去の過程で追悼碑は壊されるだろう」と憂いを見せた。

【写真】群馬の市民の憩いの場である「群馬の森」公園の裏門前には「工事のため1月28日午後5時30分から2月12日午前8時まで公園を閉園する」という内容の案内板が立てられている。県はこの期間に朝鮮人強制動員犠牲者追悼碑を撤去する方針だ=群馬/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 碑文には、日本が犯した植民地支配と侵略戦争を謝罪した「村山談話」(1995年)と、韓日関係の新しい道しるべとなった金大中(キム・デジュン)元大統領と小渕恵三元首相の「韓日パートナーシップ共同宣言」(1998年)の精神が反映されている。碑石の前面には「記憶 反省 そして友好」という文字がハングル・日本語・英語で書かれており、裏面には「かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し(中略)過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する」と書かれている。
 追悼碑が群馬県所有の公園に建てられることになったのは、29年前の1995年に遡る。日本敗戦50年を迎え、群馬の市民たちはこれまで放置されていた朝鮮人強制動員犠牲者などを調査するために「戦後50年を問う群馬市民行動委員会」を設立。群馬の鉱山や軍需工場などに朝鮮半島から強制的に動員された朝鮮人被害者は約6千人余りだと調査によって知られた。このうち300~500人余りが命を失ったと推定される。日本の市民たちは彼らの苦痛を悼み、未来に進むために追悼碑を「建てる会」を作った。在日コリアンも「総連」「民団」という分断と理念の壁を乗り越え、この運動に参加した。

【写真】強制動員された朝鮮人犠牲者追悼碑は、直径7.2メートルのコンクリートの円形台の上に横4.5メートル、縦1.95メートルの大きさの碑石と高さ約4メートルの金色の塔で構成されている=群馬/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 追悼碑を作る過程は当然容易ではなかった。市民たちは碑文に「朝鮮から強制的に連行」、「過酷な労働と悲惨な生活環境」など、より明確な表現を入れたかった。保守色の濃い群馬県は容易に応じなかった。長い調整の末、現在の文言に決まった。韓日友好の堅固な土台となった村山談話と、群馬県出身の小渕元首相が築き上げた「韓日パートナーシップ共同宣言」が基本的な骨組みになった。2001年6月、県議会の満場一致の同意を得て、この碑の設立が決まった。その代わり、保守世論を考慮して碑の前で政治的行事は行わないことにした。市民たちは少しずつお金を集め、2004年4月、今の位置に碑を建てた。除幕式には県と県議会、日本市民、在日同胞が大勢参加した。
 撤去の論議が始まったのは、第2次安倍内閣が発足した2012年からだ。「新しい日本を考える群馬の会」などの右翼団体が、2004年の除幕式から毎年行われてきた追悼式の新聞記事を調べ、発言者の表現一つひとつを問題視した。例えば「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を記憶することが重要だ」などの発言が攻撃の的になった。右翼は「強制連行」は日本政府が認めていない内容だとし、追悼碑を作る際の「政治的行事を行わない」という約束を破ったと主張。そのため市民の会(「守る会」)は2013年から追悼式もできずにいる。2014年4月、「追悼碑10年許可」を延長しなければならない時期が近づくと、右翼はより露骨に動いた。
 東京都横網町公園にある「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」などの撤去を主張し続けてきた日本の右翼団体「そよ風」が提出した群馬県への追悼碑撤去請願を、2014年6月、自民党議員が多数だった県議会が採択する。待っていたかのように県は7月、追悼碑設置期間の延長不許可を決めた。その時から激しい法廷闘争が始まった。2018年の一審の前橋地裁では「守る会」が勝った。2021年、保守色の強い東京高裁で判決が覆された。市民の逆転敗訴だった。この判決は2022年の最高裁までそのまま維持された。県は昨年4月、追悼碑撤去命令を下すに至る。故・安倍元首相が始めた村山談話の毀損など「過去の歴史を消す」作業が日本最高裁の公認を受け、群馬県によって施行されているかたちだ。

【写真】強制動員された朝鮮人犠牲者追悼碑を建て管理をしてきた日本の市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」の代表らが24日午後、群馬県庁の記者室で記者会見を行っている=群馬/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 「守る会」は最後まで抵抗している。追悼碑撤去命令に反発して取り消し訴訟を起こし、来月7日に最初の弁論期日が決まった。集会、記者会見、声明書発表などを行い、連日世論に訴えている。だが、県はものともせず、今月29日から来月11日までの間に撤去するという「代執行命令」を「守る会」に送った。撤去に必要な費用約3千万円を徴収すると圧力もかけている。
 「守る会」で法律対応を担当している下山順弁護士は「追悼碑の撤去命令の取り消しを求める訴訟の1次弁論が決まったにもかかわらず、県が撤去を強行するのは暴挙だ」とし「右翼団体の要求を受け入れて追悼碑が撤去されるのは歴史的な退行だ。これが成功事例になり、日本各地にある他の追悼碑も攻撃の対象になりうる」と批判した。
 韓日関係にも悪影響を及ぼすものとみられる。「守る会」の藤井保仁事務局長(74)は「この追悼碑は過去の歴史を反省する中で日韓の友好を約束したシンボル。群馬県がこれを壊すということだ。歴史は消したからといって消されるものではない。追悼碑が撤去されたとしても、守る会は最後まで活動する」と強調した。
高崎(群馬)/キム・ソヨン特派員
韓国語原文入力:2024-01-26 08:40


「聯合ニュース」 2024.01.23 17:07
■群馬の「朝鮮人追悼碑」撤去危機に「友好関係阻害しない解決を」 韓国外交部
 金泰均 
【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代に徴用された朝鮮半島出身者を追悼するため、群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に設置されている朝鮮人追悼碑が撤去の危機に立たされていることについて、韓国の外交部当局者は23日、記者団に「韓日間で必要な意思疎通を行っている」として、「両国の友好関係を阻害しない方向で解決できることを期待している」と述べた。

【写真】群馬県高崎市の「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑=(共同=聯合ニュース)

 日本メディアによると、群馬県は碑を管理する市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」に対し、昨年12月までに撤去するよう求めたが応じなかったため、撤去する方針を固めた。
 碑は2004年に建てられ、日本語と韓国語、英語で「記憶 反省 そして友好」と刻まれている。碑の背面には「朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」などと記されている。
 群馬県は14年、碑の前で開かれた追悼式典の参加者が政治的な発言をしたとして設置更新を不許可とした。団体は県を相手取り訴訟を起こしたが、22年に最高裁で団体の敗訴が確定した。


『民団新聞』 2019.04.17 
■「群馬の森」追悼碑訴訟…和解協議が難航'東京高裁

【写真】献花台に花を供える支援者(高崎市労使会館)

 【群馬】高崎市の県立「群馬の森公園」に設置された韓国・朝鮮人追悼碑「記憶・反省・そして友好」をめぐる東京高裁の和解協議が難航している。県は公園からの撤去を譲らない。一方、「守る会」は「旧陸軍の火薬庫があったこの場所に追悼碑が立っていることに意義がある」として一歩も退かない構えだ。
 和解協議は1月から始まった。「守る会」は追悼碑を守りたいため「追悼碑の前での集いでは県当局と事前に協議し、実施する。あるいは参列を求める」など4つの条件を提示した。しかし、県は問答無用の撤去に固執し、物別れに終わった。
 3月の第2回協議でも県側の基本姿勢に変わりはなかった。そのかわり、撤去にかかわる費用の負担と別の県有地の提供を提起してきた。これに対して「守る会」弁護団は「追悼碑を移しても保守系団体が納得しない、税金の無駄遣い」と反発して平行線のままだった。次回は5月15日の予定。
 弁護団長の角田義一さんは「県とは和解を望んでいる。決裂すれば判決は早い。むちゃくちゃな論理を主張する県を勝たせるには、裁判所としても論理の組み立てが大変だろう。だが楽観はできない」と気を引き締めている。
 追悼碑の設置は市民団体「朝鮮人・韓国人 強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」の請願を受けて、県議会が全会一致で趣旨採択したことから始まる。県は2004年3月、「公園施設」のうち「教養施設(記念碑)」として設置を許可した。期間は10年間。ただし、「設置許可施設については、宗教的・政治的行事及び管理を行わない」という条件を付していた。
 市民団体は建立と同時に碑前で追悼式を行ってきた。ところが、12年ごろから碑文が「反日的」「自虐史観」などとする保守系団体の抗議の的となった。県側は「碑自体が紛争を起こしている」として守る会の設置期間の更新申請にも応じようとしなかった。
 一審の前橋地裁は「政治的行事が行われた」などとする県側の主張はおおむね認めたものの、追悼碑撤去については「裁量権の逸脱がある」として認めなかった。

◆屋内で追悼集会…民団からも献花「いつか碑の前で」
 「記憶・反省・そして友好」の追悼碑を守る会は6日、高崎市労使会館で第16回追悼集会を開催。日本人の支援者を中心に100人余りが駆けつけた。
 裁判のために追悼碑の建つ「群馬の森」以外で集会を開くようになって今年で8年目。角田義一共同代表は「群馬の森で慰霊祭を行うことが犠牲者の慰めになる。来るべき日には駐日韓国大使館から大使を追悼碑に招きたい」と語った。
 民団群馬本部の権在一団長は「追悼碑の前で集会が開かれる日の来ることを祈っている」と述べた。最後に全員が祭壇に献花した。
 1939年から始まった「募集」「斡旋」「徴用」などによる戦時強制動員は、群馬県だけでも6000人以上と推定されている。
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