三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」について 5

2010年02月27日 | 紀州鉱山
 2009年9月11日に、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会は、河上敢二熊野市長と杉松道之熊野市教育長に、熊野市が文化財に指定している「史跡 英国人墓地」について、質問をおこないました。
 10月16日に、濱口幸治熊野市教育委員会社会教育課長から、「今回から社会教育課長名で回答させていただきます。ご了解ください」として回答がありましたが、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会はそれを了承しませんでした。
 この10月16日の回答は、その回答方式が熊野市長・教育長の責任をあいまいにするものであり、その回答内容は質問にきちんと応答するものでなかったので、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会は、2010年2月1日に、熊野市長と教育長に、2月15日を回答期限として、文書で再質問をしました。
 その文書は、「熊野市が、イギリス兵の遺骨が埋葬されていない“現在の英国人墓地”を文化財として指定している理由」、あるいは「“現在の英国人墓地”に埋められているという“灰”が、イギリス兵の遺骨の灰なのか」など、熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」にかかわる重大な疑問に明快に答えることを要求する文書でした(その全文は、2月1日に、このブログに掲載してあります)。

 しかし、回答期限を1週間すぎても回答がなかったので、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会は、2月22日に、速やかに回答することを要求する文書を熊野市長と教育長に送りました。きょう(2月27日)現在、いまだ、回答は届いていません。
 いま、熊野市の公式ウェブサイトの「文化財(一覧表)」(http://www.city.kumano.mie.jp/kankou/bunkazai.html)からは、なぜか、熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」は削除されています。
 昨年(2009年)6月10日に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、熊野市が市の文化財に指定している「英国人墓地」にかかわる公文書の開示を請求しました。それに対して、同年6月24日に、杉松道之熊野市教育長から、「公文書部分開示決定通知書」(熊教第465号)が届きました。開示文書は不十分なものでしたが、この通知書に添付されていた「国・県・熊野市指定文化財(旧紀和町分)。2009年4月現在」には、「指定分野:記念物」・「指定内容:史跡」として「英国人墓地」(1965年2月1日指定)が掲載されていました。

 2月22日に熊野市長と教育長に送った文書の全文はつぎのとおりです。  
■「再質問」に速やかに回答してください
                  2010年2月22日
 熊野市長   河上敢二さま
 熊野市教育長 杉浦道之さま

        紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会
                 在日本朝鮮人総聯合会三重県本部
                 在日本大韓民国民団三重県地方本部
                 紀州鉱山の真実を明らかにする会

 2010年2月1日に「熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」について 再質問」をおこないましたが、その回答期限(2月15日)をすぎ、本日(2月22日)に至っても、回答が届いておりません。
 速やかに誠実に回答してください。
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