2002年4月17日に、金大中大統領に、紀州鉱山の真実を明らかにする会が送った要請文の日本語訳文を3回にわけて掲載します。
【金大中大統領への要請文(2002年4月17日) 1】
わたしたちは日本で、1945年8月以前に日本によって朝鮮から強制連行され強制労働させられた人たちの調査・研究をしています。
ごぞんじかと思いますが、日本の各地で、朝鮮から強制連行された人たちが鉱山、道路・ダム・港湾などの建設現場で強制労働によって苦しめられたにもかかわらず、日本では、地域史でほとんどふれられず、ふれられていたとしても、事実がありのままに記述されているとはいいがたい現状です。
■紀州鉱山について
三重県南牟婁郡紀和町にある紀州鉱山には(石原産業産業株式会社経営、銅鉱山)、1940年代初から1000人を越える朝鮮人が朝鮮から強制連行されていました。
わたしたちは、1997年に、‘紀州鉱山の真実を明らかにする会’をつくり、紀州鉱山における朝鮮人強制連行・強制労働について、調査してきました。
1946年に紀州鉱山事業所が作製した朝鮮人の名簿を入手し、そこに記載されている住所をもとに、1996年10月、同12月、1997年5月、1998年8月に、韓国の江原道と慶尚北道を訪ね、紀州鉱山に強制連行され、幸いに故郷に帰ることができた方がたにお会いし、話しを聞かせていただくことができました。
■中国海南島の「朝鮮村」について
紀州鉱山の真実を明らかにする会では、さらに石原産業の朝鮮人強制連行について調査をすすめ、石原産業が、中国海南島でも、1939年2月10日の日本軍の海南島占領直後から、朝鮮人を強制労働させていたことを知りました。
そして、石原産業が海南島で経営していた田独鉱山における強制労働を調査する過程で、日本の海南島占領の時期(1939年2月10日~1945年日本の敗戦まで)に、日本軍や日本企業によって、田独鉱山以外にも、海南島各地の軍事施設建設、港湾建設、鉄道工事、鉱山などに、多数の朝鮮人だけでなく、海南島住民(先住民族黎族・苗族、漢族、回族)や、中国本土の広州・汕頭・潮州・香港などから連行された漢族、また、イギリス軍・オーストラリア軍などの戦争捕虜、台湾人などが、多数、強制労働に苦しめられたことを知りました。
これまでの4回(1998年6月~7月、2000年3月~4月、2001年1月、2002年3月~4月)にわたる海南島での調査と、韓国での聞き取り、韓国と日本での文書資料の調査などによって、現在まで、おおよそ次のようなことが明らかになりました。
1、朝鮮人と台湾人は、朝鮮と台湾の刑務所から強制連行された獄中者たちであった。
かれらは、「朝鮮報国隊」、「台湾報国隊」と名づけられていた。
2、「朝鮮報国隊」は、「南方派遣報告隊」とも称され、日本軍の命令、管理のもとに、第1次から第8次まで編成された。
第1次「朝鮮報国隊」の海南島出発は、1943年3月30日であった(「台湾報国隊」についても調査していますが、現在まで、詳しいことはわかっていません)。
3、「朝鮮報国隊」が連行されたところは、海南島だけであった。
4、海南島では、三亜飛行場、黄流飛行場、三才鎮后石村飛行場、英州鎮大坡村飛行場、八所港湾工事、三亜―八所間の鉄道工事(以上、日本軍の施設)、田独鉄鉱山(石原産業経営)、石碌鉄鉱山(日本窒素経営)、関連する土木工事(西松建設)などで、強制労働させられた。
5、日本の敗戦前後のころまでに生き残っていた三亜市から遠くないところにいた「朝鮮報国隊」は、三亜市郊外にある南丁村に集められた。
6、南丁村に集められた「朝鮮報国隊」は、全員が日本軍に虐殺された。その数は、1000名以上と推定される。
【金大中大統領への要請文(2002年4月17日) 1】
わたしたちは日本で、1945年8月以前に日本によって朝鮮から強制連行され強制労働させられた人たちの調査・研究をしています。
ごぞんじかと思いますが、日本の各地で、朝鮮から強制連行された人たちが鉱山、道路・ダム・港湾などの建設現場で強制労働によって苦しめられたにもかかわらず、日本では、地域史でほとんどふれられず、ふれられていたとしても、事実がありのままに記述されているとはいいがたい現状です。
■紀州鉱山について
三重県南牟婁郡紀和町にある紀州鉱山には(石原産業産業株式会社経営、銅鉱山)、1940年代初から1000人を越える朝鮮人が朝鮮から強制連行されていました。
わたしたちは、1997年に、‘紀州鉱山の真実を明らかにする会’をつくり、紀州鉱山における朝鮮人強制連行・強制労働について、調査してきました。
1946年に紀州鉱山事業所が作製した朝鮮人の名簿を入手し、そこに記載されている住所をもとに、1996年10月、同12月、1997年5月、1998年8月に、韓国の江原道と慶尚北道を訪ね、紀州鉱山に強制連行され、幸いに故郷に帰ることができた方がたにお会いし、話しを聞かせていただくことができました。
■中国海南島の「朝鮮村」について
紀州鉱山の真実を明らかにする会では、さらに石原産業の朝鮮人強制連行について調査をすすめ、石原産業が、中国海南島でも、1939年2月10日の日本軍の海南島占領直後から、朝鮮人を強制労働させていたことを知りました。
そして、石原産業が海南島で経営していた田独鉱山における強制労働を調査する過程で、日本の海南島占領の時期(1939年2月10日~1945年日本の敗戦まで)に、日本軍や日本企業によって、田独鉱山以外にも、海南島各地の軍事施設建設、港湾建設、鉄道工事、鉱山などに、多数の朝鮮人だけでなく、海南島住民(先住民族黎族・苗族、漢族、回族)や、中国本土の広州・汕頭・潮州・香港などから連行された漢族、また、イギリス軍・オーストラリア軍などの戦争捕虜、台湾人などが、多数、強制労働に苦しめられたことを知りました。
これまでの4回(1998年6月~7月、2000年3月~4月、2001年1月、2002年3月~4月)にわたる海南島での調査と、韓国での聞き取り、韓国と日本での文書資料の調査などによって、現在まで、おおよそ次のようなことが明らかになりました。
1、朝鮮人と台湾人は、朝鮮と台湾の刑務所から強制連行された獄中者たちであった。
かれらは、「朝鮮報国隊」、「台湾報国隊」と名づけられていた。
2、「朝鮮報国隊」は、「南方派遣報告隊」とも称され、日本軍の命令、管理のもとに、第1次から第8次まで編成された。
第1次「朝鮮報国隊」の海南島出発は、1943年3月30日であった(「台湾報国隊」についても調査していますが、現在まで、詳しいことはわかっていません)。
3、「朝鮮報国隊」が連行されたところは、海南島だけであった。
4、海南島では、三亜飛行場、黄流飛行場、三才鎮后石村飛行場、英州鎮大坡村飛行場、八所港湾工事、三亜―八所間の鉄道工事(以上、日本軍の施設)、田独鉄鉱山(石原産業経営)、石碌鉄鉱山(日本窒素経営)、関連する土木工事(西松建設)などで、強制労働させられた。
5、日本の敗戦前後のころまでに生き残っていた三亜市から遠くないところにいた「朝鮮報国隊」は、三亜市郊外にある南丁村に集められた。
6、南丁村に集められた「朝鮮報国隊」は、全員が日本軍に虐殺された。その数は、1000名以上と推定される。
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